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かつては田園地帯だった「昭和新山」 - もっともっと北海道~もっと知りたい知ってほしい北海道
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かつては田園地帯だった「昭和新山」 - もっともっと北海道~もっと知りたい知ってほしい北海道
昭和新山 昭和新山について 約2万年前洞爺湖をかたちづくる洞爺カルデラの南麓に有珠山が形成されました... 昭和新山 昭和新山について 約2万年前洞爺湖をかたちづくる洞爺カルデラの南麓に有珠山が形成されました。有珠山は、その後何度も噴火を繰り返し、約7千年前山体崩壊が発生し、その際南側に口を開けた直径約1.8 kmの馬蹄形カルデラが形成されました。数々の噴火を繰り返した有珠山の歴史の中で、1944年~1945年の噴火が昭和新山の誕生となります。壮瞥町の東九万坪と呼ばれる地域で次第に地盤が隆起しはじめ、もとは標高100 m あまりの台地だったところが、潜在ドームの形成により250 m ほどの山となり、火口から溶岩ドームが現れ始めました。この潜在ドームと溶岩ドームは成長を続け、標高は400 m を超えました。この新山は田中館秀三*1により昭和新山と名付けられたのです。 噴火当時は第二次世界大戦の最中であり、世間の動揺を抑えるために噴火の事実は伏せられ、公的な観測を行うことはできませんでした。ところが