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今村明恒とはの検索結果1 - 10 件 / 10件

  • 【日本の元気 山根一眞】日本唯一の「雑誌図書館」を守りたい 「大宅壮一文庫」がなければ取材や執筆は成り立たない(1/2ページ)

    大宅壮一文庫理事長は評論家の大宅映子さん。後ろの書棚の写真は大宅壮一氏と初代理事長、大宅夫人の昌さん。最近行った対談の際に山根事務所スタッフが撮影 1923(大正12)年9月1日、相模湾を震源とする関東大震災が発生した。東京都心は大火災に見舞われ、首都は壊滅。死者・行方不明者は10万5000人。その犠牲者の87%が焼死という生き地獄だった。 その関東大震災を予測し、想定焼失戸数や死者数を18年前の1905(明治38)年9月に発表した偉大な地震学者がいた。今村明恒(1870~1948年)だ。 雑誌『太陽』(博文館)に「市街地に於る地震の生命及財産に對する損害を輕減する簡法」という一文を寄稿したが、一般向け雑誌であったため大反響があり、その後「ほら吹き」という批判にさらされることにもなった。2013年には『関東大震災を予知した二人の男 大森房吉と今村明恒』(上山明博著、産経新聞出版発行)という

      【日本の元気 山根一眞】日本唯一の「雑誌図書館」を守りたい 「大宅壮一文庫」がなければ取材や執筆は成り立たない(1/2ページ)
    • 天災は忘れた頃にやってくる - Wikipedia

      天災は忘れた頃にやってくる(てんさいはわすれたころにやってくる)とは、自然災害はその被害を忘れたときに再び起こるものだという戒め[1]。「天災は忘れられたる頃来る[2]」、「天災は忘れた頃来る[3]」、「天災は忘れられた頃に来る[4]」などとも記述される。また、上記の「天災」の箇所は「災害」と書かれることもある[5]。科学者で随筆家の寺田寅彦による言葉[6]。 寅彦と防災[編集] 寺田寅彦 寺田寅彦は研究者として火災や地震などの災害に関心を持っていたが、1923年の関東大震災発生後は、これまで以上に深い関心を示すようになった[7]。地震発生時、上野の二科展会場にいた寅彦は、自分のいる建物の無事を確認すると、「此珍しい強震の振動の経過を出来るだけ精しく観察しよう」と、その場に留まり、建物の様子などを観察した[8][9]。続いて東京市内の焼け跡を回り、地震被害を調べた[10]。 寅彦はその後、

      • かつては田園地帯だった「昭和新山」 - もっともっと北海道~もっと知りたい知ってほしい北海道

        昭和新山 昭和新山について 約2万年前洞爺湖をかたちづくる洞爺カルデラの南麓に有珠山が形成されました。有珠山は、その後何度も噴火を繰り返し、約7千年前山体崩壊が発生し、その際南側に口を開けた直径約1.8 kmの馬蹄形カルデラが形成されました。数々の噴火を繰り返した有珠山の歴史の中で、1944年~1945年の噴火が昭和新山の誕生となります。壮瞥町の東九万坪と呼ばれる地域で次第に地盤が隆起しはじめ、もとは標高100 m あまりの台地だったところが、潜在ドームの形成により250 m ほどの山となり、火口から溶岩ドームが現れ始めました。この潜在ドームと溶岩ドームは成長を続け、標高は400 m を超えました。この新山は田中館秀三*1により昭和新山と名付けられたのです。 噴火当時は第二次世界大戦の最中であり、世間の動揺を抑えるために噴火の事実は伏せられ、公的な観測を行うことはできませんでした。ところが

