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ブックマーク / reki.hatenablog.com (41)

  • マヨネーズの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by jules フランスの伝統的なソースから世界中で愛される調味料へ 料理をしなくて冷蔵庫が空っぽでも、マヨネーズは常備しているという人は多いのではないでしょうか。 肉・魚・野菜・炭水化物、何にでも合う基の調味料の一つですが、もともとはフランス生まれ。格的なフランス料理に用いられる伝統的なソースの一つでした。 マヨネーズの起源から世界への普及までまとめていきます。 1. マヨネーズの起源とは マヨネーズの起源にはいくつか説がありますが、定説というものは存在しません。 もっとも有名なものが、七年戦争中の1756年6月28日、フランスのリシュリュー公爵が現在のスペイン・メノルカ島にある港町マヨンを陥落させた時のエピソードです。 勝利の祝宴の準備をする際、公爵のシェフはソースを作ろうとしたもののクリームが手に入らず、代用としてオリーブオイルを使いました。果たしてそれが意外に旨く

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    sds-page 2021/02/05
    異世界でマヨネーズ無双は可能っぽい
  • キーボードの歴史 - なぜQWERTY配列が定着したのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    なぜキーボードはQWERTY配列が一般的になったのか 我々が使うパソコンのキーボードの配列は、よほどこだわってない限りQWERTY(クワーティ)配列になっていると思います。 別に何かルールで決まっているわけではなく、単に世界中に広く普及しているだけで、色々な配列が世には存在し、こだわりを持つ人も多くいます。ですが、会社や学校で支給されるパソコンはQWERTY配列なので、いくらこだわりがあっても逃げられない感があります。 QWERTY配列が生まれたきっかけは、タイプライターの性能がよくなく、頻出するキーが近い位置にあると機械が故障するため、わざと頻出キーを遠くに配置しているという説が根強くありますが、この説は現在は疑問が呈されています。 1.  QWERTY配列=タイプライターの故障を防ぐため説 QWERTY配列は文章を打つ際の配列としては効率が悪く、一般的にタイピングの速度が遅くなると言わ

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    sds-page 2020/10/16
    効率を求めて色々いじってるうちに定着しちゃった説
  • マーガリンの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    驚くべき進化を遂げた「バターの代替品」の歩み マーガリンが植物性だということはご存じだと思います。 安いし植物性だからという理由でマーガリンを買う方もいるでしょうし、トランス脂肪酸が体に悪いと考えて意図的に避けている方もいると思います。 マーガリンは「バターの代替品」という出自もあって、長年酪農産業やバター産業からの攻撃や規制を受けてきたし、消費者からも疑惑の目を向けられてきました。 しかし絶え間ない技術革新と進化により、確実に消費者によって信頼され市場を形成してきた歴史があります。 1. マーガリンとは Photo by SpooSpa マーガリンとバターは見た目も味も似ていますがまったく異なります。 バターは乳脂肪を撹拌し固形化させたもの。一方マーガリンは植物性の油を練り合わせたもの。コーン油、大豆油、紅花油など味に合わせて様々な種類の油が用いられています。 乳製品っぽい味がしますが

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    sds-page 2020/03/10
    ライバル潰すために法律作らせるとか資本主義のクソな面が
  • ロシアのシベリア征服の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ウラル山脈を越えてわずか60年でオホーツク海に達したロシア ロシアは御存知の通り世界最大の領土をを持つ国ですが、その大半は広大なシベリアの大地です。シベリアとは具体的には、ウラル山脈以東のことを言います。 こんなところ当に人が住んでるのかと思うような、森林や荒野、永久凍土。人間が住むには厳しい土地が続きます。しかしこんな大地をロシア人は先住民を征服しながら、わずか60年という短い期間で征服してしまいました。 派手ではありませんし、その過程は現代の価値観からすると褒められたもんじゃありませんが、この広大な土地をわずかな期間で征服したのは、歴史上の「偉業」と言えなくはないでしょうか。今回はロシアのシベリア征服の歴史です。 PR 1. シビリ・ハン国の征服 13世紀のバトゥの西進以降、ルーシ諸国を支配下においたジョチ・ウルス(キプチャク・ハン)は15世紀半ばに分裂し、ヴォルガ中流域のカザン・ハ

