アイドルマスター、もはやプレイヤーに金を出させるのが目的と化してるからプレイヤーの肩書きはプロデューサーじゃなくてスポンサーでいいじゃないか
アイドルマスター、もはやプレイヤーに金を出させるのが目的と化してるからプレイヤーの肩書きはプロデューサーじゃなくてスポンサーでいいじゃないか
自分は1990年代後半に生まれて、初のネットデビューは2000年代後半が終わる時期だった SOTECのパソコンでIEで見るわけである。 ネットが大衆化してから弄っている自分ですら今のインターネット社会は予見できなかった。 ここまでインターネットというものが激変するとは思えなかった。 はっきり言って今のインターネット社会はディストピアだろう。 スマホを見て、金を資本家に貢ぎ、まとめサイトやらで洗脳されて戦前回帰するのだ。 また、監視社会になっている。 道具であるが、ここまでひどくさせることを担ってしまっているのは否定できないのではないか。 果たして、今現在のネット社会を予見できた人間はいるのだろうか。 まぁ、そんなものよりも自分はどうすればいいのかを教えて欲しい。
ゼルダの話題でブコメが揉めてたので。 http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1087823 これに関係あるのかないのか分からないけど、個人的な感覚として、最近のゲームにはなかなか手が出ない。 どのゲームを見ても顔の濃いおっさんが銃か先端がギザギザのナイフを持っていて、人かエイリアンでもしっかり殺しにかかるようなゲームばっかりじゃん。 こっちはもっと壮大かつのほほんとしたゲームがやりたいわけ。 そんな物騒な道具を持ったキャラを操作しつつ「死ね死ね死ね!!!」とか叫びながらボタンかトリガーをカチカチやるゲームはやりたくないのよ。 20年くらい前のプレステは良かったよね。 クラッシュバンディクーにパラッパラッパー、ウンジャマラミーとかサルゲッチュとか。 見るからに可愛いけど任天堂とはひと味もふた味も違うぜ、みたいなのがたくさんあった。 PSP
最近、家電やPC市場が中韓メーカーに脅かされているように「アニメ界も遠くない未来に中国が技術を身に着けて日本を追い抜いてしまう!」というような危惧する論調をたまにみかける。 最近は日本でも割りと中国作のアニメが公式で日本語吹き替えされて配信されてるので、日本のアニメを超えるアニメを見れるのなら見た方が得だろいうということで結構いろいろ見てみた。 で、結果はタイトルの通り、マジで一つの例外もなく全部クソつまらない。本当にひとつの例外もなく。 中国への激励もこめて大体は最後まで見たが、まあ普通に日本のアニメと同じ枠で放送されてたら余裕で1話切りしてたレベルだろう。 客観的な指標として、日本で円盤売り上げが1000超えた、もしくは超えそうな、と思えた作品は0個だった。テレビなどでまともに配信されていないというのもあるが、まあ配信されたところで評価は似たようなもんだろうと思う。 日本文化のパロディ
今、テレビで「日本アカデミー賞授賞式」が流れてんだけど、「ちはやぶる」って映画の解説で「撮影ではスピーディーな世界観を出すため」とかいってた。 なんだよ? スピーディーな世界観って。 多分1990年代から、それまでの「世界観」って言葉の用法が拡張されて、作品の背後にある作者の「世界観」ではなくて、作品そのものに投影されている「なにか」を「世界観」って言うようになったと思うが、最近は乱用がひどくって、単に「作風」とか「雰囲気」程度のものまで「世界観」にされちまってる。 あと、わざわざ「世界観」じゃなくても「世界」でもOKなんじゃないか?とか。 「作品の世界観を再現した」じゃなくて「作品の世界を再現した」で、意味わかるよね? 「世界観」は作品の背後にあるもので、そう簡単に再現はできねえんじゃないかなあ。 とりあえず、スピーディーな世界観ってなんだ? 単に、テンポの良い作品を作りたかっただけの話
インターネットは空っぽの洞窟が出版されたころ、ダイヤルアップ接続でウェブ空間に来た。 感動した、未来を見た。希望を感じた。 きっと世の中にとってプラスに働くだろうと感じた。 それから早四半世紀。 「はてなは残念」と創業者に切って捨てられ随分立つ。 2ちゃんがリンチ装置になったのは21世紀になって比較的早い時期だったし、 高尚な理想があったはずの日本語版Wikiがインテリ崩れの自己顕示欲発露の為だけの空間になったのも早かった。 どんなサービス、サイトが生まれても数年もしないうちに2ちゃん化し、 かつて隣組や五人組を連想させる息苦しい空間へと変質し日本語ウェブ圏は底質化していった。 スマホが現れ一億総ネット社会になったこの7-8年はもう語るに落ちた感がある。 この間テレビを見ていたら、 その原因の一部を担ったであろう西村博之はとうの昔に仏国暮らしと聞いて呆れると共に、 国内にいたら暗殺か逮捕の
ハードディスクは消耗品だ、とよく言われる。 頭では壊れるものだとはわかっている。 でもかれこれ20年以上自分のパソコンというものと付き合っていて、10台ほど買い替えたり、ハードディスクを交換したりしてきた。交換ディスクも3.5インチにはWesternやらSeagate、2.5インチにはHGSTなど主要メーカーのものは大抵使ってみたが、突然HDDが読み取れなくなった、ということは一度もない。むしろメモリや電源の方が先におかしくなる。 だからハードディスクの故障に備える、という感覚がピンとこない。個人使用だからというのもあるが、RAID組むなんてお金と電気がもったいないとさえ思えてしまう。 今はPCの方はSSDなので書き込み限界がくるまで多分大丈夫なんじゃないか。レコーダーとバックアップ用NASは昔ながらの磁気ディスクなので壊れるリスクはあるのだが、大丈夫だろうとタカをくくっている。 自分は甘
