ブックマーク / blog.tinect.jp (425)

  • 「知識労働の生産性」を上げるために、当社の人事施策でやろうと思っていることを書いてみる。

    「人を評価し、報酬を決定する」のは、最も楽しくない仕事の一つだ。 だが、組織では誰かが必ずやらなければならない。 特に、最近は自社においても「人事」をどのようにやるべきかを考える機会が増えた。 しかし、納得のいく評価は難しい。 制度を作るのは、さらに難しい。 そこで、当社の人事施策でやろうと思っていることを、これまでの経験を踏まえて書いてみたい。 弊社における、評価の原則 これまでの経験でを総合すると、 弊社のようなスタートアップの人事において、おそらく有効だと言えることがいくつかある。 第一に「評価制度はシンプルな方が良い」。 そもそも評価制度は複雑になればなるほど、透明性、すなわち公正さが失われる。 これは、Googleが社員から募集した意見とも一致する。 社員は業績管理について真剣に考えていた。 たとえば、業績区分にどんな名称をつけるべきかについて投票を募ると、4200を超える票が投

    「知識労働の生産性」を上げるために、当社の人事施策でやろうと思っていることを書いてみる。
  • 政治家の「何か言っているようで、何も言っていないコミュニケーション」を馬鹿にしてはいけない。あれは凄い。

    コンサート、演劇、トークイベント。 そういったライブには、ライブならではの良さがある。 プロのライブともなると、演者の情熱だけでなく、技能の卓越を見ずにいられない。 演奏や身のこなし、トークに感動させられるだけでなく、「鍛えられた人間の技能」の可能性について考えさせられる。 録画やDVDで観るより、目の前でリアルタイムに演っているのを見たほうがインパクトが強い。 で、最近私は、「鍛えられた人間の技能」をライブで楽しめる新しいチャンスを発見した。 それは「政治家のお祝いの言葉のライブ」である。 たとえばNHKの国会中継を見ていても、答弁する国会議員や官僚に凄さや面白みを感じない。 言葉尻を捕らえられないよう、役人言葉を使いこなしてみせる様子には技能の卓越を感じなくはないけれども、TV越しに見ているせいか、ピンと来るものがない。 ところが市議や県議のお祝いの言葉をライブで見ると、話が違ってくる

    政治家の「何か言っているようで、何も言っていないコミュニケーション」を馬鹿にしてはいけない。あれは凄い。
  • 優れた思考は、練られた言葉に現れる。

    すこし前の話。 あるサービス業の現場で、経営者が「顧客満足を徹底せよ」という方針を打ち出していた。 朝礼でも、役員会でも、部長会でも、課長会でも、グループミーティングでも、その話は伝達されたため、末端の社員までメッセージは確実に届いていたようだ。 無論、現場は反対する理由もない。 だれだって、会社に勤める人間なら知っている。 お客さんの満足は必要だ。 「そりゃそうだよな」と納得し、誰もトップの言うことに対して疑問を持つ人はいなかった。 もちろん経営者も「方針が徹底された」との手応えを持っていたようだ。 ところがその後。 経営者が、得意先の社長とたまたま会したときのこと。 彼は思わぬ事実を、聞いた。 曰く、 「最近は現場同士の交流が少ないので、ウチの若い連中を、飲みに誘ってあげてください」と。 経営者は驚いた。「顧客満足」をあれほど徹底せよと言っていたのに。 お客さんと飲みにすら行っていな

    優れた思考は、練られた言葉に現れる。
  • 「部下の自主性」は、当てにならないし、当てにすべきでもない。

    管理職は人を使うのが仕事だ。 ただ、誰もが人をうまく使えるわけではない。 「人を使う訓練」を受けたことのある人は極めて少数のため、その成果は個人の素養に大きく依存している。 したがって、管理職の悩みが「的はずれ」であることが頻繁に見受けられる。 そのうちの一つが「部下に自主性がない」、または「部下が自走しない」という悩みだ。 * 以前、「どうも部下が、自主的に動かないんですよね。そう言う人って、どうすればいいですかね?」という相談を受けたことがある。 彼は管理職になって2年目、現場での成果が認められて抜擢された若手管理職だ。 だが、この手の主観的な悩みは扱いが非常に難しい。 「自主的」という言葉が何を意味しているのか、人によって相当異なるからだ。 この場合、何を持って「自主的ではない」と彼が考えているのか確認をする必要がある。 私は尋ねた。 「自主的に……と申しますと?「自主的」かどうかに

