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西村賢太 墓参りの検索結果1 - 7 件 / 7件

  • 清造先生 見守ってて 芥川賞・西村賢太さん 合掌 :北陸中日新聞Web

    七尾市出身の作家、藤沢清造(せいぞう)(一八八九〜一九三二年)の没後九十年の命日の二十九日、「清造忌」が同市小島町の菩提(ぼだい)寺・浄土宗西光寺で営まれ、藤沢に心酔する芥川賞作家、西村賢太さん(54)が墓前に手を合わせた。(大野沙羅) 藤沢は同市馬出町に生まれ、高等小学校を卒業して上京。一九二二年に貧困と病苦の中に生きる主人公を描いた長編私小説「根津権現裏」を発表した。島崎藤村らに評価されたが、その後は作品に恵まれない生活を送り、困窮の果てに東京・芝公園で凍死した。 七尾に26年墓参「おかげで食えてる」 西光寺には五三年に藤沢の墓碑が建立され、当時の住民有志が一度だけ追悼会を開いた。西村さんらはその意思を継ぎ、途絶えていた追悼会を二〇〇一年に「清造忌」として復活させた。命日に毎年一、二人が参列している。西村さん自身は、月命日と命日に欠かさず墓参りを始めて二十六年目。〇二年には藤沢の墓の隣

      清造先生 見守ってて 芥川賞・西村賢太さん 合掌 :北陸中日新聞Web
    • 芥川賞作家・西村賢太さんの墓が… 七尾の西光寺、山門やお堂など倒壊:北陸中日新聞Web

      2年前に54歳で急逝した芥川賞作家の西村賢太さんの墓がある石川県七尾市小島町の西光寺が、地震で深刻な被害を受けたことが分かった。寺の山門や墓、地蔵堂などが倒壊。2月5日に三回忌の節目を迎えるが、復旧に向けた先行きは不透明だ。 あの日、高僧英淳住職(71)は寺で檀家(だんか)と話をしていた。激しい揺れと津波警報に驚き、外に飛び出すと「ぼうぜんとした」。築100年余りの本堂は形を保っていたが、土台がゆがみ、畳がめくれ上がっていた。墓石は崩れ、もともとは七尾城の城門だったと伝わる山門もつぶれていた。 境内では、地元の七尾出身の作家、藤沢清造(1889~1932年)の墓もあり、西村さんの墓と寄り添うように並んでいた。しかし、2人の墓は地蔵堂に押しつぶされるような状態で横倒しに。西村さんは藤沢の「没後弟子」を自任し、藤沢の月命日に七尾での墓参りを欠かさず、生前墓も建てていたが、無残な姿になった。

        芥川賞作家・西村賢太さんの墓が… 七尾の西光寺、山門やお堂など倒壊:北陸中日新聞Web
      • 芥川賞作家・西村賢太さんの墓 能登半島地震で倒壊 法要できず | 毎日新聞

        能登半島地震の被災地・石川県七尾市にある芥川賞作家、西村賢太さん(2022年2月5日死去)の墓が倒壊した。市内中心部の西光寺に建てられ、地震後もファンが墓参りを続けている。住職は「今年は法要ができなかったが、必ず再建したい」と話す。 西村さんは東京都江戸川区出身で、中学卒業後に港湾作業員などの肉体労働をしながら同人誌などに小説を発表。破滅型の生活を送っていた自身の若き日々を描いた「苦役列車」で11年に芥川賞を受賞した。自由奔放な言動でも注目され、世代を超えて多くのファンに愛された。 一方、七尾市出身の作家、藤澤清造(1889~1932年)に心酔して「没後弟子」を自称。藤澤が眠る西光寺を訪れ、現住職の高僧英淳(こうそうえいじゅん)さん(71)の父に、境内に生前墓を建てることを懇願したという。高僧さんは「土下座までしてお願いされた。根負けした父が藤澤の隣に墓を建てることを提案すると、とても喜ん

          芥川賞作家・西村賢太さんの墓 能登半島地震で倒壊 法要できず | 毎日新聞
        • 【学芸万華鏡】「一流目指してもしようがない」 急逝した西村賢太さん〝落伍者〟の矜持

