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アッシリア帝国の検索結果1 - 23 件 / 23件

  • 【保存版】世界史に影響を及ぼした人物ランキングベスト100【世界史入門】~歴史が苦手な人にこそ読んで欲しい~ - 俺の世界史ブログ!~世界の歴史とハードボイルドワンダーランド~

    俺は世界史の面白さをもっと世に広めたいと思っている。 そう思って始めた「俺の世界史ブログ」だが、このブログのあらゆる方面からのトップ10記事に世界史の記事が並んだことはほとんどない。 上位に並ぶのはこのブログの看板と言ってもよい「ベスト100シリーズ」の記事であったり、日本の現状に物申す系の記事だったりする。 www.myworldhistoryblog.com www.myworldhistoryblog.com www.myworldhistoryblog.com これはこれでありがたいことなのであるが、やはり世界史ブログたるもの世界史記事をメインにしたいという思いがある。 そしてこのブログのキャッチコピーが「世界史を面白く」なので、できるだけ面白く読めるようにしたい。 そんな想いもあり、今回は当ブログ初の世界史をテーマにベスト100シリーズを作成することにした。 実際に作ってみるとあ

      【保存版】世界史に影響を及ぼした人物ランキングベスト100【世界史入門】~歴史が苦手な人にこそ読んで欲しい~ - 俺の世界史ブログ!~世界の歴史とハードボイルドワンダーランド~
    • オマーン帝国の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

      インド洋交易を支配した帝国オマーン 帝国といえば、英仏独といったヨーロッパの国や、オスマン帝国、清帝国、ムガル帝国、ロシア帝国といった近代ユーラシアの大国、あるいはもっと時間がくだって、アッシリア帝国とかローマ帝国、ペルシア帝国を想像する方も多いかもしれません。 今日のテーマはオマーン帝国です。 オマーンはアラビア半島の東南部にある国で、首都はマスカット。あまり国際的な知名度が高い国ではありませんが、かつては東アフリカに領土を持ち、インド洋交易を支配する海上帝国、海軍大国でした。 オマーンがどうやって大国に成長したか、解説していきます。 1. ポルトガル支配以前のオマーン オマーンは紀元前から人が集落を作って住んでいましたが、歴史に登場するのは7世紀にイスラムが進出してきてからです。 オマーンのイスラム教は、世界的に見たら少数派であるイバード派が多数派を占めるところに特徴があります。 イバ

        オマーン帝国の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
      • エルサレムで発見の2500年以上前のトイレ、「ジアルジア症」の痕跡

        (CNN) 中東エルサレムで2500年以上前のトイレ2基が発見され、排せつ物のサンプルを分析したところ、下痢を引き起こす寄生虫の痕跡が見つかった――。寄生虫学の専門誌に25日、そんな論文が発表された。 石造りのトイレ2基の下にある汚水溜(だ)めから発掘された物質を分析した結果、下痢を引き起こす寄生虫の痕跡が見つかった。2基のトイレはエリート層のものだったとみられる。 当時のエルサレムはアッシリア帝国の政治・宗教上の拠点として活況を呈しており、8000~2万5000人が暮らしていた。 今回見つかったのは「ジアルジア症」と呼ばれる疾患の最初期の例。この感染症は下痢や腹部の痛み、体重の減少を引き起こす。以前にも現在のトルコに当たるローマ時代の土地や、現在のイスラエルに当たる中世の土地で発見されていた。 論文の筆頭著者を務めた英ケンブリッジ大学考古学部の名誉研究員、ピアーズ・ミッチェル氏は声明で「

          エルサレムで発見の2500年以上前のトイレ、「ジアルジア症」の痕跡
        • 『ネオ・エヌマ・エリシュ 1巻』(マミー作)感想~アッシリア愛に溢れた歴史漫画開幕 | Call of History ー歴史の呼び声ー

          簡単なあらすじカリスマ女子高生ギャル須藤英里(エリちゃん/エリ様)は姉のデートに付き合わされて博物館で見たバビロニアの創世神話「エヌマ・エリシュ」の原本とされる粘土板から聞こえる声に誘われて、気付くと紀元前669年の古代オリエント世界にタイムスリップしてしまいます。 バビロニアの最高神マルドゥクの使いという翼を持った白いライオンの姿を持つパズズの背からエリちゃんが落下した場所は新アッシリア帝国とクシュ・エジプト王国(エジプト第25王朝)が争う戦場。そこでアッシリアの皇子アッシュールバニパルと運命の出会いを果たします。パズズはアッシュールバニパル皇子の庇護下に入ったエリちゃんに、元の世界に戻るためには、七つに割れた「エヌマ・エリシュ」の原本を一つに集める必要があると語ります。 舞台となるアッシリア帝国の略史最近ではセミラミスの名とセットで覚えている人も多いであろう、古代オリエント世界に君臨し

