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鏑木清方の見た三遊亭円朝 - 読書で日暮らし
小島政二郎の『円朝』は下巻に入った。読書はゆっくりとしたものになっている。この間、他の本を10冊は... 小島政二郎の『円朝』は下巻に入った。読書はゆっくりとしたものになっている。この間、他の本を10冊は読んだろうか。この本ばかりは読み切るのが惜しくなり、一字一句を味わっている。その『円朝』、ぼちぼち明治維新が終わって、「塩原多助一代記」の創作にとりかかったころである。 三遊亭円朝は、創作にかかる前に、関係のある重要な場所に出向いての調査を欠かさなかったといわれる。むろん、「塩原多助一代記」も例外ではない。このことについては、鏑木清方の『こしかたの記』(中公文庫)に記載がある。まずは「塩原多助一代記」について語られた一節。 「塩原多助一代記」に就いて、上州沼田へ実地を踏みに行った折の、自筆による「道の記」を所蔵しているが、まだ鉄道の通じていなかった沼田へ、馬や籠を頼りに、いくつもの峠を越えて、不自由な旅をつづけている。その紀行で見ると、旅の目当ては、史実の詮索と云うよりは、自分の創作の上の