          「そろそろ風俗行こうかなと思っていた」。5日に54歳で急逝した西村賢太さんは、平成23年の芥川賞受賞決定後の記者会見でのそんな型破りな発言と、強烈な個性で一躍時の人となった。自らの不幸な生い立ちをさらし、欲望、憤怒、呪詛(じゅそ)や嫉妬にまみれた日常を描き続けた無頼の私小説作家。でも著作に関するインタビューの場では、異端児としてのイメージに覆い隠されがちな創作に向ける真摯(しんし)な思いとストイックな姿勢を見せることもあった。 「別格の作品です」中学卒業後、さまざまな肉体労働で生計を立てながら創作を始めた西村さんは、16年に「けがれなき酒のへど」で商業誌デビュー。芥川賞受賞作『苦役列車』をはじめ、西村さん本人を思わせる作家・北町貫多を主人公にした私小説で知られた。家族での夜逃げや暴力沙汰での逮捕、同居女性への暴言や破局の顛末(てんまつ)も包み隠さず描いた作品群は、「破滅型私小説」と称された

            【学芸万華鏡】「一流目指してもしようがない」 急逝した西村賢太さん〝落伍者〟の矜持
          • 西村賢太作品の時系列 : funky_intelligenceのブログ

            私がこの1年ほどハマっている西村賢太作品を時系列で並べてみた。 誤っている箇所もあると思うので今後修正をしていくつもり。 ちなみに西村賢太は1967年(昭和42年)7月生まれ。 「跼蹐の門」 昭和58年6月(16歳)。上野の海産物屋でのアルバイトを見つけるも前日の深酒により初日に寝過ごした話。 「潰走」 昭和58年10月(16歳)。雑司ケ谷のアパート家主と対立。仕事は食品訪問販売。大学生と諍いになり、一方的に掴みかかりクビ。 「貧窶の沼」 昭和59年夏(17歳)。赤札堂でナンパした馬鈴薯ブス(佐久間悠美江)との交際するも数回会って(2ヶ月未満)終了。浅草の酒屋の配達をしていたが、足の臭さの苦情が来て悪態ついてクビ。 「蠕動で渉れ、汚泥の川を」 昭和59年の年末(17歳)。御徒町の洋食屋に5ヶ月勤務。悪事を働き過ぎクビ。このスタートの7ヶ月前に椎名町から鶯谷へ転居(3度目の転居)。酒屋をクビ

              西村賢太作品の時系列 : funky_intelligenceのブログ
            • 「賢太さん 若かったのに」 訃報受け 生前墓に七尾市民:北陸中日新聞Web

              西光寺の高僧住職「真面目で紳士 残念で仕方ない」 五日に五十四歳で亡くなった芥川賞作家の西村賢太さんの訃報から一夜明けた六日、西村さんが生前建てた墓がある七尾市小島町の西光寺(さいこうじ)には、墓参りに訪れる市民の姿があった。「若かったのに」「信じられない」。早すぎる別れを惜しむ声が聞かれた。(稲垣達成) 「先週来たばかりだったんでしょ。本当に信じられない」。午前十時すぎ、同市栄町の永田房雄さん(73)は墓に積もった雪を手ではらうと、近くの和菓子店で購入した草餅を供え、静かに手を合わせた。 西村さんは七尾出身の作家藤沢清造(一八八九〜一九三二年)に心酔。二〇〇二年に藤沢の墓の隣に自身の生前墓を建てた。藤沢の命日の一月二十九日を「清造忌」とし、月命日の墓参を欠かさなかった。先月も缶ビールや酒などを墓前に供えたばかりだった。

                「賢太さん 若かったのに」 訃報受け 生前墓に七尾市民:北陸中日新聞Web
              • 文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」(2002〜2018) - Hatena::Diary

                坪内祐三と福田和也が2002年から2018年まで週刊誌『SPA!』で行っていた連載対談の表題一覧である。★は単行本未収録を示す。脚注は単行本収録時の改題を示す。VOL.024は飛ばされたため欠落していると思われる。 単行本化第①弾『暴論・これでいいのだ!』から第⑥弾『羊頭狗肉』までがカバーしているのはVOL.001~550であるが、単行本収録数は第①弾80回・第②弾70回・第③弾50回・第④弾50回・第⑤弾50回・第⑥弾65回の計365回分であり、単行本未収録数は計184回分である。これに単行本化されていないVOL.551~706の156回分を加えると全705回の内の340回分が現在のところ単行本未収録ということである。 ①『暴論・これでいいのだ!』、坪内祐三✕福田和也、扶桑社、2004年11月20日初版第1刷発行 構成/石丸元章 協力/石黒隆之 テキサス・アウトローズ写真提供/昭和プロレ

                  文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」(2002〜2018) - Hatena::Diary
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