詩人の谷川俊太郎さん(92)の作品や、長野原町北軽井沢とのゆかりを紹介する展覧会「北軽井沢と谷川俊太郎―写真と詩展」が27日、同町北軽井沢の北軽井沢ミュージックホールで始まった。谷川さんの詩は黒板にチョーク書きで紹介されており、来場者が北軽井沢を愛した国民的詩人の存在に思いをはせている。5月6日まで。 ミュージックホール内には...
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戦後女性詩を代表する詩人・石垣りん。NHKテキスト「100分de名著 forユース」から、詩人・文月悠光さんによる石垣作品の読み解きを紹介。
詩人ゆずりはすみれさん(37)=静岡市葵区=が書き下ろした季節の詩とその詩に合う自然派ワインを楽しめるイベント「摘み入れの のち-詩とワインの1年」が、葵区駒形通1のカフェ兼ワインバー「カーヴ・リトロン」で開かれている。最終日の20日には、ゆずりはさんによる朗読会があり、詩の世界に浸りながらワインを楽しめる。 (塚田真裕) ゆずりはさんは、日常の風景や情緒を言葉で紡ぐ。詩作とは「詩が求めるものを探ること」と考える。2020年、詩の月刊誌「ユリイカ」で「ユリイカの新人」に選ばれ、同誌への掲載が多数ある。以前から知り合いだった同店の安藤貴規さん(39)、沙友里さん(37)夫妻と「詩とワインって、...
早朝の都内の電車に乗っているとき なにか明るいものが胸に飛び込んできたから 驚いて顔をあげると 窓のむこうの線路沿いに どこにもない植物園があった 生きているとはどういうことか、記憶や忘却や夢は何をもたらすのか、生活の中で、ふと手をとめて考えずにはいられない。そのような心の在り方をそっと映し出す詩集として、野木京子の『廃屋の月』(書肆子午線)を読んだ。 日常において当たり前と思われる認識や常識に、思いがけず亀裂が生じるとき、人は恐怖や混乱やめまいに似た感覚に襲われるだろう。それらは過ぎ去れば何事もなかったかのように元へ戻るかもしれない。時が経(た)てば、忘れてしまうかもしれない。忘却に委ねる手前で、詩は、亀裂が連れてくる痛みや哀(かな)しみに言葉を与え、わずかにでも留(とど)めようとする。
山や自然を愛した詩人、尾崎喜八(1892~1974年)が亡くなって、今年2月で50年になった。喜八は1946年9月から7年間、富士見に滞在した。その縁で茅野市豊平小、岡谷南高校(岡谷市)、富士見町富士見小学校など諏訪地域をはじめ、県内の小中学校、高校を中心に生涯で40を超える校歌を作詞し、今でも多くの児童・生徒たちに歌われている。激動の20世紀を生きた詩人の心の変遷を、「自註 富士見高原詩集」などを手掛かりにたどってみた。 ■自然や人間を賛美する詩人 東京市京橋に生まれた喜八は、京華商業学校を経て中井銀行に就職。武者小路実篤や志賀直哉などが創刊した雑誌「白樺」の影響を受け、理想主義的な作風の下、自然や人間を賛美する詩人として出発した。 30歳で最初の詩集「空と樹木」を刊行すると、「道程」などで知られる詩人で彫刻家の高村光太郎、フランスのノーベル文学賞作家ロマン・ロランとも手紙を通じて交流し
2月14日(現地時間)、2024-25年秋冬のニューヨークコレクションの大トリを飾ったトム ブラウン(THOM BROWNE)。会場となったアートセンター「ザ・シェッド」に足を踏み入れると、人工の真っ白な雪原が広がり、同ブランドのオーバーサイズのパファーコートを着たモデルが巨大な木に扮してゲストらを出迎えた。奇しくも前日、ニューヨークはストームに見舞われ、辺り一面銀世界となっていたため、天候までもがトム ブラウンの演出に味方していたかのようだった。 ショー当日はバレンタインデーというのもあり、フィナーレでデザイナーがハート型のボックスをパートナーに送るというロマンティックな演出もあった一方で、ショー自体はエドガー・アラン・ポーが1854年に発表した詩「大鴉(The Raven)」を出発点としたダークなものだった。
独りで見る露のしたたるお月様を この年老いた宰相は 内側へうちがわへと取り込んでいる 黄泉下りになるような記事は書くまい 降るような星で背中を押そう と 記者は思う 中村稔『月の雫(しずく)』(青土社)は、地上に降り注ぐ月の光を月の雫と称して綴(つづ)られた20章から成る作品集だ。1927年生まれ、97歳となる詩人がこの一冊に描いた世界は、意外なほどありふれた世間の人間模様、恋情、慕情、孤独、つまりは人生そのものだった。さらに、ロシアとウクライナの現状を例として、日常生活と人生を破壊する戦争で利を得るのは軍需産業ばかりと慨嘆する。 人間とはどのような存在か、抽象論ではなく、具体的に、いくつものドラマを切り取るように描かれている。「月の雫に気づいて、/金貨でも拾うように摘まみ上げようとすると、/その時にはもう跡形もなく雫は消えている」。はかなく尊い一日一日の歩みを、鋭くも懐深い視線で捉える作