    「部下の自主性」は、当てにならないし、当てにすべきでもない。
  • プロフェッショナルの根源は、たぶん「負けず嫌い」

    安達さんの記事を読んで、久しぶりに昔やったミスを思い出して古傷が傷んだ。 なぜ「事実」と「意見」を区別して話せない人がいるのか。 | Books&Apps 特に冒頭のこの部分が実によく刺さる。 過去に部下だった人のひとりが、ちょうど「事実」と「意見」の切り分けができない人だった。 例えば、こんな具合だ。 「昨日の営業、途中退席してごめん。お客さん、ウチに依頼するか、決めてくれた?」 「大丈夫だと思います。」 「大丈夫って……決まったのか、決まってないのかが、知りたいんだけど。」 「あ、まだ決まってないです。」 実は自分もかつて似たような事をやった事がある。 ある寒い冬の日の話だ。 僕は救命救急センターにて夜間診療をやっていた。 実は夜中に救急外来を訪れる人の多くは「自宅で寝てたらなおる」ような方が非常に多い。 僕も働き初めの頃は 「なにか見逃したらどうしよう……」 という恐怖心があり適当な

    プロフェッショナルの根源は、たぶん「負けず嫌い」
  • 「いい人」が必ずしも「良い上司」ではない理由。

    こんなツイートが、支持を集めているのを見た。 部下のことをちゃんと見ていて、努力している部分を認めて伸ばしてくれるバリキャリ独身上司 pic.twitter.com/A7W7TCI7NA — tetto@C97火曜南ユ01a (@onnoveltet) November 11, 2019 曰く、 調子が悪くても、「努力(と成果)を評価」してくれる。 何度ミスしても、「カバー」してくれる。 だから、頑張れよ。そう言ってくれる上司は、素晴らしい。 確かにそうかもしれない。 だが、私はすこし違う見方をしている。 おそらくこの上司はとても「いい人」だ。 だが、当に「良い上司」だろうか? * まだ私が会社員だったころ。 「面倒見の良い上司」が周囲に結構いた。 コンサルタントという職業上「大人」が多い会社だったというのもあるだろう。 一般的なコンサルタントの冷たいイメージとは異なり、人を無下に扱う上

    「いい人」が必ずしも「良い上司」ではない理由。
  • 私が「何事も、他者や世の中のせいにしてはいけないんだ」と、初めて本気で思った瞬間のこと。

    ちょっと前のこと。 Twitterのタイムラインを見ると、「努力」に関して、面白いツイートが流れてきていた。 毎日ファーストフードで過ごす庶民の気持ちなんてDaiGoさんにはわからないでしょうね、と言われたことがある ああ、全く理解できない。 僕もお金なかった時には、朝昼飯抜いて、そのお金買って勉強してたよ、未来のために。 努力不足を不公平のせいにするのは、庶民ではなくただの怠け者だ。 — メンタリストDaiGo (@Mentalist_DaiGo) October 25, 2019 随分はっきりいう人が出てきたな、と思っていたら、もちろん賛否両論で物議を醸しているようだった。 努力論、根性論を忌避する人々がいて、 あぁこれってあれだ。 ブラックってやつだ ブラック企業の精神だわ — nony (@nony) October 25, 2019 DAIGOさんが事を抜いてまで勉強したの

    私が「何事も、他者や世の中のせいにしてはいけないんだ」と、初めて本気で思った瞬間のこと。
  • 「IQ」ではなく「コミュニケーション能力」こそ、真の意味での知的能力なのかもしれない。

    企業が採用において、最も重要視する能力の一つが、「コミュニケーション能力」であることは、議論の余地がないだろう。 大阪大学教授の川嶋氏は「産業構造の変化」と「グローバリゼーション」がその根底にあるという。 企業が採用で最重視するコミュ能力 若者の理解とはズレ 経団連による企業アンケートでは、新卒採用で「選考に重視した点」のトップは2017年まで15年連続で「コミュニケーション能力」です。「主体性」や「チャレンジ精神」「協調性」より重視されているのです。 (朝日新聞) しかし、こういった記事をみるにつけ、私はいつも 「コミュニケーション能力とは一体何か?」 と、疑問に思わざるを得ない。 上の朝日新聞の記事にもあるが、「コミュニケーション能力」という言葉は、使いやすいが、その定義は難しい。 川嶋氏も「誤解されている」と述べている。 日では、「コミュ力」という省略語で若者の間で日常用語化し、

