なお救われなかった模様
日本の伝統? おっさんの幽霊の方が怖くねーか と思ったが、おっさんは幽霊じゃないほうが怖いか __ 確かに男幽霊もいっぱい居るな 個人的に女の印象が強かった 最近はなんか女幽霊全然怖くない、むしろかわいい あの白装束の髪の長い女幽霊像ってどこから来たんだっけ
当時はオカルトブーム、新宗教ブーム、終末思想ブームがあったわけでさ。 今から思えば異常だけど、霊能力者がごく普通にテレビ出るわ、超能力者が科学者と討論するわ、夏になったら必ず心霊写真のコーナーがあって、霊媒師が「これは何とかの霊で……」って言ってタレントがまじめにうんうんって頷いてさ。 あと反原発運動とか、ノストラダムスとか、帝都物語とか。 今から考えたら信じられないほど、「人智には測れない世界がある!」って受容されてたわけよ。 そりゃたいていの人は「そんなわけない」って思ってただろうけど、「ひょっとしたら……?」という空気は色濃くあったよ。 当時オウムを持ち上げてた文化人って、あれは面白半分に取り上げてたんじゃなくて、「科学じゃ認知できない世界があるのかも……」って空気のなかで、大真面目に「修行するぞ!」ってグループが現れて、勢力を拡大してたもんだから、「やべー! ついに来ちゃった?」っ
「人間は魂と肉体から成り立っている(魂は存在する)」 「科学的法則だけで人間が動いているわけではない」 「人間の死後も魂は残る(幽霊になる)」 みたいなのって、せいぜい創作のネタや冗談でしかなく、本気でそういったことを信じているのは一部のオカルトマニアだけ。 とずっと思っていたんだけど、この前とある知人(理系学部卒)が、 「俺は理系だけど、さすがに人間の頭が全部機械みたいに科学で説明できるとは思ってない」 「魂が存在しないとか言うほど冷血人間じゃない」 みたいなこと言ってて、しかも周りがそれに賛同的で、凄くショックだった。 世間一般の平均的な認識って、そんなもんなのか? ここ21世紀だよな? 日本だよな?
子供ができた。 産まれるのはまだ先なので、夫婦間で名づけについてはまだ話し合っていない。 というか、お互い牽制しあっているといったほうが正しい気がする。 なぜなら、自分は「字画なんてまったくもって興味なし。好きな名前を付けたらいい。」という考えに対し、 相手は「字画は重要。それに合わせて名前またはつかう漢字を考えるべき。」という考えだからだ。 以前、何気ない会話の中でこのお互いのスタンスを話した。 そのときはまだ子供を作ろうとしていなかったので、気軽にこういう話ができた。 ただ、お互い「へーぇ」と言いながら、心の中では引っかかる部分があったんだろう。 その後もたまに話したが、「字画なんてどうでもいい」「いや、字画は重要だ」の平行線だった。 でもそろそろこの問題に対して真面目に取り組まなくてはいけない。 あたりまえだけど、わざと悪い字画の名前を付けたいわけじゃない。 付けたい名前で字画が良け
http://anond.hatelabo.jp/20160915153258 タロットカードの大アルカナ,小アルカナ 三元素を唱えたパラケルスス 四元素を唱えたアリストテレス 第5元素エーテル 旧約聖書 死海文書 ソロモン72柱 ユダヤ教 カバラ十字 その中「生命の樹」の各パス名 それを読むためのヘブライ語 旧約聖書偽典エノク書 ペーパー秘密結社 薔薇十字団 隠秘学結社 黄金の夜明け団 フリーメイソン 晩年オカルトを研究してた アイザック・ニュートン 現代最後の魔術師 アレイスター・クローリー イルミナティ あたりおさえておけばokやな
十数年前くらいに読んだ大槻ケンヂのオカルト系のエッセイに 「UFOが実在するか、目撃証言等に信憑性があるかどうかはともかくとして、 UFOの目撃証言とかUFOに関連した陰謀論とか言ってる人間は大抵が 頭が電波すぎて面白くてそれこそがUFOの醍醐味」 みたいなこと言ってたんだけど、 これ今で言うと電磁波攻撃とか集団ストーカーとか思考盗聴とか言ってるYoutuberの電波すぎる言動を 観察してる人達とほとんど同じだよなって思った
