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大庭みな子の検索結果1 - 13 件 / 13件

  • 「ご自由にお持ちください」を見つけるまで家に帰れない1日

    街なかの民家の前などに「ご自由にお持ちください」と書かれた段ボールが置いてあり、なかにはその家で不要になった食器や日用品が入っていたりする。 捨ててしまってもいいものを、「もし必要な人がいるならどうぞ差し上げます」という親切心。そして、濃厚に生活感が反映されたラインナップ。 そう、ご自由にお持ちくださいには、ロマンが詰まっているのだ。 同時に、「どこへ行けば絶対に見つかる」という保証など存在しないのもまた、ご自由にお持ちくださいの世界。だからこそ、「今日1日、ご自由にを見つけるまでは帰れない」と決めて街へ出てみるのはどうだろう? そんなスリルと興奮渦巻く小さな旅に、酒の穴のふたりが挑戦します。 日常的な生活の中にぽっかりと現れる「今ここで乾杯できたらどんなに幸せだろう」と思うような場を探求するユニット。なんでもない空き地とか、川沿いの原っぱとか、公園の売店だとか、そういったところに極上の酒

      「ご自由にお持ちください」を見つけるまで家に帰れない1日
    • 大江健三郎詳細年譜 - jun-jun1965の日記

      1850年 曾祖父・八三郎生まれる。 1855年(安政2)内ノ子騒動 1866年(慶應2)奥福騒動 1894年(明治27)父・好太郎生まれる。祖母はフデ。 1902年(明治35)母・小石生まれる。 1914年(大正3)20歳の父と12歳の母が結婚。 1919年(大正8)祖父この頃死ぬ。数え五十歳。 1923年( 12) 姉・一生まれる。 1924年4月24日、好太郎、明智新六らと大瀬革進会を結成、総選挙で窪田文三を応援と決定する。(史料愛媛労働運動史4巻、124p、愛媛新報) 1929年(昭和4)長兄・昭太郎生まれる。 ? 次兄・清信生まれる。 1933年、姉・重子が生まれる。 5月15日、伊丹十三(池内義弘)生まれる。 1935年1月31日 愛媛県喜多郡大瀬村に生まれる。父は大江好太郎、母は小石。長兄・昭太郎(燃料商、歌人)、次兄・清信。姉二人、弟・征四郎、妹一人。父は製紙原料商で、ミツ

        大江健三郎詳細年譜 - jun-jun1965の日記
      • 作家の写真を読む② - 昼の軍隊

        以前、ブログで「作家の写真を読む」という記事を書いたことがある。作家を被写体にした写真集の紹介だ。今回はそれの続きを書こうと思う。俺がどういう写真を好んでいるかということについては、前回の記事を参考にしてほしい。 相田昭 『作家の周辺』 相田昭は著書に付されたプロフィールによれば、 1946年、長崎生まれ。法政大学在学中はアラスカ・キングピーク峰に遠征するなどアルピニストとして活躍。卒業後もTBS報道局でアルバイトをしながら登山を続け、山岳写真を手がけるようになる。1974年、写真家として独立。雑誌の仕事で作家や画家のポートレイトを撮り始め、人物写真に傾倒する。1983年、小川国夫氏の著作『彼の故郷』に感銘をうけ、小川氏を被写体に写真展「彼の故郷」を開く。以来、今日まで数多くの作家や詩人、画家などと交流、その人間像に迫る写真を撮り続けている。 本書には相田による、作家との出会いについて書い

          作家の写真を読む② - 昼の軍隊
        • 「これじゃあ、作文の延長線上だ」 〜出版系ベンチャー会社で小説家を目指した僕のバイト体験談〜

          会議室の扉が開いて、一人の老人が入ってきた。 膝下までのロングコートを着て、チャコールグレーのハットを被り、目元は薄い色のサングラスで覆われていた。 その人がFriday元編集長のマナベさんだった。 一年間の浪人生活が無事に終わり、入学式を前にした三月。十九歳の僕はアルバイト先を探していた。 小説家になるという固い意志があり、だからできれば文章を書くことに繋がるようなアルバイトがしたいと考えていた。出版社でアルバイト、本屋でアルバイトという案がすぐにひらめいたが、その選択肢に進むのはなかなか気が進まなかった。小説家になりたいという考えから出版社、本屋という発想に行き着くのはあまりにも安直すぎたからだ。文章を書くことに繋がり、かつ、いわゆる普通の道と違う要素もあるアルバイトという贅沢な条件を僕は求めていた。だから僕のアルバイト先探しは最初から難航していた。 そんなある日、入学祝と称して、近所

            「これじゃあ、作文の延長線上だ」 〜出版系ベンチャー会社で小説家を目指した僕のバイト体験談〜
          • 文学は永遠だと思っていた新人批評家時代:私の謎 柄谷行人回想録⑨|じんぶん堂