            『ネオ・エヌマ・エリシュ 1巻』(マミー作)感想~アッシリア愛に溢れた歴史漫画開幕 | Call of History ー歴史の呼び声ー
          • 朝日新聞デジタル:古典としての旧約聖書 - 私の研究室から - 立教ジャーナル - 立教大学

            能登半島地震 ウクライナ情勢 速報 朝刊 記事一覧 紙面ビューアー 夕刊 記事一覧 紙面ビューアー 連載 ランキング その他 コメントプラス ニュースの要点 特集 動画・音声・写真 土曜別刷り「be」 記者イベント 天気 数独 12星座占い サイトマップ 検索 ヘルプ Q&A(よくある質問) 総合ガイド お申し込み ログイン マイページ 有料会員紙面ビューアーコース登録済み 無料会員(クーポン適用中)紙面ビューアーコース登録済み 無料会員紙面ビューアーコース登録済み 朝日ID会員 紙面ビューアーコース お客様サポート(個人設定) お客様サポート(個人設定) お客様サポート(個人設定) メール設定 スクラップブック MYキーワード 会員特典・プレゼント 提携プレミアムサービス ログアウト 旧約聖書が人類の古典の一つであるということは、この書がユダヤ教およびキリスト教における信仰の規範書にとど

            • アッカド人とアッカド王国の興亡

              アッカド人は、紀元前2300年頃にメソポタミア地域を統一したセム系民族で、アッカド王国を建設しました。しかし、紀元前2150年頃には衰退しました。アッカド語はオリエントの公用語として広く用いられた言語です。 メソポタミア最初の統一王朝 アッカド人はメソポタミア全域の都市国家を統一し、領域国家を建設しました。彼らの建国者であるサルゴン1世は、メソポタミア南部を支配し、中央集権的な領土国家を築きました。彼は「戦いの王」や「四海の王」と称され、伝説的な存在となりました。 ナラム=シン王の全盛期 ナラム=シン王はサルゴン1世の孫であり、アッカド王国を最盛期に導きました。彼の時代には、アッカド王国は西はアルメニアから東はエラムにまで及びました。 シュメール人の復興とアッカド語の継承 アッカド王朝は約180年間続きましたが、グティ人の侵略により滅亡しました。その後、シュメール人がウル第3王朝を興し、独

                アッカド人とアッカド王国の興亡
              • 鉄器と鉄製農具の歴史的変遷

                小アジア発祥の鉄器文化 西アジアの小アジアは、青銅器に代わる鉄器の発祥地とされています。鉄器の使用は農具や武器としての生産力を高め、統一国家の出現に大きな影響を与えました。製鉄技術の起源は明確ではありませんが、小アジアでのヒッタイトによる本格的な使用が文献で確認されています。彼らは前1680年にハットゥシャシュを首都とするヒッタイト王国を建設し、前1595年にはバビロンを攻撃しました。 鉄器文化の伝播と影響 鉄器は前1400年頃にメソポタミアへ広がり、カフカスを経由して北方のスキタイに伝わり、ユーラシア大陸全体に広まりました。ヒッタイトの衰退と海の民の侵攻により、鉄器生産技術は西アジアや東地中海に拡散しました。アッシリア帝国はヒッタイトから鉄器製造技術を学び、前7世紀にオリエントを統一しました。この時代、ナイル上流のメロエ王国やアフリカ内陸のバントゥー語系諸部族も鉄器文化を持っていました。

                  鉄器と鉄製農具の歴史的変遷
                • 地域格差の人類史(4) - 歩く_草花_想う by tadashian

                  こんにちは、そして、こんばんは、ただっしゃん(@tadashian1)です。 当ブログにお立ち寄り頂き、誠にありがとうございます。 ホモ・サピエンスは認知革命によって他のサピエンス種を絶滅させました。 地理的な要因で差がついた結果、神話(フィクション・虚構)による国家統治が始まります。 勝者となったホモ・サピエンスの中でも中東と他の地域との間でも差が生じます。生産性の高い大麦・小麦・家畜を手に入れた中東が一番早く発展していきました。また、生産性が上がる事で農業をしなくて済む人たちが出てきました。 サピエンス全史著者のユヴァル・ノア・ハラリ氏は言います。サピエンス全史(上)132頁 至るところで支配者やエリート層が台頭し、農耕民の余剰食糧によって暮らし、農耕民は生きて行くのは精一杯の状態に置かれた。 こうして、没収された食料の余剰が、政治や戦争、芸術、哲学の原動力となった。余剰食糧のおかげで

