親の老化は突然に。 って突然じゃないけど。
来る2018年の年始に帰省するタイミングで、何か親孝行(母)をしたいと思っている。 父は去り、娘・息子も全員実家を離れ猫2匹と暮らす母だが、年金暮らしで贅沢を出来ない生活も短くない。 なので、せめて帰省を機会にちょっと贅沢なことでもさせてあげられないかと思い、人生経験豊富な先輩の集うこちらにて相談させて頂きたく。 以下、親孝行候補くん達です。 2人で京都旅行(年始すぐにではないけど) 冬物のお買い物デート日常生活の質を上げるプレゼントくらいしか思いつかなかった。 ちなみに、以前FireTV Stickいる?って言ったら、あんまりテレビ見ないしなぁ〜と断られた。 母も齢70、まだ自分で歩け衣食住に支障はないものの、そろそろ考えるべくを考えねばならない年齢なので贅沢な思い出は作ってあげたいと考えつついる。 反面、なんか一発デカイことしてあげたらその反動で...みたいな邪な考えが頭をよぎる。 と
「私、お父さんのこと好きなのよ」 夕飯後、テレビを観ていると母が唐突に呟いた。 母はあまりそう言うことを口にする人ではなかった為、私は内心とても驚いた。 「知ってるけど」 「そうなの?」 「そうじゃなきゃ、私が生まれてないでしょ」 母の反応が面白く笑ってしまった。 「ああ~それもそうなんだけどね。お父さん、絶対に私のこと見つけてくれるの」 「どういうこと」 「はぐれた時とか、私が写ってる集合写真を見た時とか、真っ先に見つけてくれるのよ。大したことじゃないかもしれないけど、それが凄く嬉しくて」 「それは嬉しいでしょ」 「見つけてもらって嬉しいのは私の方なのに、お父さんの方が嬉しそうな顔してるの。笑っちゃうでしょ」 それを「幸せ」と言うんじゃないだろうか。 「言えばいいのに」 「誰に」 「お父さんに」 「ええ~それは無理」 「酷い。明日にでも言いなって」 「考えておく」 空になったコップを持ち
タイトルそのままの話なんだけど、両親の年収が私の想像より1.5倍あった。凄い。でも、それでこの暮らしかあ…と思ってしまった。中の中だと思ってたら中の上と上の下の中間ぐらいでした〜って感じ。(あくまで私の中のバロメーターです) 一人娘の母に丸々入ってくる遺産を貯金に見立てて貯金はしてないし、家賃16万のマンション住まいだけど半分は同居してる祖父が出してる。 ならもっと贅沢出来るんじゃ!?とは思ったもののこの生活がその贅沢してる生活と知ってがっくりです。 でも両親の年収が1億超えてる友達も割と普通の生活送ってるしこんなものなのかなあ? 私の考えるお金持ちの生活っていったいいくらあったら出来るんだ?
上京し、一人暮らしを初めて暫く経つ。 今更になって、実家の暮らしを懐かしむようになってきた。しかしそれは厳密に言えば、弟のいる暮らしを懐かしんでいる、という気分である。 そろそろ肌寒いからだろうか。その影響の無い訳ではないと思う。 ましてや雪国の地方都市にある2DKの団地には子どもに個人の部屋の割り当てがなく、弟と二人で万年敷きっぱなしの布団に寝起きしていたことと関係のないわけではあるまい。 布団の調節に難儀するこのくらいの時期であれば、これまでは寒ければくっついて寝るというだけで解決できていたのである。 一人暮らしになって初めて、その癖が付いていたことに気付いた。弟の居ないこの暮らしは、近々私に風邪をひかせる予感をもたらしている。 大学の友人とするゲームは高校の頃の友人としたそれと変わらないが、やはりマリオカートにおけるセンスというものは弟との日常的な手合わせ、日頃の鍛錬においてこそ磨か
こんな馬鹿みたいな話は誰も信じてくれないだろうけど、外見は父親にそっくりでも絶対に父親じゃない。 09/26日から父親にそっくりな人間が父親として家に帰ってくるようになった。 だが母はそれを父親と認めており、妹は私が姉ではないと言う。 でも妹は妹で別人ではない。 母も私を娘ではないと言うが母は昔から私を娘とは認めてない。 父親にそっくりな人間だけが私を娘であると認めてる。 娘であると認めてることが父親が別人になってる証しでもある。 本物の父親だと私を娘であるとは思わない。 そっくりでも別人である人間が父親になりすましている。犯罪が家庭内に浸食している。 追記 22:51 すみませんでした。上に書いたことは全て祖母が私に伝えてきたことです。 祖母と両親と私の四人で暮らしているのですが、先週から急に私を妹だと思い込み、母を自分の母、息子である父を自分の父のニセ物と思い込むようになりました。 祖