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    sds-page 2019/11/05
    HoIで東からシベリア横断するのに10年くらいかかった。貧弱なインフラに補給路が悲鳴を上げる
  • なぜガイルはアメリカ人に絶大な人気があるのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    (C) Capcom USA アメリカ人が考える「格好良さ」を体現したガイル ストリートファイターシリーズの主要な登場人物の一人であるガイル。 日を始め多くの国のファンにももちろん人気があるのですが、アメリカではなぜか別格扱いされています。主役級のリュウに匹敵するか、それ以上の人気を誇ります。 なぜガイルはアメリカで人気なのか、アメリカ文化史や社会史の観点から考察していきたいと思います。 なお、この記事はある程度ストリートファイターシリーズについて知っている前提で書きます。ストリートファイターシリーズやガイルについての基的な説明は省いてお話しします。あらかじめご了承ください。 1. アメリカで主役級の扱いであるガイル ガイルがアメリカで人気で、主役級の扱いであることを皆が知ったのは1994年の映画「ストリートファイター」からではないかと思います。 この映画では、ジャン=クロード・ヴァン

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    sds-page 2019/09/03
    アメリカ流の自由と正義は銃社会や自己責任社会と強固に結びついてると思うと一長一短かと
  • 日の丸に似てる国旗 - 日の丸が世界の国旗に影響を与えたというのは本当か? - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    日の丸のデザインが他の国のデザインに影響を与えたというのは当か とある言説によると、アジアを中心に欧米の植民地になっていた国々が独立をする際に、日露戦争や太平洋戦争で欧米相手に戦った有色人種の日の国旗である日の丸のデザインはリスペクトされ、いくつかの国の国旗のモデルになったのだそうです。 耳触りがいいこの言説は広く語れる傾向にあるので、果たしてこれは事実であるのか検証いたしたく、今回は日の丸にデザインが似ている旗の起源を見ていきたいと思います。 1. グリーンランド 氷河と海と沈む太陽 グリーンランドはデンマーク領ですが自治領として独自の旗を持っています。 もともとは他の北欧各国と同じような白・緑・青の十字のデザイン、いわゆる「ノルディッククロス」のデザインでしたが、555ものデザイン案の中から政府が選定し、1985年に正式に制定されました。 さてこのデザインは、白はグリーンランドの8

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    sds-page 2019/06/11
    マケドニアも並べて欲しい
  • なぜチェコとスロバキアは分離したのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    同じ西スラブ族の「兄弟」はなぜ決別したのか かつて中欧には「チェコスロバキア」という国がありました。 1990年以前に教育を受けた人には馴染みがあると思います。 ところがこの国は1993年1月に分離をして、チェコ共和国とスロバキア共和国の2つの国に別れてしまいました。かつてのユーゴスラヴィアのように分離にあたって流血の事態に至らなかったので「あれ?いつの間に?」と思った人もいたのではないかと思います。 そんなに理性的に別れられる知恵があるなら賢く統合を維持できなかったのか?など部外者は考えたりしますが、実際に別れても両国の国民は親密だし、むしろ統合していた時より良好な関係であるようです。 今回はチェコとスロバキアが分離するに至った歴史的な背景をまとめていきます。 1. 1993年のチェコとスロバキアの「円満離婚」 冒頭に述べた通り、1993年1月1日に実施された分離は、一滴の流血や暴動も伴

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  • 第二次世界大戦中のリトアニア史 - ソ連とナチスの占領と抵抗 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ソ連とナチス・ドイツに翻弄された小国の悲劇 リトアニアはかつてポーランドとの連合国家ポーランド・リトアニア共和国として東欧の大国に君臨した栄光ある国です。 しかし史上名高い「ポーランド分割」で、1795年にロシア帝国に併合され、再度独立したのは第一次世界大戦後の1918年のことです。 長年のロシアの支配下で多くのリトアニア人はポーランド化し、歴史的首都のヴィルニュスはポーランド領とされ、国内には多数のドイツ人、ユダヤ人、ポーランド人が住む多民族国家となっていました。 「リトアニア人のためのリトアニア国家」を目指すリトアニアは、周辺各国との軋轢の中で拡張政策を採り、政治・経済のリトアニア化を進めますが、そんな中で発生した第二次世界大戦に巻き込まれ、なすすべなくソ連とナチス・ドイツに蹂躙されてしまいます。 1. 大戦前 - リトアニアの拡張 Work by XrysD リトアニアの独立 191