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                  • バビロン:古代の栄光から現代への影響

                    バビロンは、メソポタミア南部のバビロニア地方に栄えた古代都市で、紀元前1900年頃にバビロン第一王朝として繁栄が始まりました。新バビロニアのネブカドネザル王は、ユダ王国を滅ぼし、多くのヘブライ人を捕囚として連れ去りました。紀元前538年、アケメネス朝ペルシアのキュロス2世がバビロンを征服し、捕囚を解放しましたが、その後、バビロンは次第に衰退しました。 バビロン第一王朝の都として、バビロンは「神の門」を意味するマルドゥク神の神殿がある宗教都市から、繁栄した都市へと変貌しました。『旧約聖書』に記されたバベルの塔は、バビロンのジッグラトとされています。ヒッタイトの支配を経て、カッシート(バビロン第三王朝)の支配を受け、アッシリア帝国の下でニネヴェに劣らない都市として栄えました。 新バビロニア時代には、アッシリア帝国の崩壊後、バビロンは再び都となり、ネブカドネザル王(2世)の時代にはバビロン捕囚と

                      バビロン:古代の栄光から現代への影響
                    • バビロニアの興亡と文明の遺産

                      バビロニアは、古代メソポタミア南部に位置し、バビロンを中心とした地域で、バビロン第一王朝から始まり、カッシートの王国や新バビロニア王国など多くの王朝が興亡しました。この地域は、ティグリス・ユーフラテス川流域のオリエント世界の一部であり、北部はアッカド、南部はシュメールと呼ばれ、それぞれアッカド人とシュメール人が居住していました。紀元前3000年頃、シュメール人は青銅器文化を持ち、メソポタミア各地に都市国家を築きました。これらの都市国家は、アッカドによって統一され、その後シュメール人のウル第3王朝によって支配されました。 バビロニア王国は、西から侵入したアムル人によって紀元前1900年頃にバビロンが建設され、バビロン第1王朝が開かれました。特に紀元前18世紀のハンムラビ王の時代には、メソポタミア全域が初めて統一され、ハンムラビ法典が制定されました。 しかし、ハンムラビ王の死後、民族移動の時期

                        バビロニアの興亡と文明の遺産
                      • サルゴン1世:メソポタミアを統一した伝説の王

                        サルゴン1世は、紀元前2300年頃にシュメール人の都市国家を征服し、メソポタミア地域を初めて統一したことで知られるアッカド王国の創設者です。彼は「戦いの王」としても称えられ、その治世はメソポタミアの歴史において重要な転換点となりました。 アッカド王国の興亡 サルゴン1世は、セム語系のアッカド人によって建国されたアッカド王国の王であり、正式にはシャルキン王と呼ばれていました。彼の名前は「真の王」を意味し、彼の碑文には「上の海(地中海)から下の海(ペルシア湾)まで」を支配したと記されています。サルゴン1世はまた、インダス文明やオマーン、バーレーンとの交易を通じて周辺世界との関係を築きました。 彼の孫であるナラム=シン王の時代には、アッカド王国はさらに東西に支配領域を広げ、全盛期を迎えました。しかし、紀元前2150年頃にグティ人の侵略を受けて滅亡し、その後はシュメール人のウル第3王朝が復興しまし

                          サルゴン1世:メソポタミアを統一した伝説の王
                        • ミタンニ(ミッタニ)王国の歴史(B.C.1500頃~B.C.1250頃) | Call of History ー歴史の呼び声ー

                          古代オリエント史「紀元前1400年ごろのオリエント世界」 wikimedia commonsより/ © User:Ayselmemmedzade7 [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)] ミタンニ(ミッタニ)王国(”Mitanni or Mittani”)は前二千年紀後半、紀元前十五世紀頃から前十三世紀半ば頃までイラク北部から地中海東岸にかけての地域を支配下に置いていた古代帝国。住民の大多数は系統不明のフリ(フルリ)人であったと考えられている。現在のシリア北東部にあったといわれる首都ワシュカニが未発見のため、建国の経緯などは不明。 前1440年頃から強国となりエジプト新王国、ヒッタイト、アッシリアなどと争ったが、前十四世紀半ば頃からヒッタイト王国の攻勢により衰退、強大化したアッシリア帝国の攻勢を受け、前

