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『シュガー・ベイブ ヒストリー 〜 山下達郎と大貫妙子 誕生から『SONGS』への軌跡 〜 』
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『シュガー・ベイブ ヒストリー 〜 山下達郎と大貫妙子 誕生から『SONGS』への軌跡 〜 』
Kou音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。 ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴい... Kou音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。 ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴいえんどの同名曲から拝借しました。 半世紀近くも前のこと。『シュガー・ベイブ』というロック・バンドが存在した。無名時代の、あの山下達郎や大貫妙子らがメンバーだった。 残したアルバムはわずか一枚だけ。その『SONGS』というLPジャケットは紙質がざらざらでした。Wikipediaによると、デザイナーはわざとこの紙を選び、手垢がつくほど聴きこまれることを願ったらしい。自分はこの初盤をリアルタイムで買い、ジャケットはデザイナーの思惑通りとなってしまいました。シュガー・ベイブの明るいポップス感は当時の音楽シーンでは異端で、だからとても新鮮で、毎晩のように聴いていたのです。 しかしSONGSは売れなかった。実売数は諸説あり、二千枚、いやそれ以下だったともいわれています。いずれにしろ、東京という局地的な人