三井三池鉱業所の坑口から約500m入った坑内で爆発が起きた。爆風と炎は各所に落盤を引き起こし、さらに一酸化炭素が坑内に充満して、死者458人、重軽傷者555人と戦後最大の炭坑災害となった。 (1) 石炭から石油へと当時のエネルギー革命が進むなか、三井鉱業は1959年から1960年にかけて大量解雇による合理化を行なった。 (2) これをめぐって労働争議が行なわれたが、労働側が敗北し大規模な合理化が進められた。 (3) その結果、争議前後で人員は15,000人から10,000人に削減されたが、生産量は8,000トン/日から15,000トン/日に増大、1人あたりの能率は2.8倍に上昇していた。 (4) このように生産コストの切り下げに伴って保安要員も減少していった。 (5) 1963年11月9日、坑口から約500m入った坑内で爆発が起きた。爆風と炎は各所に落盤を引き起こし、さらに一酸化炭素が坑内