万感の涙にむせぶ福原は、あの3歳の「泣き虫愛ちゃん」なのだ。そう思うと、涙腺が緩んできた。泣きながらラケットを振っていた幼い少女が、日本の大黒柱として五輪2大会連続メダルの快挙を成し遂げたのだ。スポットライトを浴び続けた特異な人生を、よくぞ真っすぐ育ってくれた。スポーツとは、これほどまでに人間を成長させることができるのだ。 「本当に苦しいオリンピックでした」。戦い終えた福原は言った。個人戦ではあと1歩で悲願を逃し、右太もも痛を抱えた団体戦は思うように勝てなくなった。それでも主将として声をからし、12歳年下の相棒には細やかに声をかけ続けた。ロンドンの銀メダルが20年間こつこつ頑張ったご褒美だったなら、リオの銅メダルは人間力で引き寄せた勲章のように私には見えた。 福原には五輪のたびに驚かされてきた。04年アテネ五輪、4回戦で敗れた15歳は「楽しめましたか」の質問に、「楽しむためにきたんじゃない