心霊写真ブームだったときにテレビに出ていた心霊写真に現れた幽霊はかなりサービス精神満載だった。 カメラ目線だったりいい感じに苦しい表情だったり、何か訴えかけるような目線だったり、それは俳優や女優の類だ。 その中でも一番印象に残ったのは店の宣伝用に撮った写真に写っていた幽霊だ。二枚同時に紹介されたのだが、どちらも同じ風景で赤い靄の場所が違っている。その二枚の写真をつなげると、なんと幽霊が苦しんでいる顔が現れたではないか!霊能力者曰く「地獄の縁で苦しんでいる悪霊が苦しみを訴えている」と言っていた。2枚にまでわたって登場し、かつ2枚重ねるとうまいこと人の顔になると言う演出である。 地獄の縁で苦しんでいるのになぜこの幽霊はこんなにも視聴者を楽しませる演出をしようとするのか。もっと苦しんでいる自分のことを考えればよいのに。もしやこれは日本人の社蓄魂のようなものなのか、この幽霊はサービス業にでも携わっ
今日実家に帰ってきて、自分の部屋の隅にあったぬいぐるみを見てふと感じた。「怖い……」と。 ゲームセンターのUFOキャッチャーで取ったぬいぐるみを何体かつなげて、壁にぶら下げてあったのだ。 別にそのぬいぐるみの形相が恐ろしかったとか、そんなわけのわからないことをした自分が怖くなったとか、そういうわけではなかった。 そのぬいぐるみをつないで、壁にぶら下げた、その行為をした記憶はある。でも、そのとき自分が何を考えていたのか、どういう気持ちだったのか、それをしたあと自分が何をしたのか、まったく覚えていないのだ。 記憶が飛んでいたというわけでもない。単純に時の流れによって記憶から抜け落ちてしまっただけ。 でも、それが怖くなった。その時の自分の気持ちを覚えていられるのは自分だけのはずなのに、その自分すら忘れてしまっているのだ。ほかの誰が知るはずもなく、つまりは世界から完全に消え去ってしまったのだ。 こ
幽霊どころか金縛りにすらあったことがないほどに「霊感」というのがなく、 UFOというのも見たことがないのだが、 一生一度くらい、UFOに遭遇したり、幽霊に驚かされてみてもいいかなと思っている。 で、何となく疑問に思ったのだが、幽霊って素っ裸なことないよね? あの世にいけない魂が幽霊になってこの世に現れるとして、 身にまとっている服は、「衣服の霊」なのだろうか? それとも幽霊と一体化しているのだろうか? 服は脱げるのか? 仮に脱げるとしたら、脱いだ後の服は、どういう存在になるのだろうか? 服自体にも霊魂があって、この世に何か思いを残しているということなのか? 古典的な幽霊は、いわゆる経帷子に三角形のヤツ(名前がわからん)をつけて出てきたりするから そういう場合は、「この世で最後に来ていた服装を身に着けている」ということなのかもしれないが、 必ずしも、そういう服装をしているとは限らない。 鎧兜
ノストラダムス以前と以降で、オカルトの実践的環境はかなり変わってしまった。 ノストラダムス以前だと、オーラの見方とか普通の雑誌にさえ時々載るぐらいだった。 でも、今はそんな事はあり得ない。 オカルト忌避な雰囲気があるし、需要も無い。ムーが未だに発刊されてるけれど、知り合いで買っている人は居ない(僕自身は、飛鳥昭雄の漫画が楽しみなので一応毎月確認している)。 さて。 となると、やれ霊が見えるだの、オーラ視だの、こっくりさんだのは、本当に「漫画の中でしか見かけない」モノになってきてしまっていると思う。妖怪ウォッチを見て妖怪は本当にいるんだ!という人はまずいないだろうが(幼児除く)、例えば学校七不思議だとか、そういったオカルト・ホラー系の漫画雑誌はまだコンビニでちょくちょく見かける事がある。 能力者曰く「見えるんだから見える」世界であり、多分見えない人は一生見えないし、見える人はずっと見えてしま
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