            記事:じんぶん堂企画室 批評家として活動を始めた頃の柄谷さん=本人提供 書籍情報はこちら ――1969年6月号の「群像」(講談社)に「〈意識〉と〈自然〉――漱石試論」が群像新人賞受賞作として掲載され、本格的に文芸批評家としての活動に入りますよね。ここからの数年間はいわゆる文芸批評をたくさん書かれています。1972年の第1評論集『畏怖する人間』には、「漱石試論」をはじめ1969年から1972年に発表された評論が収録されていますが、年譜によると受賞後最初に発表したのは、「群像」69年11月号の「江藤淳論」でした。江藤さんはどんな存在でしたか? 柄谷 やはり、批評家としていい仕事をしている先行者、という感じですね。僕はそれ以前に五月祭賞に応募した「思想はいかに可能か」で、吉本隆明、三島由紀夫、江藤淳の3人を、思想の基本的なあり方として示したんだけど、それくらい大きな存在として捉えていたのは確かで

              文学は永遠だと思っていた新人批評家時代:私の謎 柄谷行人回想録⑨|じんぶん堂
            • 5月24日は菌活の日、伊達巻の日、ゴルフ場記念日、スクーバダイビングの日、コニシ記念日、長湯温泉「源泉掛け流し」記念の日、等の日 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

              おこしやす♪~ 5月24日は何の日? その時そして今日何してた? 2022年 5月24日は菌活の日、伊達巻の日、ゴルフ場記念日、スクーバダイビングの日、コニシ記念日、長湯温泉「源泉掛け流し」記念の日、等の日です。 ●『菌活の日』 :ホクト株式会社 長野市に本社を置く きのこ総合企業ホクト株式会社が制定。「きのこ」の栄養素や効果効能を生かして、美容や健康の為に一年を通じて菌を積極的に摂り入れる「菌活」で健康に過ごしてもらうのが目的です。日付は、同社がテレビコマーシャルで「菌活」という言葉を初めて全国発信した2013(平成25)年5月24日に因んでいます。 40代からはじめる「腸活×菌活」完全マニュアル 作者:田和璃佳 徳間書店 Amazon ◆「きのこで菌活」には様々な効果が期待できる。 (1)美肌づくり 腸をきれいにする食物繊維や、美容ビタミンとも呼ばれるビタミンB群が豊富に含まれている。

                5月24日は菌活の日、伊達巻の日、ゴルフ場記念日、スクーバダイビングの日、コニシ記念日、長湯温泉「源泉掛け流し」記念の日、等の日 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)
              • 読書感想『ガラスの海を渡る舟』『その日まで』 - つるひめの日記

                『ガラスの海を渡る舟』(寺地はるな・著) 主人公は、祖父のガラス工房を引き継いだ道と羽衣子の兄妹二人。 その10年間を、それぞれの視点で描かれた連作短編集。 両親は2人が子供の頃に別れていて、兄の道は人とのコミュニケーションが苦手だ。 道の普通の人とは違う言動を、何かと疎ましく思っていた父。それに対し道をずっとかばってきた母。 妹の羽衣子も、自分は普通に何でも出来ても当たり前と、親から褒められたことがないと感じ、兄のことがずっと嫌いだった。妹にいつも反発されていた道も妹のことが苦手だ。 そんな二人が祖父亡き後に、思いがけず力を合わせて、ガラス工房を立て直さなければならなくなる。 そのガラス工房にある日、若くして亡くなった娘の骨壺をつくって欲しいという女性が訪れる。それがきっかけで、羽衣子より積極的にガラスの骨壺の制作に乗り出す兄の道… というストーリー展開。 以前読んだ著者のデビュー作『ビ

                  読書感想『ガラスの海を渡る舟』『その日まで』 - つるひめの日記
                • 講談社文芸文庫刊行書目一覧 最新版|かるめら

                  2023年11月30日時点での既刊及び刊行予定の講談社文芸文庫全1,307点(日本1,235点/海外72点、ワイド版を除く)をあげた。 文庫の整理番号順に従って表記(一部変更あり)した。 編者、訳者は一部を除き割愛した。 【日本文学】 阿川弘之『舷燈』 阿川弘之『青葉の翳り 阿川弘之自選短篇集』 阿川弘之『鮎の宿』 阿川弘之『桃の宿』 阿川弘之『論語知らずの論語読み』 阿川弘之『森の宿』 阿川弘之『亡き母や』 阿部昭『単純な生活』 阿部昭『大いなる日/司令の休暇』 阿部昭『無縁の生活/人生の一日』 阿部昭『千年/あの夏』 阿部昭『父たちの肖像』 阿部昭『未成年/桃 阿部昭短篇選』 青柳瑞穂『ささやかな日本発掘』 青柳瑞穂『マルドロオルの歌』 秋山駿『知れざる炎 評伝中原中也』 秋山駿『舗石の思想』 秋山駿『内部の人間の犯罪 秋山駿評論集』 秋山駿『小林秀雄と中原中也』 青山二郎『鎌倉文士骨

                    講談社文芸文庫刊行書目一覧 最新版|かるめら
                  • 世界文学全集を買った - ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

