ブックマーク / ujikenorio.hatenablog.com (56)

  • 日記:「元創価大非常勤講師 安保法制反対 その4カ月後に…」、『しんぶん赤旗』日本共産党中央委員会、2016年06月28日(火)付。 - ujikenorio’s blog

    - 元創価大非常勤講師 安保法制反対 その4カ月後に… 安全保障関連法に反対する創価大学・創価女子短期大学関係者有志の会 佐野潤一郎さんのスピーチ 安全保障関連法に反対する創価大学・創価女子短期大学関係者有志の会の佐野潤一郎さん=兵庫県在住=は26日、兵庫県西宮市で開かれた、安全保障関連法に反対する関西圏大学有志の会共同集会に登壇し、スピーチしました。その要旨を紹介します。 3月まで、創価大学で英語担当非常勤講師でした。安保関連法に反対して立ち上がったのが昨年8月。その4カ月後、大学から雇い止めを通告されました。 創価大学有志の会が「安保関連法に反対する学者の会」の一員として立ち上がったのは、2015年8月15日でした。翌日には取材を受け、「創価」の人間が立ち上がったと大々的に報道されました。その反動はすさまじいものでした。ネットでは、私たちの「主張」ではなく「人格」を攻撃する人たちが、心

    日記:「元創価大非常勤講師 安保法制反対 その4カ月後に…」、『しんぶん赤旗』日本共産党中央委員会、2016年06月28日(火)付。 - ujikenorio’s blog
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    sessendo 2016/07/03
  • 日記:必要だから使うけれどもそれは捏造(フィクション)なのだと自覚して使うべきよ。あるいは。そんな捏造は必要ないかもしれない、という自覚。 - ujikenorio’s blog

    - −−隠喩の浄化というと、隠喩を排除することですか? そうとも言える。あるいは、隠喩に対する極度の懐疑とも言える。考えることによって隠喩はとても重要だけど、それを使うにあたっては信用しきってはならない。必要だから使うけれどもそれは捏造(フィクション)なのだと自覚して使うべきよ。あるいは。そんな捏造は必要ないかもしれない、という自覚。なんらかの暗在的な隠喩をいっさいもたない考えなんてあるのか。それは想像つかないけれど、隠喩でなりたっている考えがあることは事実で、すなわち、その考えには限界があるということなのよね。私がつねに魅了される言説はこのような懐疑を表明しているものだし、また、隠喩のさらに向こう側まで行って汚れなく透明な域に達するもの、つまり、バルトの言葉を使えば、零度の次元において書かれたもの。もちろん、まったく逆の方向へ行くこともできる、ジェイムズ・ジョイスのように。で、言語にでき

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    sessendo 2016/06/07
  • 「マイノリティに不利な条件を押しつける国家や社会はマジョリティをも抑圧」する - ujikenorio’s blog

    - マジョリティの不幸 書で述べてきたように、戦時下の朝鮮人は、同じ帝国臣民とされながらも、日人に対しては見られなかったような手段を用いた動員の対象となり、不利な条件のもとでの労働を強いられた。だが、これは日帝国のマジョリティたる日人がマイノリティの朝鮮人を犠牲にすることで恵まれた立場にいたということを意味するわけではない。むしろ、朝鮮人の存在によって日人民衆に対する抑圧もまた続けられていたと見ることが可能である。 労働力不足のなかで増産を実現しなければならないという問題の解決策の選択肢は、何も安い労働力を外部から導入するということのみではなかった。労働者の生産意欲を高め、労働時間を適切に管理するなどして、生産性を向上することで労働力不足をカバーする政策もあり得たし、少なくともそれが加味されてしかるべきであっただろう。労働運動が壊滅していた戦時体制の初期であってもそうした議論はな

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    sessendo 2012/06/14
    少なくとも言えるのは、原発が犠牲のシステムであるということである…犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、尊厳、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維
  • 覚え書:「ひと 『脱原発宣言』を実行する城南信金理事長 吉原毅さん(57)」、『毎日新聞』2012年6月1日(金)付。 - ujikenorio’s blog

    - ひと 「脱原発宣言」を実行する城南信金理事長 吉原毅さん(57) 「同調する経済人は少ないが、ごまめの歯ぎしりでも訴え続ける」 東京電力福島第1原発事故で、ふるさとを追われた人々を目の当たりにして、昨年4月、「信金の原点は、助け合って地域社会を守る協同組合運動。見て見ぬふりでは、存在気がなくなる」と脱原発を宣言した。省エネなどを進め、「原発で作る約3割分節電」という目標が射程に入った。 次々と手を打った。電化製品を省エネ型に取り換え、照明は半分にし、発光ダイオード(LED)に替えた。冷房温度は29度。11年度全店舗の電力消費を前年度比23・5%減に抑制した。「原発以外の電気を使おう」と、今年1月、電力の契約を東電から天然ガス発電会社に切り替えた。「年1000万円の節約にもつながった」という。 一方、ソーラーパネルや自家発電機をローンで買う人には金利の軽減を、自己資金の場合は、預金金利の