                            ミタンニ(ミッタニ)王国の歴史(B.C.1500頃~B.C.1250頃) | Call of History ー歴史の呼び声ー
                          • エラム人: 古代オリエントの謎の民族

                            エラム人は、紀元前22世紀から前7世紀にかけて、西アジアのイラン高原南西部に栄えた民族です。彼らの起源は不明ながら、イラン高原に最初に居住した民族の一つとされています。エラム王国は、都市スサを中心に繁栄し、前12世紀にはカッシート王国を滅ぼすなど、最盛期を迎えました。しかし、次第に衰退し、前7世紀にアッシリア帝国によって滅ぼされました。 文明の形成と交易 エラム人は、大河流域外で文明を形成しました。彼らは、シュメール人やバビロニア人と交易を行い、インダス文明圏とも接触がありました。エラム線文字の使用や、シュメール人の楔形文字の採用など、文化的な発展も見られます。また、トランス=エラム文明と呼ばれる交易圏を通じて、メソポタミアに多くの資源をもたらしました。 エラム王国の興亡 エラム王国は、アッカドのサルゴン王の碑文にも現れ、メソポタミアに侵攻するなど活発な動きを見せました。前2004年頃には

                              エラム人: 古代オリエントの謎の民族
                            • ユダヤ人

                              ユダヤ人 ヘブライ人に対する民族呼称。ユダヤ教の信者の意味で、自らはイスラエル人と称した。古代においてはパレスチナの地において国家を形成し繁栄したが、前1世紀にローマに征服されてから広く離散した。中世以降のヨーロッパ=キリスト教世界では差別が続き、20世紀ナチス=ドイツによる大迫害に至った。その過程で民族国家樹立を目指すシオニズムが起こり、第二次世界大戦後の1948年にイスラエルを建国したが、パレスチナのアラブ人とは今も激しい民族対立が続いている。 ユダヤ人・ローマ時代 ヘブライ人・イスラエル人・ユダヤ人 他民族からはヘブライ人といわれ、自らはイスラエル人と呼び、バビロン捕囚後にはユダヤ人と言われるようになる。この「ユダヤ人」は、特に『旧約聖書』という民族史を持つこと、民族宗教であるユダヤ教が依然として存続していることなどから、前1500年ごろから現代まで、一貫してその民族性を継承している

                              • 【ネタバレ解説】『NOPE/ノープ』ジョーダン・ピールのハリウッド大作への憧れと復讐 | Fan's Voice | ファンズボイス

                                ※本記事には映画『NOPE/ノープ』のネタバレが含まれます。 2011年頃からだろうか。『アーティスト』(11年)『ラ・ラ・ランド』(12年)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(19年)のような、ハリウッド映画に対するラブレターのような映画を度々目にするようになったのは。最近だと『Mank/マンク』(20年)『リコリス・ピザ』(21年)も記憶に新しい。往年の名作に対する並々ならぬ愛と敬意が込められていて、シネフィルにとっては思わず笑みが溢れてしまうような作品群だ。いずれの作品も観客・批評家共々からも支持が厚いという点で共通している。 ジョーダン・ピール監督最新作『NOPE/ノープ』は、まさにそんな作品群に肩を並べる一作であった。本作に関してピールはEMPIREでのインタビューで「スペクタクル(壮大な景色や出来事)を作りたかったんだ」と述べている。その言葉通り、本作はハリウッド

                                  【ネタバレ解説】『NOPE/ノープ』ジョーダン・ピールのハリウッド大作への憧れと復讐 | Fan's Voice | ファンズボイス
                                • 【歴史ミステリー】タイムトラベル、日本史を遡る旅 - 登山 行蔵の雑談日記

                                  みなさんこんにちは! 前回に続いて【歴史ミステリー】のシリーズ第二弾 日本のルーツを探る旅へ出かけてみましょう。 第一章   目次 ・縄文時代から弥生時代へ ・卑弥呼と同じ時代を生きた天皇 ・三種の神器と十種神宝 ・歴史に隠された日本のルーツ ・縄文時代から弥生時代へ 日本固有の民族宗教である『神道』 第二次世界大戦の敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって「軍国主義の象徴」として神話教育は禁止され、占領体制から独立した後も神話は迷信だとする考えが中心になり、学校で使われる教科書のほとんどでは神話が無視され、現代日本人の多くは日本神話を学ぶ機会がほとんどありません。 もちろん、神話を事実と混同するわけではありませんが、神話を理解し、そこに込められた民族意識を知ることはとても大切なことだと思います。 世界史とつなげて学べ 超日本史 日本人を覚醒させる教科書が教えない歴史 作者:茂

