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風景を歩く・再び:紀の川と詩人たち 連載250回 古里の風土を歌う /和歌山 | 毎日新聞
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風景を歩く・再び:紀の川と詩人たち 連載250回 古里の風土を歌う /和歌山 | 毎日新聞
「もはや詩人は川をうたわない。歌人が川辺に佇(たたず)むこともない。……」 ドイツ文学者の池内紀(お... 「もはや詩人は川をうたわない。歌人が川辺に佇(たたず)むこともない。……」 ドイツ文学者の池内紀(おさむ)は、『川の旅』の「はじめに」で、「人間の手にもみくちゃにされて、川はすっかり零落したのか?」と問いかける。 その答えを探しに、池内センセイは日本じゅうの川を旅した。 * 紀の川の胴体を抱え込んでいるのが紀の川市。ここに風土を歌った3人の詩人がいる。阪中正夫、保田龍門、上政治(まさじ)の若い文学者たちだった。 阪中正夫は1901(明治34)年、今の紀の川市桃山町最上という、支流の貴志川と紀の川が合わさる辺りの中農で生まれた。多感な少年は、自然と遊んで詩心を育んで行く。折につけ堤にたたずんで、流れる雲を見ていたという。