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岡林信康 現在の検索結果1 - 12 件 / 12件

  • 【もうすぐなくなる日本の名建築】桂設計〈日比谷公園大音楽堂〉

    May 20, 2024 | Architecture | casabrutus.com | photo_Satoshi Nagare   text_Tatsuo Iso 閉館や解体を迎える、または検討されている国内の名建築を紹介する連載『もうすぐなくなる日本の名建築』。第3回目は桂建築設計事務所(現・桂設計)の手がけた〈日比谷公園大音楽堂〉を訪ねます。「野音」の愛称で親しまれ、音楽の聖地として長きにわたり愛される音楽堂の歴史をひもときながら、その建築の魅力に迫ります。 「野音(やおん)」の名前で親しまれている、日比谷公園内にある大音楽堂は、東京のど真ん中にあって、光と風を感じながら生の音楽を楽しめるユニークな施設だ。ここでは幾多の著名なミュージシャンが、歴史に残る名演を繰り広げてきた。日比谷公園が段階的な再整備を進めているなかで、この施設も建て替え工事に入ることが予定されている。音楽ファ

      【もうすぐなくなる日本の名建築】桂設計〈日比谷公園大音楽堂〉
    • 日本ロック通史 (1956 年-1990 年代)WEB版 | 批評.COM

      批評.COM Welcome to Hi-hyou.com  時事批評・音楽批評などを掲載するサイトです。2015年4月18日新装開店。Operated by SHINOHARA Akira 1.「進駐軍ポップ」からロカビリーへ 1956-1959年 第二次世界大戦後における日本のポップ・ミュージックの出発点は「進駐軍ポップ」であった。1945年から1950年代前半にかけて、米軍がもちこんだポップの影響を受け、ブルース、ブギウギ、マンボなどの要素が流行歌のなかに入り込み、ハワイアン、カントリー&ウエスタン(C&W)、ジャズなどがちょっとしたブームになった。こうしたポップのうち、“日本ロック”の生い立ちにもっとも深い関係をもったのはC&Wであった。 50年代半ばのアメリカでは、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が大ヒット(55年)、翌56年にはプレスリーが登場

        日本ロック通史 (1956 年-1990 年代)WEB版 | 批評.COM
      • ECD、RHYMESTER、PUNPEE、長谷川白紙らを手がけるillicit tsuboiの仕事術(前編) | エンジニアが明かすあのサウンドの正体 第13回

        誰よりもアーティストの近くで音と向き合い、アーティストの表現したいことを理解し、それを実現しているサウンドエンジニア。そんな音のプロフェッショナルに同業者の中村公輔が話を聞くこの連載。今回はA.K.I. PRODUCTIONSやキエるマキュウなどのDJとしても活躍し、ECDと多数のアルバムを共作してきたillicit tsuboiに、彼が拠点としているRDS Toritsudaiで話を聞いた。RHYMESTER、PUNPEEといったヒップホップ勢をはじめ、ホフディラン、SUPER STUPID、CHEHONなど多彩なアーティストの作品のエンジニアリングを手がけるillicit tsuboiの仕事のスタンスとは。 取材・文 / 中村公輔 撮影 / cherry chill will. 構成 / 丸澤嘉明 ヒップホップをミックスできるエンジニアがいなかった──illicit tsuboiさんの

          ECD、RHYMESTER、PUNPEE、長谷川白紙らを手がけるillicit tsuboiの仕事術(前編) | エンジニアが明かすあのサウンドの正体 第13回
        • 歌を絶やさぬように 久保田麻琴が探る「日本のうた」の過去と未来 | CINRA

          かつてコミュニティーを支えてきた人と人の関係性が失われ、あらゆる場所で分断が進む現代において、私たちはどのように「日本のうた」を歌い、耳を傾けることができるのだろうか。アイデンティティーを見失った現代日本ならではの歌とは、いったいどのようなものなのだろうか。 ここしばらくCINRA.NETでは、さまざまなインタビューをとおして現代における都市のフォークロアともいうべき「日本のうた」のありかを探ってきたが、その問いを解くヒントとなるかもしれない一枚のレコードが復刻される。それが1973年3月に発売された久保田麻琴の1stアルバム『まちぼうけ』だ。 近年、欧米では久保田とも交流の深い細野晴臣や金延幸子が高く評価され、久保田が1970年代に一時期参加していたサイケデリックロックバンド、裸のラリーズも伝説化されているが、『まちぼうけ』もまた「日本産アシッドフォークの傑作」として海外で「発見」されつ

            歌を絶やさぬように 久保田麻琴が探る「日本のうた」の過去と未来 | CINRA
          • 世界の快適音楽セレクション 2022年2月5日(ロニー・ジョンソン、チャカ・カーン&ジョージ・ベンソン、岡林信康、パスクアーレ・グラッソ、"ボンガ" ジャン・バティスト) - ラジオと音楽