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                                  • エルサレムの遺跡に多数の印影、古代ユダ王国の税務署跡か

                                    エルサレムで見つかった2700年前の印影(2020年7月22日撮影)。(c)MENAHEM KAHANA / AFP 【7月28日 AFP】2700年前の印影が先週、中東エルサレム(Jerusalem)で多数見つかった。古代ユダ(Judah)王国における税の徴収など、統治に関する希少な情報をもたらす発見だ。 エルサレムを中心としていたユダ王国は、紀元前約940年から紀元前586年まで続き、バビロニアのネブカドネザル(Nebuchadnezzar)王によって滅ぼされた。 イスラエル考古学庁(IAA)の発掘調査チームは今回、エルサレム旧市街(Old City)から数キロ離れた現在の西エルサレム(West Jerusalem)のアロナ(Arona)地区で、古代の切石積み壁の一部が残る屋敷群の遺構を発見した。 この遺跡から出土した遺物の中には、壊れた粘土製のつぼの取っ手120個あまりも含まれていた

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                                    • イラクでチャリ爆走してたらシーア派の高位ウラマーに謁見したりテレビ出演する事になった話⑤(最終話)|指笛奏者『限界旅行者、タリバン政権のアフガニスタンへ行く』9/26発売

                                      本をいただいた後「この後時間あるかい?」と聞かれたので今日はこの聖廟を見てその後同伴者の彼の実家にあるクーサという古代都市に行くつもりですと答えたら「ん〜どうしようかな、この後この聖廟で1番の偉い人に会ってもらおうかと考えてたんだけど....」 いやまじか、それってウラマーと謁見できるってことかよ。いつの間にか凄い話になってるぞ。今日1日予想外の事が起こりすぎて頭がついていってない。隣の彼のこの後の予定が気になっていたが彼は「ぜひそうしなさい」と言う。それならばこんなチャンス逃すわけがない。有り難くお話を承った。 広報責任者の彼は「では時間も時間だしお腹空いてるだろう。ご飯を食べに行こうか」と言って聖廟内を歩き出した。彼について行くと地下の大きな食堂に着いた。 「ここは世界各地から来た巡礼者達がここでご飯を食べていくんだよ。ここで提供されるご飯は無料なんだ。」どうやらこのカルバラ内では色ん

                                        イラクでチャリ爆走してたらシーア派の高位ウラマーに謁見したりテレビ出演する事になった話⑤(最終話)|指笛奏者『限界旅行者、タリバン政権のアフガニスタンへ行く』9/26発売
                                      • 【ヨルダン】アンマンの見どころと観光名所まとめ

                                        ヨルダンの首都アンマン。20近くもの丘の上にまたがりながら都市が広がっていったので、起伏の多い街並みが特徴的です。 街の歴史は、紀元前17世紀までさかのぼり、アッシリア帝国、ペルシア帝国、マケドニア帝国、ローマ帝国の他、様々なイスラム系の帝国の統治下で発展しました。その後アンマンは、戦乱や地震などで一時衰退しましたが、1800年代後半から再生し、現在に至ります。 ヨルダン観光と言えば「ペトラ遺跡」や「死海」などが有名なので、「アンマンは空港を利用する際に通過するだけ」、という方も多いかもしれませんが、実際とても魅力的な街です。人々も温厚で、落ち着いた街でした。 さらに、アンマンは美味しいものがたくさん ♪ 首都なだけに、ストリートフードやレストランのセレクションが豊富で、質の高い中東料理が楽しめます。 まず今回の記事では、アンマンの観光名所や見どころをまとめてみました。アンマンで食べた美味

                                          【ヨルダン】アンマンの見どころと観光名所まとめ
                                        • 『岩波講座 世界歴史』全巻構成 - 岩波書店

