昭和14年、法曹界で一時代を築いた人物を首相とする内閣が発足した。首相の名は平沼騏一郎。しかし騏一郎は、「欧州の天地は複雑怪奇」という有名なせりふを残し、わずか9カ月で内閣を退陣した。騏一郎は「右翼」「ファッショ」のレッテルを貼られ、戦後はいわゆる「A級戦犯」として裁かれた。養子として間近に見た元経済産業相、平沼赳夫は「騏一郎は非戦派だった」と語る。 ◇ 69年目となった今年の終戦の日、平沼は例年通りに靖国神社を参拝した。 <戦争に従事した英霊に「ありがとうございます」という思いしかない> 靖国には「祖父」と尊敬した騏一郎が合祀(ごうし)されている。「A級戦犯」らは日本の主権回復後、国会決議によって名誉を回復された。ただ、騏一郎が祀(まつ)られることには複雑なようだ。 <騏一郎のことは頭に浮かばない。騏一郎は(軍人ではなく)文官だからね。母は合祀されたと聞いて「何でおじいさんは靖国