                    『集英社ギャラリー世界の文学』をまとめ買い とてもきれいな本なので、箱イラストと内容を紹介したい 第1巻 古典文学集 第2巻 イギリス I 第3巻 イギリス II 第4巻 イギリス III 第5巻 イギリスⅣ 第6巻 フランス I 第7巻 フランス II 第8巻 フランス III 第9巻 フランス Ⅳ 第10巻 ドイツ I 第11巻 ドイツ II 第12巻 ドイツ III 第13巻 ロシア I 第14巻 ロシア II 第15巻 ロシア III 第16巻 アメリカ I 第17巻 アメリカ II 第18巻 アメリカ III 第19巻 ラテンアメリカ 第20巻 中国 アジア・アフリカ おまけ:新刊案内がおもしろい 『集英社ギャラリー世界の文学』をまとめ買い 少し前に秋草俊一郎さんの『「世界文学」はつくられる:1827-2020』を読み、世界文学全集に関心を持っていました。この本では、かつて日本で

                      世界文学全集を買った - ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々
                    • そういちコラム

                      4月12日は、「日本初の女性建築家」といわれる浜口ミホ(1915~1988)の亡くなった日です。 彼女の代表作は、1950 年代に開発され大量につくられた、公団住宅(団地)のキッチンです。 当時の台所は一般に「日当たりの悪い、女中の仕事場」という位置づけでした。しかし当時の最先端である日本住宅公団の設計では、台所は南側で、食事で家族が集う「家の中心」であり、ステンレス製シンクなどの最新設備を備えていました。 この「ダイニング・キッチン」の設計を、浜口は主導しました。その設計は、のちの台所に多大な影響を与えました。現代の日本のキッチンの原型をつくった、といえるでしょう。 当時の建築界は完全な男社会。昔の男性は台所仕事に全く無知だったので、女性建築家で主婦の浜口に、公団の大きな仕事のオファーが来たのです。 彼女の設計方針は、当時の常識とは違っており、反対や抵抗もありました。しかし、懸命に説得や

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                      • Panasonicメロディアスライブラリー 大庭みな子 三匹の蟹 2021年5月23日(日) TOKYOFM - 流浪ブログ 日々是好日 本とラジオと飯を作る日々

                        大庭みな子『三匹の蟹』 - Panasonic Melodious Library パナソニック メロディアス ライブラリー - TOKYO FM - 小川洋子,藤丸由華 - 今週の本は大庭みな子の―三匹の蟹―でした。芥川賞受賞作。なんとなく直木賞芥川賞をとった作品はつまらないと言われるのがわかる。そんな小説です。 娯楽小説でもないし、深さも感じることができず。なにがおもしろいのか… 優れた作品とは、まったく興味のない人にもわからせる良さがある。そんな言葉を思い出しました。確かこち亀のセリフだったはず。

                          Panasonicメロディアスライブラリー 大庭みな子 三匹の蟹 2021年5月23日(日) TOKYOFM - 流浪ブログ 日々是好日 本とラジオと飯を作る日々
                        • 津田梅子・不自由な「母国」で道を切りひらいた女子留学生 - そういちコラム

                          明治4年、数名の少女が国費の留学生として米国に渡りました。その最年少が6歳の津田梅子(つだうめこ、1864~1929、元治元年~昭4)でした。彼女は通訳である藩士の娘で、父親は自分の娘に特別な教育(完全な英語力など)を与えたいと考えたのです。 津田梅子は(ご存じかと思いますが)後の津田塾大学を創設する人物です。2024年から発行される5000円札には彼女の肖像が用いられます(8月16日は、彼女が亡くなった日)。 渡米の11年後、17歳の梅子はともに留学した女子1名と帰国しました(あと1名は前年に帰国した)。 一緒に渡米した女子の留学生はほかにも何人かいたのですが、異国の環境に適応できず(梅子たちよりも数歳ほど年齢が高かったせいもある)、早いうちに留学を断念しています。梅子はステイ先のアメリカ人家庭になじみ、大切に育てられました。 最初の女子留学生である梅子たちでしたが、帰国後、政府は「日本

                            津田梅子・不自由な「母国」で道を切りひらいた女子留学生 - そういちコラム
                          • 今もお元気かな?【生きるヒント】―8 - 「和子の日記」

                            瀬戸内寂聴さん。 寝たきり生活、がん手術を経験して 88歳から病気がちになり、90代になってがん手術を乗り越えた 瀬戸内寂聴さん。2017年に95歳を迎えた寂聴さんは「病を経験した 日々は、老いや死、そして幸福とは何かを考えることの連続だった」と 語りました。その死生観とは? 88歳で圧迫骨折、93歳でがんが見つかりました 私が住む京都・嵯峨野の冬はとても寒く、ときどき雪が降ります。でも、 そんな寒さを感じないくらい、毎日忙しく過ごしています。月に1度、 寂庵(じゃくあん)で行われる法話では、150人ほどの前でお話をします。 立ちっぱなしで1時間から2時間、語り続けています。 こうして元気な私ですが、ここ数年、いくつかの病気を経験しました。 88歳のとき、背骨の圧迫骨折で半年間、寝たきりの生活を送りました。 その4年後には、突然また背中と腰に痛みが走り、腰椎圧迫骨折で 入院しました。体の中

                              今もお元気かな?【生きるヒント】―8 - 「和子の日記」
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