アメリカにおける1960年の大ヒットは、トップがパーシー・フェイス・オーケストラの映画「避暑地の出来事」のテーマ「夏の日の恋」、ついで2位がプレスリーの「イッツ・ナウ・オア・ネバー」、3位がドリフターズの「ラストダンスは私に」、4位がチャビー・チェッカーの「ツイスト」、5位がブライアン・ハイランドの「ビキニ・スタイルのお嬢さん」、6位がブレンダ・リーの「アイム・ソーリー」、7位が再びプレスリーの「本命はお前だ」、8位がジム・リーブスの「ヒール・ハヴ・トゥ・ゴー」、9位がエバリー・ブラザーズの「キャシース・クラウン」、10位がジョニー・プレストンの「急がば回れ」が入っている。 一方、日本はこの年も独自のヒット曲が目立っていて、1位がサウンド・トラック(といっても日本のスタジオ・オーケストラの録音)で「太陽がいっぱい」、2位が映画「刑事」の主題歌でアリダ・ケミリの「死ぬほど愛して」、3位がニー
第五章 ドラッグ・カルチャーの時代 1960年代半ば、ボブ・ディランなどの洗練されたロックはアメリカ西海岸に飛び火した。そこで旺盛な探究心とLSDという幻覚剤と結び付きサイケデリック・ロックという音楽を生み出す。 その特徴はリズムやメロディーがあいまいでフワフワととらえどころがなく、幻覚体験を再現したようなサウンドであった。 1966年、ザ・バーズは新曲「霧の8マイル」を発表。この曲で斬新なサウンドの先駆けとなった。 ザ・バーズは前の年に二つの曲で全米第一位を達成し勢い付いていた。ところがこの新曲は発表直後、不運に見舞われることとなる。 政府から「ギャビン・レポート」という通達がラジオ局に送られ、「霧の8マイル」はドラッグの歌だとして放送禁止になってしまった。プレスリーが猥褻(わいせつ)、ビートルズが冒涜(ぼうとく)と言われたようにザ・バーズは危険と見なされてしまったのである。 LSDは当
超な兄貴さん 二宮金次郎は幕末の貧しい農民で、苦労しながら学んで成功した人です。努力して武士の身分にまでになった彼は、明治時代、農地改革に尽力をつくしました。 昭和の初めのころ、大日本帝国主義(だいにほんていこくしゅぎ)をとった日本政府は、彼の姿勢を戦争に利用するために、銅像にして全国に建てたのです。そのため、戦後、多くの銅像がとりはずされました。 でも、大日本帝国主義とははなれ、純粋に彼の業績や姿を奨励するものとして、銅像が建てられた学校もあります。 ★参考URL :こねっとサイバー図書館 http://www.wnn.or.jp/konet/tutor/syakai/histry/histry_q3.html gannacさん 二宮金次郎(尊徳)は江戸時代末期に農民の子として生まれ、貧しい少年時代を過ごしました。彼は朝から晩まで真面目に働いていましたが、本を読む時間があったら
あいうえおの歌 北原白秋作のあいうえおの歌です。活舌練習に利用できます。 冒頭の部分は有名ですがその先は知られていないようです。
リリ・ブーランジェに関するエッセイ二編 日本語訳 カミーユ・モークレール(Camille Mauclair) ポール・ランドルミ(Paul Landormy) 鷺澤伸介:訳 (最終改訂 2008.10.1) 夭逝した近代フランスの天才女流作曲家リリ・ブーランジェについて、彼女の没後最も早い時期に書かれた二編のエッセイ、カミーユ・モークレール『リリ・ブーランジェの生涯と作品』(原題:La Vie et l'Œuvre de Lili Boulanger、原文:フランス語)、およびポール・ランドルミ『リリ・ブーランジェ(1893-1918)』(原題:Lili Boulanger(1893-1918)、原文:英語)を翻訳しました。 引用、リンク、コピー、転載に制限はありません。 まだまだ調査が不十分に思えるのですが、すでに注釈欄が大きくなり過ぎ、きりがないので、ひとまず公表に踏み切りまし
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