2022年9月3日のブックマーク (2件)

  • ソユーズ1号

    男の友情 1966年1月。ソ連の宇宙開発を主導していたコロリョフの死は、現場を大混乱に陥れた。彼の存在は、あまりにも大き過ぎた…ライバルであったグルシュコが彼の死をどう感じたかはわからないが、そう急に、彼の力で収拾できるものではなかった。 しばらくの混乱の後、第一設計局の長として、長年コロリョフと行動を共にしてきたバシーリ・ミーシン(Vasili Pavlovich Mishin)が任命された。彼はコロリョフがドイツに視察に赴いた際(開発史(4)参照)からの盟友で、コロリョフの主席補佐を務めてきた。技術者としての力も強く、R-7ロケットを作り上げたのは、実質彼だとまで言われる。 当時、ソ連の宇宙開発は行き詰まりを見せていた。1965年のウォスホート2号の飛行が危機一髪だらけであったことから、同型の宇宙船への信頼性が揺らぎ、その後の計画が疑問視されていた。ミーシンの初仕事は、それらを正式にキ

    semimaruclimb
    semimaruclimb 2022/09/03
    トラブルだらけだったにもかかわらず、国威発揚のために打ち上げ強行され、案の定失敗して犠牲者を出した旧ソ連のソユーズ1号。アメリカのスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故と双璧を成す。
  • これまで何人のロシア人宇宙飛行士が宇宙任務で死亡したか(インフォグラフィック)

    1971年6月6日。バイコヌール宇宙基地の発射台の「ソユーズ11号」。Vladimir Musaelyan/TASS// 訓練船に乗る宇宙船「ソユーズ11号」の乗員。 Aleksandr Mokletsov/Sputinik 最初に断っておく。宇宙滞在中に亡くなった宇宙飛行士は一人もいない。任務中に亡くなったとしても、それは地球の大気圏内のことであり、船内の気密性が破れたり、パラシュートが上手く作動しなかったりしたことが原因だ。 ソ連の宇宙飛行士で任務中に亡くなったのは計4人、最後の死亡事故が起こったのは1971年である。 しかし世界全体で見ると、亡くなった宇宙飛行士の数は18人に上る。 圧倒的多数の宇宙飛行士が死亡しているのは米国による宇宙任務だ。1986年のスペースシャトル「チャレンジャー号」の事故では7人の米国人宇宙飛行士が亡くなった。事故は打ち上げ73秒後、高度14キロメートルで起

    これまで何人のロシア人宇宙飛行士が宇宙任務で死亡したか(インフォグラフィック)
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    semimaruclimb 2022/09/03
    【宇宙飛行士の死因の第1位は心血管疾患と癌だった。なお死因の中でトップは心疾患だが、宇宙に長時間滞在した人ほど癌を発症する割合が高かった。】