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小田嶋隆に関するsds-pageのブックマーク (9)

  • 小田嶋隆氏、身障者への配慮を欠いた発言でプチ炎上

    独白、毒吐く🐟️わきまえない養殖 @dokuhaku_dkhk @tako_ashi 早く病院に行きお体ご自愛ください。そして、先日、他人の病を嘲笑ったことを悔いてください。 私は小田嶋さんが病を患われても、それをネタにしようとは思いません。しかし、小田嶋さんが他人の病をネタにしたことについては、小田嶋さんが病であろうとも、猛省を求めます。bit.ly/2I7oy8F pic.twitter.com/24GWnDip3W 2019-04-08 11:21:49

    小田嶋隆氏、身障者への配慮を欠いた発言でプチ炎上
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    sds-page 2019/04/09
    twitterやってるとネトウヨのレベルに引っ張られてどんどんレベル下がる説。twitterのせいで左翼論壇のレベルはネトウヨと五十歩百歩になってしまった
  • 小田嶋隆氏が小池百合子氏を『濃い化粧』と揶揄⇒「顔の痣の話を知らないのか」「容姿攻撃」⇒「本質を隠すとの比喩だ」と議論

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160728-00000056-dal-ent 都知事選に立候補している小池百合子氏が28日、フジテレビ系「直撃LIVE グッディ!」に生出演し、 石原慎太郎氏が増田寛也氏の応援演説で「年増の厚化粧」などとコメントしたことに、 「私は顔にアザがあるので、医療用のものを使っている。そういったことをご存じないのでは」と、余裕の笑みで切り返した。 番組では、MCの安藤優子から「(石原発言は)相当頭来たんじゃないですか?」と切り込まれると 「日の男性であのぐらいの方、直接そういうことおっしゃいません?私も、また言ってらぁ、という感じで。 安藤さんも経験あるんじゃありませんか?」とコメント。 安藤も「あります、あります」とうなずくと、「今日はSPF50のUVカットを使っていて、ちょっと厚いですけど」と ジョーク混じりに前置きし

    小田嶋隆氏が小池百合子氏を『濃い化粧』と揶揄⇒「顔の痣の話を知らないのか」「容姿攻撃」⇒「本質を隠すとの比喩だ」と議論
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    sds-page 2017/10/18
    真意メソッド
  • 彼にみなさんが騙された理由

    テレビの情報番組などでコメンテーターとして活躍していた男性が、経歴を詐称していたということで、ちょっとした騒ぎになっている。 この2日ほどのうちにいくつかのメディアが報道した内容を総合してみるに、件の人物の詐称はなかなか念が入っている。最初の学歴からはじまって、留学経験、MBA資格から、経営コンサルタントとしての業務実態、年商、オフィスの住所、名、出自に至るまでの一通りの要素が「ウソ」であったことが既に明らかになっており、「イケメン」として厚遇される理由になっていた顔も、美容整形の結果である可能性が濃厚なのだという。 この結果に世間が驚いているのかというと、もちろん驚いている人たちもたくさんいるのだが、ネット内の評判では 「そんな気がしていた」 という声が、意外なほど大きい。 「最初からあやしいと思っていた」 「一目見てうさんくさいヤツだと確信していた」 「あの鼻はなにごとだと常々不審に

    彼にみなさんが騙された理由
  • 保育園に落ちた日のこと(小田嶋隆):日経ビジネスオンライン

    「保育園落ちた日死ね」というブログの文章が不思議な反響を呼んでいる(こちら)。 このテキストが、最初にネット上で評判になったのは、2月半ばのことだ。 それが、あれよあれよという間にネットの外の世界に波及し、国会の質疑で引用される展開になった。さらに、新聞紙上で議論を呼び、署名運動を誘発し、最終的には国会前でのデモを主導する一大政治的ムーブメントに発展しつつ現在に至っている。 私がはじめてこのショートテキストを見かけたのは、ツイッターのタイムラインに流れてきた誰かの書き込みから辿り着いたリンク先だったと思う。 一読して、すっかり感心した。 内容もさることながら、21世紀の口語文のテンプレートとして見事な完成度を備えていると思ったからだ。 インターネットの世界には、時おり、この種の話し言葉で書かれた汎用性の高い型見が登場する。 最も有名な例は、いわゆる「吉野家コピペ」だろう。これは名作だ。

    保育園に落ちた日のこと(小田嶋隆):日経ビジネスオンライン
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    sds-page 2016/03/11
    「一億総活躍社会」の矛盾を突いた点が与党に刺さったんでねーかな
  • カナリヤたちの謝罪中継