私は成人してから絵を、萌え絵を練習し、同人活動までするようになった系の人だ。 妻も二次元を嗜むが、そういった絵は描けない。 よって娘の〇〇描いて!に応えるのは私となる。 最初はプリキュアだった。 プリキュア視聴を終えた娘は、いつもプリキュア達のお絵かきをしていた。 ある日、私も一緒にやろうと誘われ、頼まれるままに、キュアジェラートを描いてやると、えらく気に入ったようで、それからは私の描いた絵に、娘が色鉛筆で着色するという遊びが始まった。 これは毎週日曜だけだったけど、先日、けものフレンズが朝やっていた頃、私が用意しておいた絵に、けもフレ視聴後に娘が着色し、帰宅後私に見せるという習慣ができた。 最近はほぼ毎日、プリキュアかフレンズ達の絵をリクエストされている。 こうして私は無限塗り絵製造機と化した。 毎日キャラもポーズも、時には絵柄も違う塗り絵だ。 全然苦じゃないし、むしろ楽しいからいいのだ
諸用あり帰省した。 祖父母の元気がいよいよなくなってきているという母親の脅しもあり、高い飛行機のチケットを買った。 「実家で羽を伸ばしてきてね」 という同僚たちの声かけがありがたかったが、帰省には内心うんざりしていた。落ち着けないなと思った。自分がこの世で心底落ち着ける場所は、もはや東京都北区6畳ワンルームの寝床のなかだけな気がしていた。 家族はあまりきれい好きではなくて、というか掃除が大嫌いだから、実家は埃まみれで汚い。もともと自分は不潔な子供だったと思う。お風呂も2日に1回だったが、それが当たり前だと思っていた。 けれども実家がゴミ屋敷めいて汚くなり始めたのは、大学進学に伴って家を出てからだ。自分が関東の大学に進学し、学費のため母親が働くようになり、家の隅々まで気がまわらなくなり汚くなった。つまりは自分のせいだ。 学生となり帰省したある夏、自分の部屋に、お菓子を食べたあとのごみがうず高
昨年、父が定年退職した。 父は40年以上ずっと運送会社で働いていた。趣味も車で、休みの日は必ずドライヴ。テレビも見ない、本も読まない、ネットもやらない。昔はよく料理をしてたけど、今はぜんぜんしてない。 学生時代は映画監督になりたかったらしい。だからだろうか、私が小さいころはよくカメラを持ち歩いていろんなものを撮影しまくっていた。8ミリ? ハンディカム? くわしいことはわからない。とにかくビデオカメラで何でも撮ってた。旅行、運動会、七五三etc でもいつしかそれもやめてしまった。それからは車一筋。ドライヴだけが人生って感じだった。 私は父が心配だった。そんなんじゃボケちゃうよ。それにいくら車が好きだからって、もうなるべく運転は控えて欲しい。年なんだから。 父はひとりで暮らしている。母は私が2才の時に癌で亡くなった。それからずっと父娘で暮らしてきたが、私は3年前に26で結婚して家を出た。 私は
家族の話をしたい。 わたしにはもうすぐ30になる兄がいる。普通に普通な大学を普通に卒業し、今はフリーターをしている。 趣味はない。実家暮らしで、金も入れず毎月稼いだ分をすべてといっていいほど友人との外食と毎日の買い食いに当てている。 朝から昼までなにもせず部屋で寝て、夕方皆が帰宅する頃に毎日何かしらの予定を口にして外出し、皆が寝静まった頃に帰宅する。 バイトは週に3日、それも夕方~夜の4~5時間だけ、コンビニで働いている。月9~10万程度の収入。 両親は正社員になって欲しいと渇望している。父親はまるで病んだようにくらい顔で毎週求人誌を取って来て眺めている。母親は知人に就職の口をことあるごとに聞いて回っている だが兄はほとんど就活をしない。 学生時代就活を全て失敗し、3ヶ月就職浪人したのち、正社員で携帯販売の代理店に就職したが仕事がキツかったらしく、数ヶ月で不登校ならぬ不出社状態に陥り、一年
容赦無くハエたたきで私の尻を叩く鬼に変貌した。 「サタンだね!!」 という訳分からん理由で説教がはじまる。チンピラのインネンでもそこまでじゃないぞ、と思うくらいに理論の破綻具合がすごい。 アニメを見た。 ギャグが下品なマンガを読んだ。 友達と寄り道して遊んだ。 世の中で流行っている歌を歌った。 そんな理由で。 これらは全部「サタン」らしい。 「歯ァくいしばんな!」 というヤンキーかプロレスラーかしか言わないようなセリフは小学生の時から散々聞いた。我が家はガチンコファイトクラブか? 尻を叩いたという報告は母の教育係のようなおばさんに逐一なされていたようだ。 後日「なんでお母さん怒ったか分かる? あなたがサタンのよくない影響を受けないために怒ったのよ。」 とフォローが入るからだ。 いやいや、知らんがな。 私の友達はじゃあみんなサタンなんですか?日本国民超サタンなんですか?やべーっすね! 何より