            燃える愛の音楽 Lonnie Johnson「Prisoner of Love」 松村さんの選曲。ロニー・ジョンソンというブルース、ジャズのギタリスト。歌も味があります。 Folkways Years アーティスト:Johnson, Lonnie Smithsonian Folkways Amazon Chaka Khan&George Benson「ふたりは愛に燃え(We Got The Love)」 チャカ・カーンはアメリカ、イリノイ州出身の女性R&Bシンガーで、1972年ソウルバンドのルーファスのシンガーとしてデビューし、パワフルな歌唱スタイルでヒットを放ちました。この曲のデュエットの相手、ジョージ・ベンソンはギタリスト、シンガーでこの曲の作者でもあります。チャカ・カーンの1978年発表のファースト・ソロアルバム『Chaka』より。 Chaka アーティスト:Khan, Chaka

              世界の快適音楽セレクション 2022年2月5日(ロニー・ジョンソン、チャカ・カーン&ジョージ・ベンソン、岡林信康、パスクアーレ・グラッソ、"ボンガ" ジャン・バティスト) - ラジオと音楽
            • ブックオフオンライン邦楽名盤100選 - sugarless time

              先日登録している『ブックオフオンライン』の以下のメールが来てました。 ちょっと興味をそそるサブジェクトです。 早速リンクを覗いてみると・・・ www.bookoffonline.co.jp リンクを開くのも面倒な方のために転記しました。 縦スクロールについてはご了承願います。 順位 タイトル アーティスト 備考 1 Songs シュガーベイブ △ 2 ファンキー・モンキー・ベイビー キャロル - 3 LOVE FLASH FEVER Blankey Jet City - 4 FLOWER MUTE BEAT - 5 First Love 宇多田ヒカル - 6 ハイファイ新書 相対性理論 - 7 YELLOW DANCER 星野源 - 8 Making The Road Hi-STANDARD - 9 家庭教師 岡村靖幸 △ 10 red curb rei harakami - 11 君繋フ

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              • 友よ・・・岡林信康 - kyokoippoppoの日記

                反戦歌をテーマに、連載形式で綴っていこうと思いついたワタクシです。 www.youtube.com とはいえ、音楽の知識も乏しく聴くジャンルも広くはありません。 「You Tube」「反戦歌」で検索してみたところ、たくさんの動画が並んでいました。 これらを貼り付けながらの記事となります。 BGMとして聴きながらスクロールしていただけるように、まずはトップにYouTube動画を置いてみることにしました。 初回は岡林信康(有名人ですので敬称略で・・)の『友よ』です。 TAISEI・AKIBA氏の動画 で、ですね・・・ 今後紹介していくものの選曲についてですが、私自身がチョイスしてこそ、自分のブログ記事としてふさわしいことは承知しつつも、ある方の選曲を手引きとして利用されてもらうことにしました。 秋葉大聖という方が発信する動画です。 「反戦歌」で検索し、 たまたま見つけたもの。 再生し始めてすぐ

                  友よ・・・岡林信康 - kyokoippoppoの日記
                • ボブ・ディラン&ザ・バンド 『偉大なる復活』1974年。「ライク・ア・ローリング・ストーン」ほか、名曲オン・パレードのライブアルバム。 - 時の化石

                  どーも、ShinShaです。 さて、今日は、2回目のボブ・ディラン の作品紹介です。 ディランには良い作品がたくさんあるので、迷いましたが、数々の名曲が入っているアルバム『偉大なる復活』1974年に決めました。 今回のブログ「風に吹かれて」「ライク・ア・ローリングストーン」「天国の扉」などなどをご紹介します。 "Bob Dylan 001" by badosa is licensed under CC BY 2.0 66年バイク事故による半隠遁生活後の復活 今回のアルバム発売当時の、ボブ・ディラン について調べてみました。 ディラン は、絶頂期の1966年7月、ニューヨーク近郊でバイク事故を起こします。 そして全てのスケジュールがキャンセルされました。 当時はメディアが発達していなかったので、重症説、死亡説まで流布したそうです。 ディランは、それからしばらくの間、姿をかくし、謎めいた生活を

                    ボブ・ディラン&ザ・バンド 『偉大なる復活』1974年。「ライク・ア・ローリング・ストーン」ほか、名曲オン・パレードのライブアルバム。 - 時の化石
                  • 彼らはなぜミュージシャンに愛されるのか? 曽我部恵一の視点。【ザ・バンドの魅力を探る。Vol.2】|Pen Online

