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2007年9月12日のブックマーク (8件)

  • コロタイプ印刷

    シリーズ アナログ印刷(I) 明治期の写真・印刷と出版事情  ―付・コロタイプ印刷の実際― [はじめに]                         山口須美男 現在私達の生活の中で目にするあらゆる印刷は、写真術の発明により数種類の版式の違う印刷方式が誕生しました。その印刷方法はそれぞれ異なった印刷性能や特長を持っています。具体的にはコロタイプ印刷・原色版印刷・グラビア印刷・オフセット印刷などがあります。 その中でもっとも写真と密接な関係があって、もっとも早期に写真印刷が確立したコロタイプ印刷につて、 写真技術を追いながら、初期の印刷の成果を振り返って見たいと思います。また、この印刷技術を発展進歩させた美術出版にもふれて見たいとおもいます。 150年前にフランスで生まれたコロタイプ印刷も、現在では衰退し、ローコストの印刷が主流となっています。近代の美術印刷の担い手であり、出版文化に貢献

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  • トップ | Old Japanese Photographs in Bakumatsu-Meiji Period

    MENU 長崎大学附属図書館 > 資料をさがす > 電子化コレクション > 上野彦馬コレクション 長崎大学附属図書館所蔵「幕末・明治期日古写真コレクション」の データベースです。

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  • Vignette 刊本字様の三大潮流をめぐって

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  • 褚遂良について

    こんなコンテンツにわざわざ来ていただいて正直御礼を申し上げたく思います。 * まず最初に言っておかないといけないのは、"迷考"とついているけどおいらの単なる感想に近いっていう点、そして"褚遂良"って入ってるけど基的に「雁塔聖教序」がメインになっているって言う点ですのでお気をつけください! 目次 1、褚遂良(ちょすいりょう)ってだれ? 2、褚遂良の書 3、雁塔聖教序について 4、ま と め 1 褚遂良(ちょすいりょう)ってだれ? * 詳細な経歴は下に挙げるHPに言を譲りますので簡単に書きます。 ・ 褚遂良(596-658)は唐時代の人で、欧陽詢、虞世南と合わせて「初唐の三大家」(虞・欧陽と褚は30歳くらい離れてます)にあげられる人(薜稷をいれて四大家)です。 字は登善。また、河南地方の長官に封ぜられたので「褚河南」とも呼ばれます。 唐の太宗(李世民)、高宗(李治)の二人に仕えて 中書令→礼

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  • 活字の世界(目次)

    「活字印刷」の発明が、知識の普遍化を促すという役割によって、人類の進歩に大きく貢献したと言うことは多くの書によって語られているところですが、そうした恩恵の究極の道具であるコンピュータによって、「印刷」というものの手法も大きく変化させられつつあります。 いわゆる「活字」というものと「印刷」というものが大きく切り離されて、それぞれが別個の道を歩み始めたことを予感させる「デジタル時代」の到来です。そんな中で、「活字」というものの役割は単なる記号に過ぎないと言う「活字文化」軽視の風潮に抗らう者として、一歩立止まって今までの「活字の世界」を尋ねてみようと思い立ったのです。 記述内容は、川田久長氏の「活版印刷史」や鈴木敏夫氏の「プレ・グーテンベルク時代」の範疇でもありますが、各テーマごとに「よみもの」スタイルにして、少しでも興味を持っていただけるよう心がけたつもりです。同好の方と語りあえればと思ってお

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  • http://www.babu.com/~ichiro/siteadmin/top.cgi

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  • 伝道の開始(書店)

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     『天道溯原』。
  • 「書物」の誕生・覚え書き日誌

    書籍の電子化の話が喧しい。 また、実際に焦眉の課題になりつつあることもまちがいないだろう。 森銑三、柴田宵曲共著の「書物」は、こんな時期に読むのには、いかにものんびりしたかも知れない。 とくに希有の書誌学者であり、戦後の苦しい時期には、反町茂雄の古書肆弘文荘に勤務して口を糊したことさえある森銑三は、書物への慈愛に満ちていると思われている。 そして確かに、森はへの愛に満ちていただろうし、もし電子化に急速に流れを向けている現在にあったら、恐らく苦々しい思いを感じただろうことは想像に難くない。 しかし、森がこの「書物」の中に記している彼の読書法や書物に対する考え方は、単なる「愛書家」や、今、世に充満しに対する「フェティシズム」だけを根拠に、「はなくなりません」と言いつのる人々とはいささか異なるようである。 たとえば、森は、専門の著述家や出版社に対して、懐疑的である。 なおこの著述家という

    「書物」の誕生・覚え書き日誌
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