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  • 【WW2】枢軸国に入る可能性のあった中立国・準枢軸国 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    もしかしたら枢軸国の一翼になっていたかもしれない国 第二次世界大戦における枢軸国の主要参加国は、ドイツ、イタリア、日の三国です。 この他に枢軸国側で参戦した国は、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、スロバキア、クロアチア、フィンランド、タイが挙げられます。その他には傀儡政権がいくつか枢軸国入りしたケースもあります。例えば、ヴィシー・フランス、ギリシャ、アルバニア、ビルマ、ベトナムなどです。 連合国も活発な外交を繰り広げ自陣の国を増やしていたわけですが、枢軸国も様々な外交チャネルや陰謀を駆使して自陣を広げるべく画策していました。 その結果いくつかの国は、何らかの条件が重なれば枢軸国入りをしていた可能性がありましたが、結局中立を保つことになりました。 1. スペイン国 最も枢軸国側での参戦が有力だった国 1936年〜1939年のスペイン内戦は後に第二次世界大戦の実験場と言われた戦いで、ナチス

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    sds-page 2019/02/12
    日本も対米強硬姿勢をとらずに「ソ連に睨みを利かせるため」とか言いくるめてアメリカと満州共同統治とかに持ってけば中国も対抗して枢軸入りしたんじゃないかな
  • フォーの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Codename5281 現代ベトナム史と共に歩んだフォー フォー(phở)は今やあちこちにあるベトナム料理店では必ず提供される麺料理です。コンビニでも売ってたりしますし、インスタント麺になっていたりもします。 あっさりだけどコクのあるスープに、ピロピロした歯ざわりが心地よい米の麺。付け合わせにライムを絞ったり、パクチーやもやしを入れたり、唐辛子酢を入れたりして、味や香りや感を何重にも変えながら一杯の麺を心ゆくまで楽しむのがベトナム流です。 ベトナム料理歴史は長く奥深いものがありますが、実はフォーの歴史はさほど古いものではなく、その起源は1900年頃と考えられています。 1.  多様なベトナムの麺 フォーの歴史に行く前に、「フォーだけではない」ベトナムの麺の種類を紹介します。ご存知の通り、フォーは米粉を水で溶かして固まったところを麺状にしたものです。フォーはハノイを中

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    sds-page 2019/01/25
    ぱんつぁーふぉー
  • 歴史的な価格下落をした6の通貨 - ハイパーインフレはなぜ起こったのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    お金とは何なのか、を考えざるを得ないハイパーインフレの世界 2007年から2009年にかけてジンバブエ・ドルが狂ったようなインフレを起こし、最後は100兆ジンバブエ・ドルまで発行されたのは記憶に新しいと思います。 この件は結構ネタ的に語られることが多かったですが、実際銀行に預金をしていたであろう庶民はたまったもんじゃありません。預金にあった1000万円が、ある日1円まで値下がりしてたみたいな話ですからね。庶民もバカじゃないので、金やドルに変えて持っておくとかそれなりの自衛策はやるんでしょうが、経済や市場は大ダメージを受け庶民生活にも影響があるのは必然でしょう。 今回はかつてハイパーインフレを起こした6の通貨から、どのようなタイミングで起こるものかを学んでいきたいと思います。 1. ハンガリー・ペンゲー(1945-1946) 国民生活の保証のために大量に紙幣を刷ったことで発生 史上起こったハ

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    sds-page 2019/01/15
    供給過多の状況でインフレにするにはもはやヘリマネしかないのか
  • めちゃくちゃ小さいのに領土争いがある地区・島 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Toubletap なんでこんな小さな土地を巡って争うのか? 韓国が実効支配し、日が領有を主張している竹島(韓国名:独島 トクト)は、総面積約0.2平方キロメートルのめちゃくちゃ小さい島です。 第三者からすると、なぜ韓国がこんなちっぽけな島に愛国心をたぎらせ、警備兵を常駐させ、何もないのに観光客が押し寄せているのか全く理解できないんじゃないんでしょうか。 同じように、我々から見ると争うのが馬鹿馬鹿しいほど小さいのに、国家間で領有権争いが続く地域は数多くあります。 1. ポイント20シルバー(シンガポール vs マレーシア) シンガポールの土地埋め立てにより発生した論争 マレー半島の先端にある島国シンガポールは、隣国マレーシアと狭い海峡を挟んで隣り合っています。 両国の国境はシンガポール側にある東のテコン島から西のトゥアス地区まで海域を2分して、陸路である2つの橋と、海上

