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2013年8月30日のブックマーク (2件)

  • 「やる夫で学ぶ百人斬り裁判」の紹介と、証拠や資料の恣意的な評価について - 法華狼の日記

    2ちゃんねる外部の掲示板で投下されていた。編は「>>1」から「>>511」まで。日軍人が処刑された中国の軍事法廷ではなく、日の名誉毀損裁判を要点にしている。 やる夫で学ぶ百人斬り裁判 - やる夫板II - したらば掲示板 南京軍事法廷は拙速だったかもしれないが、処刑された両少尉に全く問題がなかったわけではないこと。自称イザヤ・ベンダサンと多勝一の論争はベンダサンの明らかな勇み足であったこと。日刀は極めて弱いという山七平の批判は根拠が薄弱であったこと。稲田朋美弁護士が原告代理人をつとめた名誉毀損裁判では、さまざまな証拠が裏目に出たり反証されたりして、原告の完敗であったこと。しかし名誉毀損裁判を踏み台にして稲田が政治家へと転身したこと。 ざっと見たところ、ざっくりと全体を追いながら、よくまとまっていると思う。百人斬り裁判は原告側に問題があったといわざるをえないので、素直に「やる夫」

    「やる夫で学ぶ百人斬り裁判」の紹介と、証拠や資料の恣意的な評価について - 法華狼の日記
  • シリア・パルミラ遺跡に後漢の女性?人骨出土 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    シルクロード沿いにあるシリアの世界遺産・パルミラ遺跡の地下墓(2世紀初め)で出土した人骨に、古代中国の女性とみられる骨があったことが、奈良県立橿原考古学研究所などの調査でわかった。 中国の文献に、地下墓ができる少し前に後漢(25~220年)の使節団がローマに向けてこの一帯を通った記録があり、その一員の可能性がある。 地下墓は、シリアの要請で奈良県などが調査、これまで160体余りの人骨が出土した。大半は顔の彫りの深い西アジア系のパルミラ人とみられるが、1991~92年に発掘された1体だけは顔の骨が扁平(へんぺい)で口元が少し張り出していた。中橋孝博・九州大名誉教授(自然人類学)が鑑定したところ、石器時代から中国にいた東アジア系の人々の特徴と一致。骨や歯の特徴から30歳代女性とわかった。 中国歴史書「後漢書」には、後漢の将軍・班超が「大秦」(ローマ帝国)と国交を開くため紀元後97年、甘英を使

    sea_side
    sea_side 2013/08/30
    甘英がローマへ旅をしたのはAD97年、ってことは生まれたのはAD60年代以降。班超が西域へ行った時には10歳以下。もし中国人なら西域で生まれたと考えるのが自然かな?