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運慶と快慶の検索結果1 - 10 件 / 10件

  • 消えた仁王像 出雲の「村の宝」がオランダで展示の謎 数奇な運命がむすんだ人々の縁:朝日新聞GLOBE+

    アムステルダム国立美術館のアジア館に展示されている仁王像。その故郷は島根県仁多郡奥出雲町にある岩屋寺だ=2023年6月、筆者撮影 ヨーロッパ唯一の仁王像は、アジア館の目玉 アジア館地下ギャラリーの一番奥で、静かににらみをきかせて来館者を待ち受ける阿形像と吽形像は、身の丈2メートル37センチの木像だ。 美術館によれば、作者は不明で14世紀に造られたものらしい。阿形像の後頭部内側にある墨書から、すでに廃寺となった島根県仁多郡奥出雲町にある岩屋寺(いわやじ)にあったものと判明している。 そして、この墨書と岩屋寺の古文書から、運慶や快慶を生んだ「慶派」の仏師康秀(こうしゅう)が像の修復を行っていたこともわかった。日本の古美術は、出所を明かさずに売買されることが多いらしく、このように詳細が明らかになることは珍しい。 2004年、アジア館のチーフキュレーター、メノー・フィツキさんは、京都の古美術商でこ

      消えた仁王像 出雲の「村の宝」がオランダで展示の謎 数奇な運命がむすんだ人々の縁:朝日新聞GLOBE+
    • 進化した仏像の知識、アップデートのススメ 『新版仏像 日本仏像史講義』山本勉さんに聞く|じんぶん堂

      記事:じんぶん堂企画室 書籍情報はこちら 表紙の仏像はお気に入りの写真 ――旧版から7年、今回は新版として出版されました 表紙は、旧版と同じ菩薩立像(東京国立博物館)で、私がとても気に入っている写真です。宝冠の横から細長い飾り(冠繒〔かんぞう〕)が垂れ下がっています。造られたときからの飾りなのですが、実はけっこうな重さがあり危険なので、展示には使えないんです。ある時、倉から発見されたんです。くねくね曲がっていますが、金属なので実際は曲がらないためつけるのが面倒なんですよね(笑)。 先がクルッと巻いているのが、とても良いイメージなので注目してみてください。実は、私の『仏像のひみつ』(朝日出版社)の表紙イラストのモデルにもなっています。 ――サブタイトルの「日本仏像史講義」としたのはなぜでしょうか 元々は10冊本のシリーズタイトルとして考えていましたが、それが6冊本の構想になり、最終的にはこの

        進化した仏像の知識、アップデートのススメ 『新版仏像 日本仏像史講義』山本勉さんに聞く|じんぶん堂
      • 『金剛力士に胸アツ♡法隆寺から大和郡山城へ』電チャリ一人旅・初秋の大和編③ - 続おばちゃんDAYS

        こんにちは、たき子です。 ナナハン(たき子の電チャリのニックネーム)旅行の2日目です。 法隆寺へ 中門の金剛力士像 大和郡山へ ランチは石州麺 郡山城跡へ 法隆寺へ 旅行2日目、まず訪れたのは斑鳩町。 斑鳩町は平群町の隣町なので、自転車で移動しても近所のスーパーに行く程度の近さだわ(*´艸`*) 秋の雲が広がる朝の街におもしろ地名見っけ! “猫坂” 逆光で暗いけど見えるかしら? 猫坂の地名の由来は、緩やかな猫の背中のような坂だからとか、転んだら猫になるからとか諸説あるそうだけど真意は不明。 さて、猫坂を過ぎるとまもなくついたのは鐘が鳴るなり法隆寺。 言わずとしれた世界最古の木造建築よね! 法隆寺の玄関口である南大門↓↓ 南大門の向うに日本最古の五重塔や中門が見える。 南大門をを入り中門へ。 自由に入れるのはここまで。 ここから先へ進むには拝観料を支払って法隆寺内部に入る必要があるの。 でも

          『金剛力士に胸アツ♡法隆寺から大和郡山城へ』電チャリ一人旅・初秋の大和編③ - 続おばちゃんDAYS
        • 歴史人「日本の仏像 基本のき」 仏像の歴史から戦国武将が愛した仏像まで!

          こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、「歴史人」2021年11月号、「日本の仏像 基本のき」です。 ■歴史人 いつも歴史ファンにたまらない情報を届けてくれる「歴史人」。 2021年11月号の特集は、「日本の仏像 基本のき」です。 歴史人2021年11月号 「仏像」とは、歴史人さん、なかなか珍らかなテーマを取り上げましたね…。 たしかにお寺巡りをすると、圧倒的なオーラを発する仏像に出会うことがあります。 でも、今までは仏像のことを詳しく学んだことはありませんでした…。 知っていれば仏像鑑賞が100倍面白くなる! と副題のついた保存版特集、おとなの歴史学び直し企画。 「仏像鑑賞術の極意」から、「仏像の誕生と日本伝来の軌跡」、「いまさら聞けない!日本の仏像 基本のき」など、誌面にはあなたの知らない仏像情報が満載です。 戦国ファンにはたまらない「戦国武将が愛した仏像

            歴史人「日本の仏像 基本のき」 仏像の歴史から戦国武将が愛した仏像まで!
          • 【ブッダ巡礼】まさに神域・・!聖徳太子ゆかりの宝物と重文の宝庫【石馬寺】|Ishibaji|@滋賀2023 - うめじろうのええじゃないか!

            こんばんわー 「ブッダ巡礼」のお時間がやって参りました! 今回の「ブッダ巡礼」は、聖徳太子といったら滋賀!「近江発 聖徳太子の足跡めぐり」ということで「聖徳太子1400年悠久の近江魅力再発見委員会」が展開するサイトでもご紹介されている【石馬寺】です! omi-st1400.com 第一回の「市神神社」、第二回の「竜王観音禅寺」に続いて今回は第三回目です! まずは「石馬寺」の縁起をお寺のHPより参照いたします 今からおよそ1400年前の推古2年(西暦594年)。 推古天皇の摂政であった聖徳太子が「霊地は近江国にある」と占い、駒の蹄に任せて永久に鎮護国家、仏法興隆を祈る道場を求めていました。 そして繖山(きぬがさやま)の麓辺りに来ると、駒は歩みを止めて進まなくなり、傍らの松の樹につないで山に登ったところ、瑞雲(※1)がたなびく風光明媚な風景が広がっていたのです。 聖徳太子は「積年の望みをこの地

              【ブッダ巡礼】まさに神域・・!聖徳太子ゆかりの宝物と重文の宝庫【石馬寺】|Ishibaji|@滋賀2023 - うめじろうのええじゃないか!
            • 快慶に逢いにゆく【大報恩寺】(千本釈迦堂)ブッダ巡礼@京都2022 - うめじろうのええじゃないか!

              奈良を訪れて以来、すっかり仏像の魅力にハマってしまった私ですが、最近では仏像巡りがまた新たな自身のアクティビティとして加わってしまいました^^;! とにかくもう、近畿のどこを訪れても国宝、国宝、また国宝!重文のオンパレードにて、まったくもって凄過ぎる!まったく飽きない!飽きが来ない・・!笑 と、いうことで今回は通称「千本釈迦堂」、「大報恩寺」にやって来ました! 鎌倉時代初期に創建された古刹には、かのレジェンド仏師「運慶と快慶」の快慶の晩年の作品が安置されているのであります・・! 大報恩寺は安貞元年(1227)義空上人によって開創された寺だそうですが、義空上人とは藤原秀衡の孫とされているようです。 承久元年(1219)に夢を見て、大報恩寺の建立を発願、翌年に仮堂を建て、そこから実に10年近い年月をかけてこの寺を創ったということです。 この本堂がまず国宝! 応仁の乱の戦火からも免れ、今も創建当

                快慶に逢いにゆく【大報恩寺】(千本釈迦堂)ブッダ巡礼@京都2022 - うめじろうのええじゃないか!
              • 静かなブーム 仏像 - 旅cafe