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    sds-page 2019/01/08
    国連もいちいち解決する気なさそうだしガンダムファイトで決着をつけよう
  • トレビゾンド帝国の歴史 - 黒海にあったビザンツの亡命帝国 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    家崩壊後も生き延びたビザンツ帝国の亡命政権 トレビゾンド帝国は現在のトルコ共和国の一都市トラブゾンに13世紀から15世紀にあった国。 ビザンツ帝国を追われたコムノネス王家が流れ着き、同じキリスト教国のジョージア(グルジア)の支援を受けて成立し、イスラム教国を含む周辺国と協調しながら約250年間も生きながらえました。家ビザンツ帝国はオスマントルコに1453年に滅ぼされますが、トレビゾンド帝国はその後も数年生きながらえました。 今回はかなりマイナーなビザンツ帝国の亡命政権トレビゾンド帝国の歴史のまとめです。 お話は同じキリスト教徒がビザンツ帝国を攻めた第4回十字軍から始まります。 1.  第4回十字軍によるビザンツ帝国の中断 グダグダな第4回十字軍 1187年、エルサレム王国はアイユーブ朝のサラディンに敗れ、エルサレムの街は約200年ぶりにイスラム教徒の手に奪還されました。 これを取り戻さ

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    sds-page 2018/12/11
    アレクシスが出てきた。めっちゃ燃えてた
  • イエス・キリストの「空白の18年間」の謎 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    イエスは若い頃世界各地を放浪していた? 「ルカによる福音書」によると、イエスは12歳の時に両親に連れられてエルサレムの神殿に赴いて教師たちの教えを乞うた出来事の後、賢くたくましく成長し、洗礼者ヨハネによる洗礼を受け30歳の時から宣教を始めたそうです。 この間の18年についての記述は第2章52節の一行だけで、その間にイエスが何をやっていたのか一切不明です。イエスが死亡したのは33歳なので、彼の生涯の大半がよく分からないということになります。 わずか3年で世界を変えた活躍をした人なので、10代後半から20代の活発で多感な時代に何か特別な経験をしたに違いないと考える人は大勢いて、中にはこの空白の18年間の間にイエスは世界を放浪し見聞を深めていたに違いない、と主張する人もいます。 1.  12歳から30歳までの空白の約18年 ルカによる福音書第2章42節から51節は、イエスがエルサレムの神殿で両親

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    sds-page 2018/11/22
    インドの山奥で 修行して
  • 実は存在しなかったと考えられる世界史の人物(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    存在しなかった可能性が高い有名人 前編に引き続き、「実は存在しなかったと考えられる世界史の人物」をピックアップします。 前編は以下の人たちをピックアップしました。 李巌(りがん) ヨハネス20世 アルビダ アルベルト・ダ・ジュッサーノ メネリク1世 クリスチャン・ローゼンクロイツ 梅妃 ウィリアム・テル まだご覧になってない方は、こちらよりどうぞ。 後編は、比較的マイナーな人物を中心にピックアップしてみました。 9. ブリテンの建国者・トロイのブルータス トロイア戦争の末裔によるブリテン建国神話 ブリテン島は様々な神話や伝説が存在する、神話の宝庫のような場所です。 その中でまことしやかに語られるのが、ブリテン島の最初の国王はトロイア戦争の末裔の「トロイのブルータス」という男だというもの。 彼はトロイア戦争の英雄アエネアスの子孫で、ギリシアで奴隷にされていたトロイア人7,000人を解放して船

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    sds-page 2018/05/10
    ゲオルギウスのドラゴン退治ってどんな文脈で出てくるのかと思ったら割と雑だな・・・
  • 実は存在しなかったと考えられる世界史の人物(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    創作の人物の疑いが強い世界史で登場する人物たち 子どもの頃にかつて歴史で学んだ人物が、大人になって実は存在しないことが分かってショックを受ける、ということがあります。 例えば、武蔵坊弁慶や紀伊国屋文左衛門、少しマイナーなところだと後醍醐天皇の孫・尹良親王や、那須与一の弟・那須宗久など、創作の可能性が高いと言われています。 聖徳太子も創作である説もあり、もし当だったら日歴史がひっくり返る大事件です。 日史だけでも数多くいるのですから、世界史にはとてつもなく大勢の「存在しなかった人物」がいます。今回は前後編でそんな人物たちをピックアップします。 1. 李自成のブレーン・李巌(りがん) 優しく強く、貧しい人たちの味方・李巌 一介の駅卒から身を起こした李自成は、大勢力を誇る盗賊団の首領になり、ライバルの軍閥や盗賊団を蹴散らし、とうとう明王朝を倒してしまいます。その後、北方からやってきた満洲