                    彼らはなぜミュージシャンに愛されるのか? 曽我部恵一の視点。【ザ・バンドの魅力を探る。Vol.2】 2020.10.20 文:岡村詩野 写真:吉場正和 10月23日(金)から公開が始まる『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』は、60~70年に活動したロックバンド、ザ・バンドの軌跡をたどるドキュメンタリー映画。ミュージシャンからいまも崇拝される“ミュージシャンズ・ミュージシャン”であるレジェンドについて、高校時代に彼らに魅了されたというサニーデイ・サービスの曽我部恵一に話を聞いた。 今年春、サニーデイ・サービスのニューアルバム『いいね!』をリリース。同じ頃、オーナーとして東京・下北沢に「カレーの店・八月」と、中古レコード店「PINK MOON RECORDS(ピンク・ムーン・レコーズ)」を開店、秋以降は感染対策を施したうえでのイベントへの出演も積極的だ。コロナ禍以降もいつになく精力的に活動し

                      彼らはなぜミュージシャンに愛されるのか? 曽我部恵一の視点。【ザ・バンドの魅力を探る。Vol.2】|Pen Online
                    • 『シュガー・ベイブ ヒストリー 〜 山下達郎と大貫妙子  誕生から『SONGS』への軌跡 〜 』

                      Kou音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。 ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴいえんどの同名曲から拝借しました。 半世紀近くも前のこと。『シュガー・ベイブ』というロック・バンドが存在した。無名時代の、あの山下達郎や大貫妙子らがメンバーだった。 残したアルバムはわずか一枚だけ。その『SONGS』というLPジャケットは紙質がざらざらでした。Wikipediaによると、デザイナーはわざとこの紙を選び、手垢がつくほど聴きこまれることを願ったらしい。自分はこの初盤をリアルタイムで買い、ジャケットはデザイナーの思惑通りとなってしまいました。シュガー・ベイブの明るいポップス感は当時の音楽シーンでは異端で、だからとても新鮮で、毎晩のように聴いていたのです。 しかしSONGSは売れなかった。実売数は諸説あり、二千枚、いやそれ以下だったともいわれています。いずれにしろ、東京という局地的な人

                        『シュガー・ベイブ ヒストリー 〜 山下達郎と大貫妙子  誕生から『SONGS』への軌跡 〜 』
                      • 日本初の「AV男優」!? 体当たり取材の原点――田原総一朗インタビュー第2回 - カクヨムからのお知らせ

                        小説家になりたいという夢を諦め、ジャーナリストになることを目指した田原総一朗。紆余曲折を経てテレビディレクターとなった田原は、そこで数々の伝説を残すこととなり…。田原総一朗というキャラクターをより深く知ってもらうため、88年の歩みを振り返る全3回のインタビュー。第2回は会社員時代について話を聞きました。 kakuyomu.jp kakuyomu.jp 就活でうまくいかず仕方なく撮影助手に ――いよいよジャーナリストとしてのキャリアが始まるわけですね 田原:ところが大学4年での就職活動には見事に失敗してね。ジャーナリストを目指して、とにかく手当たり次第にマスコミを受けたが、NHKに落ち、朝日新聞に落ち、ツテのあった日本教育テレビ(現・テレビ朝日)とフジテレビにも落ちた。その後も東京放送、大阪毎日放送、北海道放送、ラジオ関東(現・ラジオ日本)、東京新聞、角川書店(現・KADOKAWA)、さらに

                          日本初の「AV男優」!? 体当たり取材の原点――田原総一朗インタビュー第2回 - カクヨムからのお知らせ
                        • 「どこへ出しても恥かしい70歳」友川カズキとは何者なのか? | 日刊SPA!

                          友川カズキという人物を知っているだろうか。秋田県出身。詩人でありミュージシャンであり画家という、様々な才能を持ち比類なき世界観で根強いファンを持つ。 今年2月から公開されている主演作、ドキュメンタリー映画『どこへ出しても恥かしい人』では、友川氏の最大の関心事である競輪に狂う日々が描かれ、話題を集めている。 70歳になる現在も川崎の小さなアパートに住み、スマートフォンはおろか携帯電話もパソコンも持たず、毎日のように競輪に勤しむ。そんな無頼な生活を送る彼の半生に迫ってみた。 さまざまな表現活動を行う、友川氏が初めて芸術を意識したのは中学生の時だった。 「はじまりは中原中也です。秋田の田舎で育って、本を読む人なんて周りにいなかった。たまたま読んだ『骨』という詩の『ホラホラ、これが僕の骨だ』ってのにガーンと衝撃を受けました。 中学生でバカだったから意味は全然わからなかった。素養があれば理解もできた

                            「どこへ出しても恥かしい70歳」友川カズキとは何者なのか? | 日刊SPA!
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