                奈良 興福寺 国宝館 仏像・仏 お寺に行くと沢山の仏像に出会うことが出来ます。 仏像、仏について… 意味は? 御利益は? 何種類? 役割って? …など知っておくと、お寺参りがいっそう楽しいものになります。 近年、 ”仏女” …仏像女子なる輩が登場しているらしいです。 仏像に静かなブームが来ているようです。 お寺や美術館に仏像を見に行くだけでは飽き足らず、最近は生活の中でインテリアとして楽しむ人、お部屋に置いて朝晩拝む人など、生活の中に取り入れる人が増えている、なんて事もききます。 本格的に仏像ブームの到来かも知れません。 今回は、そんな仏像について語ります。 女子に大人気 唐沢寿明似のイケメン仏像 東寺の帝釈天騎像 仏様にも階層がある… 如来が一番偉い! 仏には様々な種類がありますが、大きく分けると… ・如来 ・菩薩 ・明王 ・天 …の4つにわけることが出来ます。 如来(にょらい) 最も位

                  静かなブーム 仏像 - 旅cafe
                • 運慶(3)~神格化された名工 - 大和徒然草子

                  皆さんこんにちは。 日本の彫刻史上、最も有名な人物の一人として知られる運慶を取り上げて今回が3回目の記事になります。 前回は、壮年の運慶の活躍を中心にご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 新たな時代の支配者として台頭してきた東国武士と、親密な関係を早くから構築した奈良仏師は、源頼朝が全国的な権力を掌握後、南都復興における仏像造像の中心的な存在となっていきます。 父、康慶最後の大仕事となった大仏脇侍の造像と、運慶が棟梁として初めて臨んだ東大寺南大門金剛力士像の造立で、慶派の南都復興における存在感は、最大のものとなっていきました。 今回は、その後の運慶と、没後の評価の変遷をご紹介したいと思います。 興福寺北円堂 晩年の運慶 高まる名声 運慶の実像 興福寺北円堂 1203(建仁3)年、東大寺南大門金剛力士像の造像を果たし、法印という僧鋼位の最高位に上り詰めた運慶。 次

                    運慶(3)~神格化された名工 - 大和徒然草子
                  • 運慶(1)~慶派誕生 - 大和徒然草子

                    皆さん、こんにちは。 運慶という仏師の名はご存知の方も多いでしょう。 同時代を生きたもう一人の著名な仏師快慶とともに、平安末期から鎌倉時代初頭にかけて、一世を風靡した仏師集団慶派の全盛を主導し、仏像表現に革命的な変化をもたらしたとされる人物です。 日本の伝統的な彫刻美術といえば、やはり仏像ということになりますね。 飛鳥時代から始まる日本の仏像彫刻。 運慶はその発展の到達点として位置づけられ、江戸、そして明治時代にその評価は飛躍的に高まりました。 そして日本の彫刻史上、最大の偉人として評価され、現在もほぼその評価は揺るがないものといえます。 一方で、そのあまりの名声ゆえに、実像からかけ離れた評価や扱いをうけることもしばしばある運慶。 その実像をご紹介していきたいと思います。 仏師とは 定朝の登場と奈良仏師 慶派誕生 仏師とは そもそも仏師とは何でしょう。 日本で最初に仏師と呼ばれた人物は、史

                      運慶(1)~慶派誕生 - 大和徒然草子
                    • 運慶(2)~大仏師運慶 - 大和徒然草子

                      皆さんこんにちは。 日本史上最も高名な仏師といえば、まず運慶の名が上がるでしょう。 日本仏像彫刻の一つの到達点とも評価され、「天才」の二つ名で語られることも多い運慶は、平安から鎌倉へと時代が移り、貴族に替わる新たな支配層、武士にその作風が愛され、時代の寵児として栄光の生涯を送ったとされてきました。 しかし、そのあまりに高すぎる評価ゆえに、実像が見えにくくなっている人物でもあります。 そんな運慶の実像を紹介する、今回は2回目です。 前回は、仏師の成り立ちと、運慶が属する奈良仏師の系譜、そして慶派の祖となる父、康慶と、運慶の登場までをご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は、いよいよ壮年となった運慶の活躍を中心にご紹介します。 平氏による焼討と南都復興 東国武士との邂逅 大仏師運慶 平氏による焼討と南都復興 平治の乱以後、大和国を知行国とした平清盛は、旧来奈良の

                        運慶(2)~大仏師運慶 - 大和徒然草子
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