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鏑木清方に関するschriftのブックマーク (2)

  • 「婦系図」口絵下絵

    『婦系図』は1907(明治40)年に「やまと新聞」に連載され、翌年春陽堂から刊行された泉鏡花の長編小説で、 後年脚色されて新派悲劇の代表作となった。 主人公・早瀬主税は、世間に内緒で芸者上りのお蔦と所帯を持っていたが、主税の師・酒井俊蔵が二人の仲を許さない。当時の婚姻制度に圧し潰されてゆく愛の姿が、鏡花得意の演劇的手法を用いて描かれており、鏡花作品の魅力を存分に味わうことができる。 実生活で鏡花は神楽坂の芸者桃太郎(名・伊藤すず、後に結婚)と同棲するが、それを師・尾崎紅葉から反対されており、その経験をこの作品に投影したと言われている。また、この小説の連載を依頼しにきた彼の親友・登張竹風から、スリに関する興味深いエピソードを聞いたことも彼の創作の糸口となったとも伝えられている。 間久雄文庫に所蔵されている口絵下絵は、当時、新興日画壇のひとつ "烏合会" を結成し、世の注目を集めていた鏑

    schrift
    schrift 2009/05/06
     早稲田大学図書館所蔵貴重資料。
  • 鏑木清方の見た三遊亭円朝 - 読書で日暮らし

    小島政二郎の『円朝』は下巻に入った。読書はゆっくりとしたものになっている。この間、他のを10冊は読んだろうか。このばかりは読み切るのが惜しくなり、一字一句を味わっている。その『円朝』、ぼちぼち明治維新が終わって、「塩原多助一代記」の創作にとりかかったころである。  三遊亭円朝は、創作にかかる前に、関係のある重要な場所に出向いての調査を欠かさなかったといわれる。むろん、「塩原多助一代記」も例外ではない。このことについては、鏑木清方の『こしかたの記』(中公文庫)に記載がある。まずは「塩原多助一代記」について語られた一節。  「塩原多助一代記」に就いて、上州沼田へ実地を踏みに行った折の、自筆による「道の記」を所蔵しているが、まだ鉄道の通じていなかった沼田へ、馬や籠を頼りに、いくつもの峠を越えて、不自由な旅をつづけている。その紀行で見ると、旅の目当ては、史実の詮索と云うよりは、自分の創作の上の

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