並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 13 件 / 13件

新着順 人気順

ワシントン会議 内容の検索結果1 - 13 件 / 13件

  • nix in desertis:2023受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(慶應大)

    今年も無事に公開に至ることができた。3巻が好評発売中なので,過去の年度,特に早慶・国公立以外を見たい方はぜひお買い求めください(初手宣伝)。 <収録の基準と分類> 基準は例年と同じである。 出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。 悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。 → 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作問者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。 奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。 難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。本記事で言及する「受験世界史の範囲」は,「山川の『用

    • 【地政学編 アメリカ(2)】~世界の経済・軍事の頂点!全世界の海洋を支配する最強の覇権国家!~ | クラッドの投資で自由を掴むブログ

      皆さんこんにちわです。 クラッド(@kura_x_tudo)です。 いつも【クラッドの投資で自由を掴むブログ】を見て頂きありがとうございます。 今回はアメリカ合衆国という国家を地政学の視点からお話したいと思います。 アメリカ合衆国の概要 アメリカ合衆国の概要 アメリカ合衆国(以下:アメリカ)は50の州および連邦区からなら連邦共和国制国家である。 国土面積は世界第3位、人口も世界第3位であり、世界最大の経済規模を有している。 アメリカ本土48州は北アメリカ大陸の中央部に位置し、アラスカ州は北アメリカ大陸北西部、 ハワイ州は中部太平洋の島嶼部に位置する。 世界中から移民を受け入れており、移民により成立した歴史を持ち、現在でも世界中から 多くの移民が移り住む国家である。 広大な国土には多種多少な自然環境と動植物、豊富な鉱物資源を有しており、世界中のほぼ 全ての気候を有しているとされる。 GDPに

        【地政学編 アメリカ(2)】~世界の経済・軍事の頂点!全世界の海洋を支配する最強の覇権国家!~ | クラッドの投資で自由を掴むブログ
      • 松岡洋右が若い世代に語った講演集『少年に語る』、『青年よ起て』

        松岡洋右は明治十三年(1880年)に廻船問屋の四男として山口県に生まれたが、十一歳の時に父親が事業に失敗して破産してしまい、十四歳の時にアメリカに渡り、働きながら学校に通った。彼は著書に「アメリカでルンペンをやりました」と書いているが、早朝から薪割りを命じられるなど、使用人としてのノルマをこなしながらの通学であったという。 少年時代の米国留学時に日清戦争が勃発した時の体験 今回紹介したい本は、昭和十一年に松岡洋右が中国の大連で、小学校の生徒と父兄に対して講演した内容を書き起こした『少年に語る』という本の一節であるが、彼がアメリカに渡ってしばらくして日清戦争が始まり、その頃の体験について述べている部分がある。 日清戦争が始まりますと、多くの人は、日本という国があることを知らぬのであるから一体どういう戦争が始まったのだろうかという訳なのである。そうすると、支那に日本と名の付く省が、即ち地方が一

          松岡洋右が若い世代に語った講演集『少年に語る』、『青年よ起て』
        • 朝日新聞社が、戦前・戦中に刊行した本~~『植民地の再分割』『米国への判決』『陸軍』

          著作権保護期間終了しても多くの書籍が国会図書館でネット非公開 一昔前の大手新聞社は世界各地に特派員を送り込んで様々な情報を集め、今よりもはるかに質の高い記事を載せていた。本屋には、大手新聞社が発行した国際情勢や時事問題に関する解説書が平台に並び、毎月数多くの本が出版されていたのだが、今ではすっかりその勢いを失い、情報の質の低下は否めず、読者離れが止まらない。しかしながらかつての新聞は最大の情報源であり、読者の信頼も強く、出版物もよく売れていた。 戦前・戦中の朝日新聞社が出版した書物は膨大であり、歴史に関わる書物に限定しても結構な点数になる。新聞社の中では朝日新聞の刊行書籍が最も多くGHQによって焚書処分されたのだが、焚書処分を受けなかった書籍についてもその多くが未だにネット公開されていない。 国立国会図書館のルールでは、デジタル化された書物は、著作権保護期間が終了すれば「国立国会図書館デジ

            朝日新聞社が、戦前・戦中に刊行した本~~『植民地の再分割』『米国への判決』『陸軍』
          • 戦前期にファシズムが台頭していった頃の新聞記事を読む~~その1

            戦後の歴史叙述では「ファシズム」について、共産主義や社会主義への台頭への反動といういうニュアンスで解説されていることが大半だが、わが国における「ファシズムの台頭」の経緯について、当時の新聞記事で確認してみたい。 「神戸大学新聞記事文庫」における新聞の見出しで、わが国のファッショ運動が新聞の見出しに出たのは昭和六年十二月二十八日の「神戸新聞」である。日本より先に全世界でファシズムの嵐が吹き荒れていたという。 昭和6年12月28日 神戸新聞 神戸大学経済経営研究所所蔵 新聞記事文庫 昭和六年(1931年)十二月に第二次若槻民政党内閣が崩壊し犬養政友会内閣が出現したが、この時に民政党は二百七十名の絶対多数に基礎を置きながら、少数党である政友会と挙国一致の連立内閣を作った経緯について、こう解説されている。文中の「安達氏」は第二次若槻内閣時の内務大臣・安達謙蔵で、民政党の内部から政友会との協力内閣を

