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日記:必要だから使うけれどもそれは捏造(フィクション)なのだと自覚して使うべきよ。あるいは。そんな捏造は必要ないかもしれない、という自覚。 - ujikenorio’s blog
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- −−隠喩の浄化というと、隠喩を排除することですか? そうとも言える。あるいは、隠喩に対する極度の懐... - −−隠喩の浄化というと、隠喩を排除することですか? そうとも言える。あるいは、隠喩に対する極度の懐疑とも言える。考えることによって隠喩はとても重要だけど、それを使うにあたっては信用しきってはならない。必要だから使うけれどもそれは捏造(フィクション)なのだと自覚して使うべきよ。あるいは。そんな捏造は必要ないかもしれない、という自覚。なんらかの暗在的な隠喩をいっさいもたない考えなんてあるのか。それは想像つかないけれど、隠喩でなりたっている考えがあることは事実で、すなわち、その考えには限界があるということなのよね。私がつねに魅了される言説はこのような懐疑を表明しているものだし、また、隠喩のさらに向こう側まで行って汚れなく透明な域に達するもの、つまり、バルトの言葉を使えば、零度の次元において書かれたもの。もちろん、まったく逆の方向へ行くこともできる、ジェイムズ・ジョイスのように。で、言語にでき