    この月曜日の夜、フジテレビが通常の編成を急遽変更して全国放送したSMAPの面々による謝罪の生中継は、平均で31.2%、瞬間最高で37.2%の視聴率を記録したのだそうだ(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。 昨今の地上波放送の数字としては、異例の高視聴率だ。それだけ、視聴者の関心が高かったということなのだろうが、私の見るに、この数字のもうひとつの意味は、テレビの役割が、既に「そういうもの」を映す方向に変化しているということだと思う。 「そういうもの」とは、具体的には「生謝罪」のことだ。 21世紀のテレビは、「歌」や「芸」や「ニュース」や「ドラマ」のような「作り手が手間をかけて作りこんだ表現や作品」よりも、テレビタレントや犯罪被害者による「素」の「会見」や「謝罪」のような、「生身の人間の赤裸々な個人情報」を映し出すことに重心を移しつつある。良いことなのか悪いことなのかはわからない。ただ、われわれは

    カナリヤたちの謝罪中継
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    sds-page 2016/01/22
    去年はアイドルキメセク物は虚構じゃなかったことが明らかになったし
  • お花畑は燃えているか:日経ビジネスオンライン

    パリで起こった同時多発テロ事件の衝撃は一瞬のうちの世界中を駆け巡った、というこの書き出しの一行の文体は、なんだか、夕方の民放の情報番組がBGM付きで配信している扇情的なニュース原稿のコピペみたいだ。 実際に、あの事件以来、国際社会の空気は切羽詰まった調子のものに変貌している。 私は、911のテロ事件を受けた半月ほどの間に、アメリカ発のニュース映像の基調がいきなりハリウッドっぽくなったことを思い出している。 ついでにと言っては何だが、東日大震災が起こった後に、私たちの国のメディア状況や世論のあり方が、なにからなにまですっかり変貌してしまったいきさつにも思いを馳せざるを得ない。 世界を世界たらしめているのは、平時の人間の日常的な思想だ。 が、歴史を新しい段階に追いやるのは、非日常のアクシデントだ。 天災や、事故や、組織犯罪や、無慈悲なテロや、偶発的な国境紛争や、狂気に駆られた人間が引き起こす

    お花畑は燃えているか:日経ビジネスオンライン
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    sds-page 2015/11/20
    フセイン、ムバラク、カダフィは上手くやってたのに西側諸国は地獄の釜の蓋開けるだけで満足しちゃったよね。アサドさん所はまだ間に合うかもしれないからそこから始めてみては
  • 「ちょっといい話」としてのイジメ:日経ビジネスオンライン

    いじめの話題は扱いにくい。 このことは、原稿を書いて読み返す度に、いつも思い知らされる。理由は「いじめ」という単語にやっかいな多義性が宿っているからだと思う。 いじめは、辞書的な意味では、「自分より弱い立場にある者を、肉体的・精神的に苦しめること」(大辞林)ぐらいになる。私たちが「いじめ」という言葉に抱くイメージは、もう少し複雑だ。というよりも、いじめ被害者(またはその経験者)と、いじめ加害者(および傍観者)では、同じ言葉を通して思い浮かべる景色がかなり違っている。 だから、この言葉を痛みを伴った感情とともに思い浮かべる人々と、そうでない人々の間では、話が噛み合わない。 実例を見てみよう。紹介するのは、自民党選出の参議院議員、中川雅治氏の公式ホームページに掲載されていた文章だ。 「掲載されていた」と、過去形を使ったのは、当該のホームページが既に消滅しているからだ。 ホームページの中の「教育

    「ちょっといい話」としてのイジメ:日経ビジネスオンライン
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    sds-page 2015/08/07
    「いじめ武勇伝は悪」というコンセンサスが得られれば一歩前進か
  • DVに関する小田嶋隆氏の意見と、それをめぐる議論

    元は新聞投稿のようです。そこへの批判がいろいろある中で、その関係者を小田嶋氏は個人的にも知っているらしく、そういう面も含めて異論を述べ、議論になりました。 ここには収録しきれないものもありますが、「小田嶋氏のツイートへの意見」と「新聞投稿記事への意見」のふたつが並行して進んでいるので多少ややこしいです。

    DVに関する小田嶋隆氏の意見と、それをめぐる議論
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    sds-page 2015/05/04
    種のアポトーシス起きればみんな幸せになれそう
  • ヤジよりも遺憾なこと:日経ビジネスオンライン

    安倍晋三首相のヤジは、不適切だった。 とはいえ、既にご人が非を認めて遺憾の意を表明している。 これで一件落着ということになると思う。 「安倍さんが表明したのは遺憾の意であって謝罪ではない。これでは納得できない」 と息巻いている向きもあるが、一国の首相たる者が「遺憾の意」を表明したことは、やはり重く受けとめるべきだ。なかなかできることではない。 ついでなので、「遺憾」という言葉について前々から思っていたことを明らかにしておきたい。 「遺憾」は、不思議な言葉だ。 いまから17年前の1998年、私は自分のホームページ上に公開していた日記(9月1日記述分)の中で、この「遺憾」という言葉について触れている。以下、引用する。 《ミサイルが飛んできた。 官房長官のコメントは例によって「極めて遺憾」というものだ。 奇妙な言葉だ。 何かこちら側に不始末があった場合も「遺憾」と言うし、逆に相手側に問題があっ

    ヤジよりも遺憾なこと:日経ビジネスオンライン
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