          かつては田園地帯だった「昭和新山」 - もっともっと北海道~もっと知りたい知ってほしい北海道
        • 関東大震災の「火災旋風」を報じた新聞記事

          このブログで関東大震災について五回に分けて書いたことがある。東京では銀座も日本橋も焼け、神田も浅草も焦土となったのだが、最大の被害が出た場所は本所区本所横綱町(現在の墨田区横綱)にあった本所被服廠跡(現:横綱公園、両国中学、日大第一中・高等学校など)で、この場所で三万八千人もの人々が焼け死んでしまった。ここにはかつて陸軍の被服廠が存在したのだが、大正八年(1903年)に王子区赤羽台に移転され、二万坪を越える跡地は大正十一年(1922年)に逓信省と東京市に払い下げられて、運動公園や学校が整備される予定であったという。 そして大正十二年(1923年)九月一日に関東大震災が発生し、東京の各地で火災が発生したため、近隣の多くの人々が家財道具を運んで本所被服廠跡に避難したのだが、なぜ広大な空き地に避難した多くの人々が焼死してしまったのだろうか。 教科書などには何も書かれていないのだが、当時の新聞には

            関東大震災の「火災旋風」を報じた新聞記事
          • 妖精? 妖怪? 目撃相次ぐ謎生物「ケサランパサラン」とは何なのか?

            ガガイモの成熟した綿毛。植物に疎い現代人の盲点をつくように謎の生物に 科学文明が発展し、世界にある不思議な出来事や事物の謎が駆逐されていく現代。それでも未確認生物や不可解な現象の目撃は未だに後を絶たず、つい先月には、アメリカ合衆国の情報機関のトップである国家情報機関室が未確認飛行物体(UFO)の報告書を公開し、科学的に説明がつかない謎の飛行物体が実際に確認されていることを明かして話題となりました。日本でも多くの未確認生物や現象が話題となっていますが、その中のひとつにかわいらしい外見の『ケサランパサラン』があります。季節的には7月ごろから秋にかけて、目撃されることが多くなります。なぜなのでしょうか。 会いに行けるUMAケサランパサラン。その概要 セイヨウオニアザミ。風に乗ると意思があるように動き回ります 全国各地には、真贋はともかくとして河童や人魚、龍などのミイラや骨と伝わる伝説の遺物が保存

              妖精? 妖怪? 目撃相次ぐ謎生物「ケサランパサラン」とは何なのか?
            • 関東大震災100年(1)二人の地震学者と社会 平和と沈黙(2023) - tn198403s 高校時代blog

              2023年は関東大震災から100年。 この1年、関東大震災について知らずにいたことが数多くあるとわかり、そのイメージが大きく変わりました。 地震に限らず、予想を超える事態が迫る時、それを見抜く力と、それを受け入れる強い意志と柔軟な対応が大事なのだろうと思いました。そして、それを個人や家族単位だけではなく、集団として機能させる難しさ、一方で、それが事態の改善や悪化に大きく影響するとも思いました。 何回かに分けて記事にする予定です。 地震発生前 二人の学者 大森房吉 今村明恒 二人と社会の関係 二人の関係 マスコミと社会の関心 歴史年表 地震発生前 二人の学者 関東大震災が発生する前に、東京で大地震が起きることを予測した学者が二人いました。関東大地震を「予知できなかった男」と言われた東京帝国大学地震学教室教授・大森房吉(おおもり ふさきち)と、「予知した男」と呼ばれた同助教授・今村明恒(いまむ

                関東大震災100年(1)二人の地震学者と社会 平和と沈黙(2023) - tn198403s 高校時代blog
              • 10分以上揺れ続けた 関東大震災 / 地震波到達シミュレーション / 緊急地震速報、津波警報、NHKニュース、首都直下地震

                大正12年(1923年)9月1日(土) 11時58分31.6秒に神奈川県で発生した巨大地震で、約10万5000人が亡くなった日本史上最悪の震災を、関東大震災と呼びます。 字幕の表示をお勧めします。 防災教育にご利用ください。 商用利用はお断りしています。 2023年現在、首都直下地震として懸念されているのはM8クラスの関東大震災レベルではなく、その下のM7クラスになります。 JUMP 0:00 Top 0:33 注意事項 1:32 シミュレーション 1:44 緊急地震速報(本震)M7.9~8.1 2:57 NHK緊急放送開始 3:10 緊急地震速報(余震)最大震度5強程度 5:10 津波警報 放送開始 6:13 緊急地震速報(余震)M7.3 最大震度5強以上 15:00 緊急地震速報(余震)M5.6 最大震度5強以上 16:15 被害 気象庁 https://