    「IQ」ではなく「コミュニケーション能力」こそ、真の意味での知的能力なのかもしれない。
  • 我が子は鉄か、それともガラスか。勘違いした早期教育ほど恐ろしいものはない。

    子育ても新卒教育も「鉄は熱いうちに打て」の精神で最初にビシビシやるべきなのかもしれない 知的振る舞いやプロフェッショナリズムは最初にインストールしないと後から上書きするのは難しい 念の為言っておきたいのだが、僕は何も子供の自主性はいらないとか、女性らしさは悪だとかいいたいわけではない。 100年の人生を走り抜けるのには自主性は非常に大切だし、幼少期からそれを育む事はとても価値ある行いだろう。 また、女性らしさも時として非常に強力な武器となる。事実、それらに助けられた事は何度もある。 ただそれらを尊重しすぎると、時としてある種の概念のインストールを阻害する事につながるのも、また事実だろうと思うのだ。 早期教育は是か非か? 上掲リンク先で高須賀さんがおっしゃっているように、とても難しい問題だと思う。 新卒教育もそうかもしれないが、ここでは、子育てに絞ってこの問題を考えてみたい。 早期教育が「成

    我が子は鉄か、それともガラスか。勘違いした早期教育ほど恐ろしいものはない。
  • 「上から目線」の理由を知ったら、それが気にならなくなったという話。

    「上から目線」という言葉が使われだしてから、どれくらい経っただろう。 確か、私の子供の頃は、そんな言葉はなかった。 おそらく社会人くらいから、徐々にそんな言葉を聞く機会が増えた気がする。 それ以来「上から目線」の経営者や芸能人の発言が炎上するのをよく見かけるが、 もはや現在ではこの「上から目線」の人は、かなりの「悪者」として扱われているような気がする。 「憎まれている」と言っても良いくらいだ。 「日人は理解できないくせに世間の空気だけでジョーカー絶賛してるだけでしょ?」 っていうツイートを見かけた。 いつも思うのですが「俺はこの映画わかってる」という感じで上から目線で他人の感想ツイートを否定するのはほんとよくないです。 リアルでいたら一緒に映画観たくないです。 — みねさん(ひーくん)@映画垢 (@inpakuto12345) 2019年10月5日 他人に嫌われやすい人の特徴 ・褒め方が

    「上から目線」の理由を知ったら、それが気にならなくなったという話。
  • 子育ても新卒教育も「鉄は熱いうちに打て」の精神で最初にビシビシやるべきなのかもしれない

    教育というのは誠に難しい。 優しくするのがいいのか、それとも厳しくするのがいいのか。 汎用性のある回答はないだろうが、1つ参考になりそうな小話をしよう。 つい先日、ある人と事をしていた頃の話だ。 お互いのよもやま話をするうちに、ふと自分自身の幼少時代の話になった。 その人は小中高は人曰くあまりパッとしない感じだったそうなのだけど、大学以降に得意な事を見つけるのに成功しググっと大成長。 その結果、そこそこの社会的成功を収める事ができたのだという。 「子供の自主性を重んじて、好きや得意を大切にしよう」 実によく聞くフレーズである。 将棋藤井聡太氏が破竹の勢いで快進撃を繰り広げていた時、モンテッソーリ教育のような子供の主体性を重んじるような事が大切だという話題を盛んに耳にする機会が増えた。 「実は・・・子供が小さい頃は自主性なんて無視して、ビシビシ教育した方がいいんじゃないかと思いつつある

    子育ても新卒教育も「鉄は熱いうちに打て」の精神で最初にビシビシやるべきなのかもしれない
  • 31歳、年収460万円の介護職員が、「ワンランク上の生活」を目指して副業を始めた結果。

    以前、副業について、こんな記事を書いた。 いま、大流行の「副業」が、日型雇用に風穴を開ける日(Books&Apps) 「高い能力を持つ人」が、更に稼げるようになるのが「副業」(三菱UFJ国際投信 mattoco life) ただ、「副業」がすぐに一般的なものになるか、と聞かれたら、私は懐疑的だ。 いずれの記事にも、「結局のところ副業とは、ハイスキル人材がさらに稼げるようになるためのものであり、年収400万円前後の中間所得層には縁遠いものだ」とわたしは考えていた。 しかし。 上の記事をお読みいただいた方から、「純粋にお金がほしい、生活レベルをワンランクアップさせたいから、普通にダブルワークとして、副業している人もいるんです」という話を頂いた。 とりあえず正社員定時ダッシュしてアルバイトに行き副業年収150万あるワシに取材してくだぱい! — ブレイクスルー君@はてなブログ (@doublew

