利府町の硯沢窯(すずりさわかま)跡遺跡から、「宮城」と刻まれた8世紀前半(奈良時代)の土器が出土したと、同町教委が2日発表した。「宮城」という名が刻まれた土器としては最古。地名の起源が、724年の多賀城(多賀城市)創建までさかのぼる発見で、専門家は「宮城郡が多賀城とともに中央政府によって新たに付けられた政治的な名前だったことを裏付ける発見」と評価する。 硯沢窯跡は、陸奥国府・多賀城の北東約5キロにあり、奈良・平安時代に多賀城へ土器や瓦を供給した国府直営の焼き物工房「官窯(かんよう)」の一つ。 今年5月からの発掘調査で、須恵器(土器の一種)窯2基と炭焼き窯6基が見つかった。このうち、北西斜面の窯の近くで先月、「宮城」と刻まれた須恵器の破片が出土した。同時に、「宮木」と刻まれた須恵器の破片もみつかった。 これまで「宮城」と書かれた考古資料は、多賀城市内で出土した平安時代(9世紀前半)の墨書土器