そろそろ彼らにも名前が必要だと思うんだ。 彼らってのは 日本死ね、とか最近だとJASRACの著作権やキングコング西野の作品無料公開とかこういう話題を有名にした見えない人たち 【正義のヒマ人】(修正)正義感で特定の話題を扇動させる人たちの呼称 批判、賛成、客観視などをSNSを通じて拡散させる 批判などで特定の話題を扇動させる人たちの呼称 中身のない批判、罵声などをSNSを通じて拡散させる 【特徴】修正元の話題や発言者に対して批判的な人が多い投稿の動機の根底には承認欲求や自己顕示欲が含まれる。批判行為が生きがいやライフワークなのでは?という見方もある。(追記)軽い気持ちのコメント、投稿などを通じて無自覚のうちに正義のヒマ人化している場合がある投稿の動機は正義感によるところが多いとされるが根底には承認欲求や自己顕示欲が含まれる。何よりヒマ人。【用例】JASRACよく燃えるね、正義のヒマ人頑張って
急に書きたくなったので勢いのままに書いてみます。 普段はTwitterで短い言葉でしか書いてないから、ブログ型式はよくわかりません。 タイトル通りアイドルマスターという作品にハマった後に一度離れ、 その後にもう一度復帰するまでの事です。 そのため、中心になるのは765ASですが、一応、他のシリーズについてもちょっとは触れておこうと思います。 アイドルマスターとの出会い、別れ、そして復帰アーケード~最新のプラチナスターズまでの所謂765ASだけのやつ((この紹介の仕方も年明けのPミで何かいいのが出来るかな?))です。 アイマスとの出会いはアーケードが世に出た後、冬コミのオフ会で面白いゲームがあるぞ、と教えてもらった事でした。 アキバのとあるゲーセンにワンフロア全てがアイマスしかないところがあり、そこでプレイしてはまりました。 とはいえ、当時は学生でしたのであまりお金もなく、月2回ゲーセンに行
この先、日本のネット世論ではトランプの扱いは今のプーチンみたいになる。プーチンはなぜか日本と歴史・領土問題を抱える国のトップなのに同じような中国や韓国のリーダーに比べてネット上ではバッシングが少ないって言われてた。 その理由は一つはぶっちゃけ白人男性だからってのもあるんだろうけど、まあ何より彼の言動は権威主義的性格のある人にとっては理想的なリーダー像を演じてるってのもあるんだろうと思う。 トランプもこれらの要素に当てはまるから、日本のネットでは彼はプーチンみたいに言動や画像なんかを集められて「愛されキャラ」みたいなポストに就くだろうね(だけど「怖い」っていうキャラ付けにはならないだろうな)。いや、プーチンより露出度高いからもっと分かりやすいかも。 もしかすると今の安倍ちゃんを超える丁重な扱いをされる可能性がある。だって結局海の向こうの人間だし、安倍ちゃんよりもそのキャラは権威主義的性格には
よく「日本人は陰湿」「海外には日本人のような陰湿な嫌がらせをする文化がない」なんて言われるけど、それって日本が銃社会じゃないことにも関係しているように思う。 日本が銃社会になれば、もっとカラッとした国になるんじゃないだろうか。例えば今自殺しているような人は、原因となっている相手を銃殺することで問題が解決するし、「相手にあまりに酷いことをすると銃殺される」というストッパーができることで、日本の陰湿さにも歯止めがかかるような気がする。ブラック企業は経営陣が銃殺されることで考えを改めるだろうし、行きすぎたヘイトスピーチも銃殺事件が起きれば静かになるだろう。若者が銃を手にとって老害を駆逐し始めれば、若者を虐げることしか考えていない老害も反省し始めるのではないか。 今虐げられている人たちも、「銃」という武器を持つことで相手と対等の力を手にいれられるわけで、それは社会の安定にもつながるのではないかと思
漫画や作曲界隈だと、一定以上の才能がなければそもそもその創作活動を行うことすら困難だよね。 『とりあえずコンテストに応募すること』を目標とするだけでも相当な数が淘汰されてしまうはずだ。 でもラノベ界隈にはそのボーダーがない、しいて言うならば『日本語がわかるか』くらい。 ハードSFや純文学を書くのにはある程度の教養や調査が必要になるが、 学園ラブコメやよくある中世西洋ファンタジーにはそれすらも必要ないんだろう。 だからなのか、文体がめっちゃ軽い人気ラノベとか読んでると 『なんの才能もない俺だけどこれなら一攫千金狙えるんじゃないか?』 ってニートの自分ですら思えてきてしまう。 本当に凄い。『俺でも書けそう』感が凄い。
なぜ現代の日本ではポピュリズムがかつてのナチや今の米国のトランプ現象のような(国家社会主義的な)形を取らないで経済政策的に逆の(新自由主義的な)現れ方をするのか? についてはどう解釈したらいいんだろうな。 というTweetを見たので思うところを書く。 それは「なぜ私たちは困窮しているのか?」という問いの答えが、そのまま表れているのだと思う。 この問の答えとなりうるものはいくつか有る。この場合、その答えが本当に正解かどうかは問題ではない。その人(国民が)がどんな答えを想起して、望むのか? というのが要件になるからだ。 ひとつには「富裕層が搾取しているから、私たちは困窮しているのだ」というものだ。ある意味左翼的な発想だといえる。この答えのパターンは国内でも国外でも見られる。日本の場合この「富裕層」というのが実にふわふわしてるので「企業が搾取している」みたいな形で表出しているように思える。「内部
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