              戦前期にファシズムが台頭していった頃の新聞記事を読む~~その1
            • 日本を弱体化させた資本主義的外交心理 白柳秀湖『日本外交の血路』を読む4

              経済界が日米外交に多大な影響を与えて来た 前回に引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)の一部を紹介させていただく。前回は、わが国の外交が経済界の意向を受けてワシントン会議(1921~22年)以降に方針転換がなされたことを書いたが、それ以前の外交も同様に経済界の意向を強く受けていたのである。しかしながら経済界の主張は、ワシントン会議では平和主義を唱えながら、話題が満州になると態度を一変して軍閥を後押しせよと主張し、米国の排日問題に関しては沈黙するなど全く一貫性がなかった。 満州の鞍山製鉄所 日本製鉄八幡製鉄所と遜色のない規模であった 満州における日本の利権を覆されることは、ただちに満州における工業の根を枯らされることに当たる。根を枯らされては、元も子もなくなってしまう。元も子もなしにされてしまうことは、多少の犠牲に変えられぬ。一戦を賭しても、あるいは国民の血の最後の一滴となるまで

                日本を弱体化させた資本主義的外交心理 白柳秀湖『日本外交の血路』を読む4
              • 佐々木雄一『近代日本外交史』(中公新書) 8点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

                11月17 佐々木雄一『近代日本外交史』(中公新書) 8点 カテゴリ:歴史・宗教8点 ペリー来航から太平洋戦争が終わるまでの近代日本外交史の歩みをたどったもの。著者は以前に同じ中公新書から『陸奥宗光』を出していますが、それとはまたガラッとスタイルが違います。 「あとがき」にも書いてあるように、『陸奥宗光』はぎっしりと情報の詰まった本で、「その感じで「近代日本外交史」をやったら500ページあっても足りないのでは?」と現物を見る前は思っていましたが、本書は本文で215ページほどとコンパクトな形になっています。 そのため、個々の出来事についてはそれほど深く追求せず、外務省を中心とした日本の外交の流れがわかるような形でまとめられています。 ただ、それでも読んでいいくと著者のこだわりが感じられる部分も多く、複数の著者による教科書的なものとは違う一貫した視座もあります。 さらに巻末には詳細な文献案内も

                • GHQが最初に没収を命じた10点の書籍~~大東亜戦争調査会編『米英挑戦の真相』

                  この覚書には、これらの書籍を「パルプに再生するため」に中央倉庫に指示命令が出るまで保管するとともに、毎月十五日と末日に、没収書籍のタイトル別の数量、タイトル別の刊行数量、各出所ごとの蒐集刊行物のタイトルと数量、全重量、保管場所をまとめてGHQに報告書の提出を命じている。 「宣伝用刊行物の没収」に関する指令はこの覚書を第一回とし、以降昭和二十三年四月十五日まで計四十八回出されているのだが、没収対象とされた書籍は重複を省くと全部で七千百点程度となる。 GHQが最初に没収を指定した書籍に何が書かれているかは興味深いところだが、ネット公開されている『米英挑戦の真相』の文章の最後の部分を紹介したい。この本は「大東亜戦争調査会」から出された最初の本で、当時の世界情勢を冷静に分析しており、わが国がどのような状況に置かれていたかを知ることができる。 米国が日露戦争直後より今次開戦直前に至るまで、あるいは排

                    GHQが最初に没収を命じた10点の書籍~~大東亜戦争調査会編『米英挑戦の真相』
                  • 戦前の日本外交は何を誤ってきたのか……白柳秀湖『日本外交の血路』を読む1

                    白柳秀湖(しらやなぎ しゅうこ)は、早稲田大学文学部哲学科に在学中に堺利彦・幸徳秋水らの影響を受け社会主義思想に接近し、プロレタリア文学運動の先駆となる作品をいくつか残したが、大逆事件以後社会主義とは縁を切り、文学ともはなれ、在野の歴史家、社会評論家として多くの著書を残している。 白柳の著作のうち4点がGHQによって焚書処分されているが、今回は昭和七年に刊行された『日本外交の血路』という本を紹介させていただきたい。彼の社会評論は過去の歴史を紐解いてその時代を読み解いていくスタイルで、非常に面白く説得力がある。 孤立はそれほど悲観すべきではない この本の冒頭に白柳は、昭和六年九月に始まった満州事変のことを書いている。文中の中で何度か「欧州大戦」という言葉が出てくるが、今でいう「第一次世界大戦」のことである。 欧州の近世史は、フランスが欧州を支配するか、イギリスが欧州を支配するかの競争で幕が開

