![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/ca36161746e692181d45bdf33c3489315a1a0343/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fjprime.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F0%2F2%2F-%2Fimg_02f4beda6af799d58c074986cbecd2b9839969.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
被曝の記憶も加害の事実も忘れないで、ヒロシマから語り継ぐ「戦争のリアル」 | 週刊女性PRIME
1945年8月6日。アメリカは広島市内に原子爆弾を投下した。強烈な熱線と爆風が襲い、爆心地近くの広島県... 1945年8月6日。アメリカは広島市内に原子爆弾を投下した。強烈な熱線と爆風が襲い、爆心地近くの広島県産業奨励館(原爆ドーム)の外壁も吹き飛んだ。前を流れる元安川からは、今でも破片を見つけることができる。 いまだに遺骨がたくさん出る その引き上げ作業をしている学生団体「広島大学原爆瓦発送之会」の会長、嘉陽礼文さん(40=大学院生)が活動を始めたきっかけは、中学時代、被爆者のひとり、山岡ミチコさん(享年83)の話を聞いたことだった。 「東京から修学旅行に来たとき、山岡さんから被爆体験を聞きました。淡々とした話でしたが、原爆で亡くなった人たちの思いを一身に背負っているように感じ、逆に心にしみました」 沖縄県出身の嘉陽さんは、祖父母から沖縄戦の体験を聞いて育った。いまだ遺骨が見つからない親族もいる。山岡さんにそのことを告げると、「元安川には被爆瓦があります。遺骨もたくさん出ます」と教えてくれた。
2018/08/07 リンク