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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (3)

  • 学問の裏道 - jun-jun1965の日記

    何かを調べていて、よく知らない人の論文に当たったら、私はまずその著者について調べる。素朴に学問を信じている人からしたら、そんなの不要だと思うだろうが、これがそうでもないし、実は多くの学者がやっていることである。というより、たとえば近世文学が専門なら、これは誰々の弟子だなということを最初から把握していて論文を読むだろう。 人文学の論文などというものは、ちょっとした表現ひとつでニュアンスが違ってくることがあるから、その著者の経歴を知っていると、ああこの人はこれ学派出身だからこっちへバイアスが掛かっているな、と分かるのである。分かりやすい例でいえば、田中優子がなぜ『週刊金曜日』の編集委員になってしまったかといえば、広末保の弟子だからである。広末は左翼であり、実証的というより文藝評論的な学者だった。しかし近世文学の世界では、まず翻刻・注釈・文校訂などをして40、50になるのが普通で、しかし田中は

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    schrift 2009/03/08
  • あの人、右ですよ - jun-jun1965の日記

    竹内洋先生が『諸君!』に連載している「革新幻想の戦後」(3月号)で、初めて、なぜ福田恒存があんなに清水幾太郎を罵倒したのか分かった。それはそうと、1960年代だろうが、竹内先生が「福田恒存もいいぞ」と言うと仲間たちから白眼視され、女子学生など「この人、右翼よ」と言ったという話が書いてある。そういう時代だったのだ、というのだが、私が学生の頃にもまだそういう感じは残っていて、カナダ留学前にアテネ・フランセの英会話に通っていたら、ふと早稲田の英文科の女子学生と話す機会があって、私が松原正を知っていると知った女子学生は「えっ、松原、知ってるんですか。あの人、右ですよ!」と勢いこんで言ったのである。 まだ私のことをよく知らないうちからそういうことを言うのはどういうものか、と私は思ったが、1989年頃だったろうか。あと、比較文学の大学院へ入った頃、英文科の研究室へ行くと、Mという同期生が「比較は右翼だ

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    schrift 2009/03/01
  • 日本共産党50年史 - jun-jun1965の日記

    1973年、『週刊プレイボーイ』に連載された内田栄一原作のマンガ「噫 日共産党50年史」は、天皇が××する図、そして天皇のベッドシーンのシルエットが出て、雑誌はこれを黒く塗りつぶして出し、二十回で連載は中断した。この全部が『資料・反合法出版物 噫』として出ている。二十年前から気になっていた連載だが、アマゾンのマーケットプレイスで一万円で出ていたから入手した。これは『<不敬>文学論序説』には出ていなかったな。マンガだからかな。渡部直己といえば、呉智英先生がフランスからマンガ研究で公賓扱いで招かれたと聞いて「えっ、お前が公賓?!」と嫉妬をあらわにし、マンガ研究で、と言うと「ああ、マンガかあ、ああそうか、あははは」と言った人なので、マンガはバカにしているらしい。しかしマケプレ侮れないな。 そのマケプレで、よく売れたが1円で売っているのはよく知られている。利益が出るとは思えないが、評価の数が増

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    schrift 2007/02/11
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