                  10分以上揺れ続けた 関東大震災 / 地震波到達シミュレーション / 緊急地震速報、津波警報、NHKニュース、首都直下地震
                • 地震の前兆の可能性がある自然現象

                  地震の前兆の可能性がある自然現象 東北大学東北アジア研究センター 石渡 明 [東北大学東北アジア研究センター] [石渡ページ] [東北大学防災科学研究拠点] [東北大学理学部地球惑星物質科学科・大学院理学研究科地学専攻] この文章は [地震前兆現象アンケートのお願い] の説明文です [この文章のPDF] [追記1 明治と昭和の三陸地震津波の前兆] [追記2 2011年東日本大震災の前兆?] [追記3 2011年東日本大震災の前兆アンケート中間まとめ(7月13日)] [墓石転倒率] [福島原発事故後の仙台の放射線量] [アンケート最終まとめ] 1.前震 大きな地震の数日~数カ月前(短期前震)または数カ月~数年前(長期前震)に,本震の震源周辺の地域で小さな地震が頻発することがある.例としては,1872年の浜田地震の際,島根県東部では本震の発生4, 5日前から西方に鳴動が聞こえ,地震を感じた.当

                  • 関東大震災100年(2)寺田寅彦の視点と大火災 平和と沈黙(2023) - tn198403s 高校時代blog

                    2023年は関東大震災から100年。 高校時代、部屋の壁に100年カレンダーを貼っていましたが、想像もつかない長い長い時間に思えていました。1985年、20歳の誕生日以降、自分が時間を逆向きに生きたとしたらいつに当たるかと考え、終戦がずいぶん身近に感じられるようになりました。50歳になった時、100年は決して途方もない時間ではなく、祖父の子ども時代であり、良くも悪くも今に繋がっていると思いました。 この記事は前回の続きです。 地震発生直後 寺田寅彦『地震日記』より 地震直前 主要動に思われた初期微動 2度目の大きな揺れ 周囲の様子 大火災発生 寺田寅彦『地震日記』より 際立つ火災被害 火災被害が拡大した理由 火を使う昼食時であったこと 大量の火の粉、強風、燃えやすくなった屋根 揺れがおさまって安堵する人々 家財道具を持っての避難 医療の空白 その他の要因 寺田寅彦『天災と国防』より 地震発

                      関東大震災100年(2)寺田寅彦の視点と大火災 平和と沈黙(2023) - tn198403s 高校時代blog
                    • 北村有起哉 - Wikipedia

                      北村 有起哉(きたむら ゆきや、1974年4月29日 - )は、日本の俳優。東京都出身。父は俳優の北村和夫。姉は女優の北村由里。妻は女優の高野志穂。TOM company所属。 来歴[編集] 東京都立富士高等学校時代に文化祭で上演した舞台をきっかけに演劇に興味を持ち、俳優を志す[1][2]。 大学受験の失敗を機に「俳優になる」と覚悟を決めて日本映画学校へ進学。俳優養成所へ通ったり、ワークショップに参加したり、無料で映画を見たくてレンタルビデオショップのアルバイトをする[1]。30歳までにはアルバイト生活から卒業しようと目標を設定していた[1]。 1998年、舞台『春のめざめ』と映画『カンゾー先生』でデビュー[3]。 その後特定の劇団に所属せず、舞台のプロデュース公演を中心に活動し[1]、近年はテレビドラマにも多数出演している。 2013年6月4日、女優の高野志穂と4年の交際を経て結婚[4]

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