    31歳、年収460万円の介護職員が、「ワンランク上の生活」を目指して副業を始めた結果。
  • 僕らの「知る権利」について実感した、ちょっとした出来事の話。

    もうどれくらい前なのか覚えていないが、たしかコロコロコミックだったと思うけど、子供向けのマンガ雑誌を読んでいたら 「黒夢の清春さんついにコロコロコミックに登場!」 という大々的な煽り文句で黒夢の清春さんが誌面に登場してきたことがあった。 そのコーナーは読者からの質問のお便りに清春さんが答えるというものだったのだけど、基的に清春さんは何も答えてなかった。 それがロックだと言わんばかりに質的には何も答えていなかった。圧倒的に何も答えていなかった。 「清春さんみたいになりたいと思っていつも真似しています。どうやったら上手に真似できますか?」 といった純真無垢、清春さんへの憧れが爆発しているキッズの質問に対しても清春さんの返答は完全にロックだった。 「真似すんな、殺すぞ」 たぶん、こんな返答だったと思う。とんでもないことだ。 殺すぞ、である。ツイッターだったら一撃で凍結されている。 もう記憶が

    僕らの「知る権利」について実感した、ちょっとした出来事の話。
  • 「スキル不足で職場に居場所がないおじさん」の救済プロジェクトに関わった時の話

    昔所属していたSI会社で、「職場に居場所がないおじさん」の救済プロジェクトに関わったことがあります。 いや、実際にそういうプロジェクト名だった訳ではなくて、確か 「キャリア再考プロジェクト」とか「スキルリデザインプロジェクト」とか、なんかそんなかっこいい名前だったような気がするんですが、 一緒に関わった先輩が言った「これ、やってることは職場で居場所がないおじさんのサルベージだよな…」という言葉が強く印象に残っていて、私の中でプロジェクト名が上書き保存されました。 まあその先輩、「リストラ前のアリバイ作りじゃねーの」とかひどいことも言ってたんですが。 どんなことをやったかというと、要するに人事部のサポートみたいな話でして、 ・所持スキルが案件に合わず、なかなかプロジェクトにアサイン出来ない人 ・プロジェクト内でスキル不足の為タスクが振れず、PMから扱いにくいとアラートが出ている人 ・要は社内

    「スキル不足で職場に居場所がないおじさん」の救済プロジェクトに関わった時の話
  • 「自責思考」のような「正しそうで、反論しづらい概念」は、悪用されやすい。

    最近身の回りで「自責思考」という言葉が流行っているので、それについて少し考えたことを書きたいと思います。 言いたいことは、以下の3点です。 ・個人において:「自責思考」というのは「いつなんどきも自分が悪い」と考えることとは違う。「この状況で自分に仮に何かできる/できたとしたら何があるかしら」と考えて状況や自分を向上させるための思考のことでは。 ・組織において:上位者が上位者たる義務を怠って、「自責思考」を口実に部下に責任を押し付けたり搾取するようなことがあってはならないなあ、気をつけよう。 ・もう少し話を広げると:「自責思考」を始めとする「圧倒的に正しそうでそれ単体には反論しづらい大きな概念」を持ち出して搾取する構造を作ってはならない。マネジメント側は気をつけるべきだなあ。 ではそれぞれ書いて参ります。 自責思考は「自分が悪いと思え」とは違う 「自責思考が大事」という話を最近よく聞きます。

    「自責思考」のような「正しそうで、反論しづらい概念」は、悪用されやすい。
  • 躊躇せず「今の体制じゃ出来ません」「取り敢えず足元を固めさせてください」と言うのも、大事な仕事のうち。

    ホーム > 躊躇せず「今の体制じゃ出来ません」「取り敢えず足元を固めさせてください」と言うのも、大事な仕事のうち。 昔の失敗の話をします。色々事情がありまして、ちょっと伏字多めな点はご容赦ください。 昔、アルファベット3文字系の大き目のSI会社から、とある金融系のベンチャー企業に転職したことがあります。 もうこれも随分昔の話で、20代後半になるかならないか、くらいの頃だったと思います。 SI会社の名前を仮にA社、ベンチャー企業の名前を仮にB社とさせてください。 私がB社に関わったきっかけは、B社のBtoCシステムのリプレースをA社が受託したことでした。 私はリプレースのプロジェクトにアサインされまして、下っ端として色々やったんですが、会社同士でなにやら色々とゴタゴタがあり、開発を進める段階でプロジェクトは頓挫。 リリースすることなく、僅かなドキュメントと作りかけのモジュールを残して、そのシ