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    sds-page 2018/05/07
    ウィリアム・テルは逆に童話だと思ってた
  • 「城の堀にワニを放って防御力を上げる」ことは本当にあったのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    侵入者が腹ぺこワニにわれるというのはあったのか 以前こんなツイートを見ました。 インドの人と一緒に名古屋城行った時、堀を指差して「これはなんだ?」って聞かれたので「防御のための施設だ。昔は水が張ってあった」って答えたら「あーわかるわかる、ワニ放すんでしょ」って言われたことを思い出した。 — えいち・えむ・えす・ゆりしーず (@hms_ulysses) 2017年11月25日 実際に、防御のために堀などにワニを放つという事例はあったのでしょうか。 ハリウッド映画とかでは、古代の遺跡や城に眠る財宝を巡って主人公と悪役がバトルを繰り広げ、すったもんだあって結局悪役がワニにわれて死亡、ハッピーエンドという結末のものが結構あります。「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」とかそんなオチだった記憶があります。 侵入者を阻むため凶暴なワニを放つのは効果的な気もしますけど、当のところどうだったのでしょう

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    sds-page 2018/04/02
    インド人ならワニと輪になって踊りそう
  • なぜイランではイスラム宗教学者が権力を持っているのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    宗教学者が政治に介入するようになった経緯 ご存知の通り、シーア派の大国イランではウラマー(イスラム宗教学者)の権威が非常に高く、世俗の長である大統領の他に「最高指導者」という職があり高位のウラマーが就くことになっています。 ただし、当であればウラマーではなく、イマーム(信者共同体の最高指導者)が国を治めるべきとされています。しかし最後のイマームであるムハンマド・ムンタザル(マフディー)が9世紀にどこかに「お隠れ」になっている現在、ウラマーが国を代理で治めるという発想です。 しかしどこまでウラマーが法制定や世俗の統治に関与すべきか、宗教学者同士の長い議論があり、現在の政体が生まれたのです。 1. ホメイニ師のイスラム革命 現代のイラン・イスラム共和国は、 1978年のイラン・イスラム革命によって前王朝パフレヴィー朝を打倒してできた政体です 石油利権によって莫大な富を得たイランは、国王モハン

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    sds-page 2018/03/22
    神はそろそろ降臨すべき
  • 日本軍による占領がフィリピン社会に与えた根深い問題 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    悪い意味で何も変えなかった日軍のフィリピン占領 太平洋戦争とその影響が語られる時、日の社会や政治体制、人々の心の面がどう変わったか、あるいは変わっていないか、という面にフォーカスが当たる傾向が多いように思います。 それはそれで大事なのですが、日がおっぱじめた戦争が、他の国々にどれくらい大きな影響を与えたかという視点で語られることはあまり無いように思います。 あっても、「アジア解放に多大な貢献した」とか「住民を殺したり強姦しまくった」みたいな物事を単純化した見方ばかりです。 さて、日軍のフィリピン占領は、実際のところフィリピン社会の土台を揺るがすような変化を何も起こすことはありませんでした。一方で戦後フィリピンの国の選択肢を狭め、国の有り様を決定づける結果になりました。 1. 仮想敵国・日 フィリピンは1901年からアメリカの植民地になっており、当然アメリカの影響力が最も大きかった

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    sds-page 2018/02/26
    戦後も政府軍と共産ゲリラが戦ってたりイスラム系過激派が戦ってたりするフィリピン社会を理解するのは難しい
  • 世界史で有名な女性同士の決闘(デュエル) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    愛のため誇りのため、一対一(サシ)で戦う女たち 以前の記事「世界で有名な人物の「決闘(デュエル)」では、主に国同士の戦いの雌雄を決した決闘を見ていきました。 昔は決闘というのは神聖な意味を持っており、一対一で戦って勝った者は神の加護があると考えられました。法が曖昧で拘束力がなかったため、正しさの判断を神に委ねた結果、決闘をすることにより公正な正しさが分かると考えられたのだと思います。 決闘を行ったのは男だけでなく、日ではあまり考えられませんが、女性もかなり決闘を戦っていました。 今回はヨーロッパの有名な女性のデュエリストを紹介します。 1. アルメリア・ブラッドック嬢 vs エルフィンストーン夫人 (イギリス) 年齢のサバ読みが殺し合いに発展 1792年のロンドン。 友人同士のアルメリア・ブラッドック嬢とエルフィンストーン夫人は、ささいなきっかけで大喧嘩をすることになります。その理由は、

    世界史で有名な女性同士の決闘(デュエル) - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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    sds-page 2017/12/05
    男同士でも戦意喪失で勝敗決するケースが多いとかじゃなかったっけ