父にも、叔父にも、そして祖母にとても申し訳ないのだけど、祖母が亡くなってよかったと思っている。祖母が亡くなってから叔父と父の中を割いていたのが祖母だと知った。 本来、叔父と父は中がいい兄弟だったという。それぞれが結婚してから二人は疎遠になった。お互いちょこちょこ実家に帰っていたのに心は離れていく。その原因が祖母だった。祖母は、叔父には父の、父には叔父の悪口を言っていたという。悪口を聞かされる方はそう思っていなくても、聞いているうちにだんだんと悪しき感情が芽生える。だから二人は疎遠になった。 しかし、悪口を言っていた祖母が床にふすと、叔父と父の仲が徐々に改善していった。祖母が他界したあとは、兄弟同士互いの家を頻繁に行き来し、こんなことやるけどくる?なんて気軽に誘い合うようになる。それは子供にも伝染し、私の兄弟一家と従兄弟一家を交えてバーベーキューをしたり、餅つきをしたり、ちょっとしたことで互
よく有名人が片親で育って、もう片方とは縁が切れてるようなものときに複雑な家庭って言われてるけど 本当に複雑な家庭っていうのは 父親ができ婚で兄と姉が生まれてしばらくして離婚して、子供をしばらく施設に預けていたけど収入的な余裕ができたから引き取って育て始めてるときに出会いがあってまたでき婚して 生まれた子供は上の二人とはそれぞれ9歳と7歳離れていたけどそれなりに可愛がってもらっていた一方で新しい母親に馴染めずに嫌っていたときに 父親がDVで新しい母親が自分が生んだ子供だけ連れて出ていってまた離婚してその間、その母親は男狂いの生活をして子供が夜一人でも気にせず水商売で男にちやほやされるのを喜んでいて 父親も父親で友達に人妻を紹介してもらってその人妻に惚れたから自分と結婚し直してもらうように要求して連れ子の女二人も引き取って DVで前の女に連れて行かれていた子供も最終的に引き取ることになって、腹
今日祖父母が入居している老人ホームに家族で新年の挨拶に行った。 祖父母が入居しているのはいわゆる「サ高住」サービス付高齢者向け住宅というやつだ。 都心から遠く離れており、最寄り駅もどこかわからないような場所。 そこには独特の匂いが漂っており、訪れるたびにどこか隔絶された空間のように感じた。 祖父は痴呆が進んでおり家族でも認識ができない状態になっている。 僕は小さい頃祖父に本当に可愛がってもらった。 それだけに変わってしまった祖父の姿を見るたびにどこか寂しさを感じた。 人は歳をとる。 それはどうしようもないことだが、歳をとった先に痴呆になり、 自分が誰かさえもわからないのに、毎日生かされているなんて苦痛ではないか。 正直僕は自分自身としてはそんな状態になってまで生きていたいと思える自信がなかった。 将来、自分が歳をとったらそういう状態になる前にオランダとかに行って安楽死したい。 本気でそう思
「あんたは、なにちゃんだったっけか?」 孫である僕の顔を覗き込む祖母。 まさか自分がこんな、ドラマのワンシーンのような状況に遭遇することになろうとは… 驚愕、混乱、不安、そして、悲しみ。 本当に色々な感情を抱いた時、人はどんな表情も作れないのだと、23にして初めて知った。 年末年始、母方の実家に帰ったときのことである。 「けんちゃんだったかしら」 「・・・そうだよ」 引きつりながら笑って頷く。 なんだ、びっくりした。自分の年齢に乗っかった新手のネタか。 これは一本食わされた。はっはっは。 最初のやり取りはそんな感じだった。 これが本当にネタだったなら、どんなに心穏やかに新年を迎えられたことだろう。 おばあちゃんがボケた。 これまでとは違い、決定的に。 名前を聞いてきたことが、冗談ではなく本気の確認作業だったのだと気付くのに時間はかからなかった。 本当にボケていたのだと最初に確信した時、今ま
父親が死んだとき、生命保険金の半分を母親の額面にすることになった。兄弟の総意だしそれは問題ない。 受取人が俺になっていたから、俺が管理して毎月母親に送金することにした。月20万。でも10年も持たずに使い切ってしまう。 ところが母親は20万では足りないと言ってくる。ペットの病気だの何だの。 だから月22万送金するようになった。減りは早くなった。 でも働ける体じゃないし、大変そうだから、俺が地元に帰って家でも買って生活費用を抑えようと提案してみた。 家を探そうとしたけど、なかなか良いのが見つからない。1700万円ほどの家を見つけたら、そこは部落地区だから止めろと言ってくる。 場所とのバランスを考えて母親が気に入ったのは2700万円ほどする場所。まあ、でもそれは俺のためもあって言ってるんだろう。だから怒るということはなかった。 他の地区と色々検討しているときに、「もし結婚したとして、子供のことを
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く