世界にはいろんなひとがいる。いいやつも悪いやつもいる。愛も暴力もある。それを知るのが文学を読むとか映画を見るとかいう経験で、それが人文知なるものの原点だと思っていたぼくからすれば、世界を善悪で分けることに忙しい最近の人文学はもはやまったく人文的に見えません。
感染者数が増えると医療逼迫するというなら、がん患者が増えても医療逼迫するし、肥満が増えても医療逼迫するし、交通事故が増えても医療逼迫する。というかそもそも高齢者が増えれば当然医療逼迫する。医療逼迫しないことを目的にするという言説自体がぼくはどうも受け付けないんですよね。
ところでぼくは最近心配なのだが、「感染症リスクの高い場所にいくのはそれだけで他人への加害なのだ」というコロナで一気に一般化したこの発想、もしかしてコロナの流行が去っても残り続けるのだろうか。そうだとすると、インフルエンザが流行する冬はもはや宴会もコミケもなにもかもできなくなるぞ。
「命より大事なものがある」というのは危険なイデオロギーなんでやばいというのが20世紀の哲学の基本的な論調だったんだけど、21世紀の哲学は「命より大事なものはない」というイデオロギーも同じくらいヤバイぞというのを言語化してかないといけないんじゃないかな。最近そんなことを考えてます。
画像張っとく。いまの時点で405RTなんで、国会前に行ったひとはけっこう読んだと思うよ。しかし、安倍政権を批判するために、なんでいきなり、大して会ったこともなくて運動にも無関係な人間を「末路哀れ」とか罵倒しなければいけないわけ?… https://t.co/GHCSPCQOBE
たとえば、むかし都知事選にある候補が出て、若者ということもあり話題を集めファンがつき有名人が応援につき、選挙戦に敗れた後も都の区長選全部に候補を出すとかいっていたのだけど、結局空中分解し、いまではだれも話題にしていない。これわずか1年半前の話。日本はそういう国です。
というわけで、ぼくは義務教育レベルのことも知らない無知な評論家であることを認めましたので、これで終了とさせていただきたいと思います。むろん、ぼくはこれからも無知で行きます。かしこ。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く