    躊躇せず「今の体制じゃ出来ません」「取り敢えず足元を固めさせてください」と言うのも、大事な仕事のうち。
  • 小中学生のときに休み方を知らず、そのまま大人になった人間はうまく休めない。子供にも「自主休暇」の制度を。

    この前新年号が発表されたばかりだと思っていたのに、あっという間にもう9月。 夏休みが明ける9月1日は、18歳以下の自殺者数が急増するらしい。 今年もそういったニュースを何度か目にして悲しい気持ちになったのは、わたしだけじゃないはずだ。 そこで、わたしが常々思っていたことをあらためて書いてみたい。 「学生にも、有給休暇のような自主休講制度を導入しよう!!」 ズル休みして不登校回避した3日間 わたしは中学生2年生のとき、3日間学校をズル休みした。 たしか、仲良しの子に陰で悪口を言われていたことを知って、席替えで好きな人と離れてしまって、テストの点が悪くて、部活が楽しくなくて……そんな感じだったと思う。 とにかく、わたしはそのとき、どうしても学校に行きたくなかった。 だから、適当な理由をつけて学校を休んだ。翌日も行きたくなくて休んだ。そして、その翌日も。 休んでいるあいだじゅう、わたしは罪悪感を

    小中学生のときに休み方を知らず、そのまま大人になった人間はうまく休めない。子供にも「自主休暇」の制度を。
  • 説明スキルを大きく左右するのは「多様な人と関わった経験」。

    当に頭がいい人は説明がうまい」 こんな主張をよく耳にする。 頭が良ければだれもがわかるように説明できるはずだ。 説明がうまい=ちゃんと理解している証拠。 などなど……。 たしかに、むずかしい内容を簡潔に解説したり要約したりする能力は、「頭がいい」要素のひとつだとは思う。 でも、説明のうまさと頭の良さは、当に比例するんだろうか? 頭の良し悪し=説明がうまい・へた? 屋に行けば、「だれでもわかる○○入門書」「サルでも理解できる△△の基」「1日10分で学ぶカンタン××」といった書籍がずらりと並んでいる。 いったいどれだけわかりやすく書かれているのだろう……とワクワクしながら目を通してみるも、わりと高確率で「やっぱりわかんねーよ!」となるのはわたしだけじゃないはずだ。 「はじめに」からすでに専門用語のオンパレード、よくわからん偉人の言葉を引用してカタカナ語であれこれ書いている。 文章自体

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  • 無料の小説や動画にケチを付ける人は、カン違いをしている。

    わたしはよく、ウェブ小説やyoutube動画のコメント欄を眺める。 ほかの人はどう思ってるんだろー?と気になるからだ。 当然そこにはいろんな意見があり、場合によっては批判的なものも見かける。 それはまぁわかるのだが…… 「要求」をするのはちょっとちがうんじゃないか?と思う。 「ここで主人公が勝つなんてクソ展開になったら読むのやめます(そうするな)」 「好きなキャラが最近出てこないんだけど(出せ)」 「更新遅すぎます。読者のことなめてるんですか(更新しろ)」 趣味で書いている人が大多数である無料のウェブ小説のコメント欄なのに、こういう意見をちらほら見かける。 youtubeのゲーム実況でいえば、 「その技さらっとやってますけど、素人はそれができないから苦労するんです。そこもしっかり教えないと」 「声がボソボソしていて聞きづらいです。もっといいマイク使ってください」 「○○さんのほうがうまい。

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  • 飛び込み営業やテレアポなどの非効率は、企業のマーケティング能力欠如の証。

    21世紀になっても、多くの企業は20世紀と同様に「非効率」を推奨している。 例えば「飛び込み営業」。 セキュリティゲートなどの登場で、飛び込み営業ができない建物は増えているが、一部の営業会社では今も変わらず「武勇伝」「頑張りの象徴」として扱われている。 あるいは「テレアポ」。 Sansanの調査によれば、営業担当者が新規顧客獲得の手法として、最も注力しているのは「テレアポ」だ。(参考:https://jp.corp-sansan.com/news/2019/meets.html) もちろん、テレアポについても、未だに多くの会社で件数などがKPIとして扱われている。 ところが、残念ながら「飛び込み営業」も「テレアポ」も、実際には「非効率」と「迷惑」にまみれている。 例えば、新規のテレアポの成功率はだいたい1%以下。上手い人でも5%程度で、全体の90%以上は「無駄な時間」だ。 また、テレアポに

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