                      戦前の日本外交は何を誤ってきたのか……白柳秀湖『日本外交の血路』を読む1
                    • 満州事変後の中国の世論工作~~大泉忠敬『支那新聞排日ぶり』(GHQ焚書)を読む その2

                      満州事変直後、ソ連もアメリカも出兵したと報じた中国 今もお隣の国の報道をそのまま信用することは危険だが、その点については昔も同様で、この国の新聞は平気で世界に嘘情報をまき散らす。満州事変が勃発したのは昭和六年九月十八日の夜だが、その直後に支那の新聞が報じていた内容は興味深いものがある。 支那側が、事件発生するや早くも、世界各国にまことしやかなデマを飛ばし、自国側を有利な立場に導いたことは前に記したところであるが、その後各国が如何に暴日に憤慨し、支那に同情を与えたかを記し、一は益々外国をして日本を牽制せしめ、一は国内に向かって政府の正義、悪逆日本を宣伝し、排日の気勢を煽ることにつとめた。遂には米国、露国の出兵記事とまでなって表れるに至った。 (九月二十一日民国日報) ◇ソヴィエトロシア出兵。鉄道守備の準備を開始す。 (天津発電) マンチュリ来電、ハルピン消息に拠れば、×××のソヴィエトロシア

                        満州事変後の中国の世論工作~~大泉忠敬『支那新聞排日ぶり』(GHQ焚書)を読む その2
                      • 「五・一五事変の史的考察」 白柳秀湖『日本外交の血路』を読む2

                        武士・兵士の生活の途を奪うということ 五・一五事件を報じる東京朝日新聞号外 Wikipediaより 今回も引き続き『日本外交の血路』(GHQ焚書)の内容紹介だが、「五・一五事変の史的考察」との題で書かれた白柳の文章をほぼ全文紹介させていただくことにしたい。彼がこの本を著した昭和七年(1932年)の五月十五日に、有名な「五・一五事件」が起きたのだが、彼はこの事件を「五・一五事変」と書いている。「事件」と「事変」の違いは、「事変」の方がより規模が大きく、「狭義では、警察力では鎮め得ない騒乱を指す」などと解説されているのだが、青年将校が首相官邸を襲って犬養毅首相を暗殺した大事件であり、「事変」と呼ばれてもおかしくないとは思う。「国立国会図書館デジタルコレクション」で戦前戦中の本や論文を調べると、この事件について「五・一五事変」と書いていた事例それほど多くはなく、戦前戦中から「五・一五事件」と呼ぶ

                          「五・一五事変の史的考察」 白柳秀湖『日本外交の血路』を読む2
                        • 経済界が歪めた戦前の対米外交 白柳秀湖『日本外交の血路』を読む3

                          前回記事で大正十年(1921年)のワシントン軍縮条約や昭和三年(1928年)のパリ不戦条約が締結されて以降、わが国の外交当局や新聞記者、思想界が、経済界の意向を受けて軍部を悪しざまに罵るようになり、五・一五事件で軍部の不満が爆発したという内容の短い白柳の文章を紹介させていただいた。では具体的に、当時軍部についてどのように議論されていたのであろうか。 国民に強い覚悟がなければ、強い外交交渉は出来ない 『日本外交の血路』(GHQ焚書)に、大正十一年十月にカナダ首都であるオタワ総領事であった太田為吉に会った時の記録が残されている。太田総領事の前職は米国サンフランシスコの総領事で、その時にアメリカの排日運動を経験し、またワシントン会議では日本全権の一随員となり、日本外交の難局に立ち向かって来た人物である。彼が白柳に以下のようなことを語ったという。 私どものような立場にある者が…たまたま帰朝を命じら

                            経済界が歪めた戦前の対米外交 白柳秀湖『日本外交の血路』を読む3
                          • 日本外交の勝利? ロンドン軍縮条約での巡洋艦保有量 計算したらアメリカ上回った!(乗りものニュース) - Yahoo!ニュース

                            1923(大正12)年に発効したワシントン海軍軍縮条約(以下ワシントン条約)は、各国が保有する戦艦と巡洋戦艦を合わせたいわゆる主力艦、そして航空母艦などの保有量に制限をかけました。日本は、アメリカやイギリスに対して6割の保有量とされたものの、巡洋艦や駆逐艦などのいわゆる補助艦、そして潜水艦の保有量に制限がなかったことから、この部分で建造競争が始まったのです。 【立派な艦容】重巡洋艦「青葉」「高雄」「利根」ほか この結果、のちに補助艦などで新たな制限が設けられることとなりました。この補助艦などの制限を設けるために結ばれたのがロンドン海軍軍縮条約だったのですが、重巡洋艦の保有比率が対アメリカの6割に抑えられたことが、日本の世論を巻き込んだ大問題に発展します。こうした経緯から、一般的には日本にとって不利な不平等条約と思われる向きもあったりするものの、内容を精査してみると、日本はしたたかな振る舞い

                              日本外交の勝利? ロンドン軍縮条約での巡洋艦保有量 計算したらアメリカ上回った!(乗りものニュース) - Yahoo!ニュース
                            1