                                          ■展望(Perspective) 当該巻の時代・地域の全体をカバーする。当該巻の通史・枠組みを主として、なぜそのような巻の区切り方にしたかの意図なども論じ、つづく各論に対する方向性をしめす。 ■問題群(Inquiry) 「展望(Perspective)」で叙述したことのうち、とくに重要と思われるテーマを取り上げ、広がりをもちつつ論じる。当該巻で区切った時代・地域をバランスよく扱い、「展望」と合わせ読むことで、当該巻で扱う範囲全体がカバーされることを目指す。 ■焦点(Focus) 「展望」や「問題群」で扱ったことのうち、個別に焦点をあてて掘り下げたほうがよいトピック、あるいは両者で扱いきれなかった論点を拾い補完するようなトピックを論じる。同じトピックを扱う他巻「焦点」との接続も意識する。 【全24巻の構成】 責任編集:小川幸司 本講座の編集方針と構成……編集委員 ■展望(Perspectiv

                                            『岩波講座 世界歴史』全巻構成 - 岩波書店
                                          • お金の流れでわかる世界の歴史 大村大次郎 その1 - 悪魔の尻尾

                                            元国税局の大村大次郎さんが書いた本ですね。 非常に勉強になる本です。 多くのブログなどでも紹介されていますね。 ちょっと書き始めて、長くなりそうなので、何度か分割していきますね。 リンク 序 「お金の流れ」で読み解くと、「世界史の見え方」はガラリと変わる! 第1章 古代エジプト・古代ローマは”脱税”で滅んだ 第2章 ユダヤと中国 太古から”金融”に強い人々 序 「お金の流れ」で読み解くと、「世界史の見え方」はガラリと変わる! 歴史というのは権力者の流れや戦争での勝者敗者が中心となって語られることが多いですが、本当は歴史を作ってきたのは経済、いわばお金です。 確かに歴史を見れば、その背景にはお金の問題が絡んできます。 殺人事件を見ても、個人的なものは私怨などで金銭的な理由が薄いものがありますが、巨大な犯罪となると、その裏には必ず巨大な利権やお金が絡んでいるものなのです。 国家の盛衰も戦争のき

                                              お金の流れでわかる世界の歴史 大村大次郎 その1 - 悪魔の尻尾
                                            • 北キプロスのトルコ軍占領区域に日本人で1番乗りしちゃった話|指笛奏者『限界旅行者、タリバン政権のアフガニスタンへ行く』9/26発売

                                              本noteは決して北キプロストルコ共和国の渡航を薦めるものではございません。当地はトルコの保護国であり国家承認しているのは唯一トルコだけです。つまりトルコ大使館以外の在外公館が存在しません。何かあっても自己責任です。(とまぁ一応お決まりのご注釈をつけているが地域大国トルコの強力な軍事力により治安は非常に安定しており未承認国家としてはかなり難易度が低い国である。) 最初に言っておく、読者にギリシャ人いたらごめん。多分絶対に許してくれんと思うけど。 今から嬉々として書く内容は分かりやすく言うとアメリカ人が「韓国側から竹島入ったぜイェーイ!」みたいな感じである。日本人は領土問題に疎い人が多いのでこう言われても怒らない人多いだろうがギリシャ人がこれを聞いたら激昂してもおかしくない。今回はそう言うお話である。 背景まずそもそもキプロスってどこ?何でそんな揉めてんの?という方が殆どなので簡単に説明しよ

                                                北キプロスのトルコ軍占領区域に日本人で1番乗りしちゃった話|指笛奏者『限界旅行者、タリバン政権のアフガニスタンへ行く』9/26発売
                                              • 「世界一危険なダム」、決壊なら死者は150万人にも、イラク

                                                「世界で最も危険」とされるイラクのモスルダム。決壊すれば約60キロ南にある都市モスルが水没すると予想される。2016年9月に撮影。(PHOTOGRAPH BY VICTOR BLUE) イラクの国内で最大のダムが「何の前触れなく突発的に決壊するとういう深刻かつ前例のないリスクにさらされて」おり、もし崩壊して人々の避難が遅れれば、50万人から約150万人が亡くなる恐れがある。そうした報告書を踏まえて、バグダッドにある米国大使館が、北部の都市モスルのおよそ60キロ北にあるモスルダムの決壊に備えよというメッセージを発したのは2016年2月だった。 その後、イタリア政府の援助によりダムの修復は進められた。ダムの保守管理と下流に暮らす数百万人の住民を守るため、イタリアは引き続きイラク政府を支援しているが、決壊の危険は今も去っていないと多くの関係者は指摘する。(参考記事:「豪雨で壊滅的被害の恐れ、「ロ

                                                  「世界一危険なダム」、決壊なら死者は150万人にも、イラク
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