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初の詩集「ぼくのブッダは祈らない」を出した武田昭文さん=富山市で2023年11月22日午後4時40分、萱原健一撮影 今年6月、56歳で初の詩集「ぼくのブッダは祈らない」を世に出した。出版社は雑誌「現代詩手帖(てちょう)」や選詩集シリーズ「現代詩文庫」などを出す詩の専門出版社・思潮社だ。生業は富山大人文学部教授で、専門は20世紀のロシア詩。同大で25年間教壇に立ってきたが、これまでロシア文学研究では複数人で出した共著しかなかった。「自分の人生はこれで終わるのかという忸怩(じくじ)たる思いがあった」が、人生初の単著が図らずも詩集となり、自分の言葉を形にできたという安堵(あんど)の表情を見せた。 詩人のペンネームは「犬伏(いぬぶし)カイ」。ほとんどの詩が2015~22年に書いた詩だ。短くて2ページ、最長で15ページの計13編の詩から成る。本のタイトルと同名の詩の冒頭は「北半球で反時計回りにまわる
▼詩人の室生犀星が萩原朔太郎を訪ねて来たのは1914(大正3)年。前橋駅で初めて顔を合わせた時、互いの印象は最悪だった。「肩を怒らし、粗野で荒々しい感じ」(朔太郎)、「何て気障(きざ)な虫酸(むしず)の走る男」(犀星)と語っている ▼詩から想像していた風貌とのギャップに双方ともに落胆したが、およそひと月の滞在中に仲は深まる。犀星が上京すると今度は朔太郎が頻繁に会いに行き、一緒に高村光太郎の家を訪ねたり、上野公園へ出かけたりした ▼互いの存在は創作の刺激になったのだろう。出会った頃は作品が評価されず暮らしも苦しかった犀星は才能を開花。「二魂一体」(犀星)と言うほどに、生涯の親友となった ▼莫逆(ばくぎゃく)の友、心腹の友など友情にまつわる言葉は多い。その存在によって吉がもたらされることもあれば凶に転ぶこともある ▼「益者三友損者三友」は論語の教えである。自分のためになる友は三通り、ためになら
何を馬鹿げたことを ならばあなたの 暮らしている街は 立ち入り禁止ではないのですか あなたの家族も仲間も先生も恋人も みんな違反者でしょう 年末といえば、現代詩年鑑。『現代詩手帖』12月号のことだ。1年間の動向が、討議や書評やアンケート等によって浮かび上がる。これだけが詩の場ではないとはいえ、手掛かりや指標となることは確かだ。詩のいまを知りたいが何を見ればよいか、という読者は一度手に取ってみるとよいだろう。構えとしては一応「専門誌」なので、初心の読者には難しいところがあるかもしれないけれど、詩に関して、最もいきいきとしている現場や最新の話題などに触れることができるはずだ。 今年の討議は佐々木幹郎、藤原安紀子、石松佳による。世代の異なる3人が各自の観点から今年の詩を語る。佐々木は「詩の言葉が大きな移行期に入っていると思っている」と述べている。必読の鼎談(ていだん)。
文:最果タヒ/詩人 なんでそんなものにそんなお金をかけるんですか? と言われると途方もなく悲しくなる。どんなものでも。それが服の人もいるし、化粧品の人もいるし、車の人もいるし、スマホやパソコンや、オーディオ機器の人もいる。とにかく、「私ならそんな高いものは買いません」と言われる時の、自分が自分のために選んだというだけの「閉じた幸福な世界」をよその人に踏み荒らされるさみしさは途方もなく、なんでこの人は「私なら」なんて言えるのだろうと考えてしまう。あなたは他人なのだ。どんなに仮定で「私なら」と言葉では言えても、それでも私がその選択をするまでの人生や理想やさみしさ全てを想像することはできない。私にとって絶対に必要なものは、私にとっての価値だけで十分で、他の誰かに「いい買い物ですね」と言われたいとも願っていない。私が私のために頑張るだけで満たされるなんて、本当にわずかな機会なのだから、ただそっとし
「もはや詩人は川をうたわない。歌人が川辺に佇(たたず)むこともない。……」 ドイツ文学者の池内紀(おさむ)は、『川の旅』の「はじめに」で、「人間の手にもみくちゃにされて、川はすっかり零落したのか?」と問いかける。 その答えを探しに、池内センセイは日本じゅうの川を旅した。 * 紀の川の胴体を抱え込んでいるのが紀の川市。ここに風土を歌った3人の詩人がいる。阪中正夫、保田龍門、上政治(まさじ)の若い文学者たちだった。 阪中正夫は1901(明治34)年、今の紀の川市桃山町最上という、支流の貴志川と紀の川が合わさる辺りの中農で生まれた。多感な少年は、自然と遊んで詩心を育んで行く。折につけ堤にたたずんで、流れる雲を見ていたという。
僕は思わずくしゃみをした原稿に行き詰まってしまった。いつものことだ。そばに話す相手もいないので、外に出て深呼吸をひとつ。雲ひとつない澄み切った濃紺の夜空を見上げる。東の低い位置にオリオン座が見える。数万年後に超新星爆発を起こして、その一生を終えるといわれているベテルギウスがなんだかたまらなくいとおしい。この星がなくなったら、オリオン座だけでなく、冬の大三角形も崩壊し、冬の夜空は画竜点睛(がりょうてんせい)を欠くことになる。 体が冷えてくしゃみが出た。スペイン人の友人がそばにいたなら、間違いなく「ヘスス!」と声をかけてくれるはずだが、その代わりに谷川俊太郎さん=写真右=が18歳のときに書いた詩「二十億光年の孤独」の最後の一節を自分で口にした。 《二十億光年の孤独に/僕は思わずくしゃみをした》 「広場の孤独」は嫌だけれど、「二十億光年の孤独」は不思議にとてもすがすがしい。そしてもうひとつ、同じ
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