    覚え書:「ひと 『脱原発宣言』を実行する城南信金理事長 吉原毅さん(57)」、『毎日新聞』2012年6月1日(金)付。 - ujikenorio’s blog
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    sessendo 2012/06/03
    「お客の役に立つ融資に徹する」「投機の金は貸さない」方針を貫く。/覚え書:「ひと 『脱原発宣言』を実行する城南信金理事長 吉原毅さん(57)」、『毎日新聞』2012年6月1日(金)付。 - Essais d’herméneutique
  • 覚え書:「異論反論 橋下大阪市長に注目が集まっています 危うくとも潰してならぬ=佐藤優」、『毎日新聞』2012年2月29日(水)付。 - ujikenorio’s blog

    - 異論反論 橋下大阪市長に注目が集まっています 危うくとも潰してならぬ 寄稿 佐藤優 日政治が機能不全を起こしている。この閉塞状況を打破してくれるのではないかと橋下徹大阪市長に対する期待感が高まっている。同時に、橋下氏の手法が、ファシズムに親和的な「ハシズム」でないかという懸念も有識者の中で強い。筆者は、橋下氏の政治手法はファシズムと根的に異なるとみている。まず橋下氏にはファシズムに特徴的な金融資批判と社会的弱者に対する再配分という主張が欠如している。それ故に橋下氏が弱肉強を是認する新自由主義者であると決めつけるのも間違いだ。橋下氏は、目の前にある問題を現実的に解決しようとする実証主義者である。 さらにファシズムの特徴は、排外主義にある。国内政治において、橋下氏は常に仮想敵を作り出して、自らの権力基盤を強化するという手法をとっている。ポピュリズムの文法に従い、中国韓国北朝鮮

    覚え書:「異論反論 橋下大阪市長に注目が集まっています 危うくとも潰してならぬ=佐藤優」、『毎日新聞』2012年2月29日(水)付。 - ujikenorio’s blog
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    sessendo 2012/03/01
    橋下氏には確かに危うい要案がある。しかし、過ちを犯さないのは何もしない人だけだ。/覚え書:「異論反論 橋下大阪市長に注目が集まっています 危うくとも潰してはならぬ=佐藤優」、『毎日新聞』-Essais d’herméneu
  • 覚え書:「引用句辞典 不朽版 お笑い番組 鹿島茂」、『毎日新聞』2012年1月25日(水)付。 - ujikenorio’s blog

    - 引用句辞典 不朽版 お笑い番組 鹿島茂 テレビをつまらなくする 極小タレント共同体 われわれの笑いというものは、常に、ある人間集団の笑いなのである。(中略)笑いには、現実のものであれ、想像されたものであれ、ともに笑う人々のあいだでの了解済みの底意が、わたしに言わせれば共犯性が、潜んでいる。観客の笑いは、劇場の客席が埋まっていればいるほど大きく広がる、とは繰り返し言われてきたことではないだろうか? また、喜劇的効果の多くは、ある言語から別の言語に翻訳できない、したがって笑いはある特定の社会集団の風俗や観念に相関している、と何度指摘されてきたことか? (アンリ・ベルクソン『笑い 喜劇的なものが指し示すものについての試論』竹内信夫訳、白水社) 地上デジタル放送への移行のおかげで、視聴可能なチャンネル数が増えたが、それによってひとつ確認できたのはテレビにはお笑いと通販しかないという事実である。

    覚え書:「引用句辞典 不朽版 お笑い番組 鹿島茂」、『毎日新聞』2012年1月25日(水)付。 - ujikenorio’s blog
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    sessendo 2012/01/27
    "問題は、いまの若いお笑いタレントにとって、この《幻想の共同体》が非常に狭く見積もられていることだ。極端にいえば、両手を広げてグルリと回った範囲、つまり、家族と友達とクラスメートと先生と……それ以上は
  • 幸福こそが哲学の目標です - ujikenorio’s blog

    - 幸福こそが哲学の目標です。もっと正確に言うなら、哲学の目標とは叡智であり、だからこそ幸福でもあるのです−−なぜなら、繰りかえしになりますが、哲学の歴史を通してみると、そしてとりわけギリシアの伝統のなかでもっとも評価されている見解の一つによれば、叡智がそれと認められるのは幸福のもとでのことであり、すくなくとも幸福のある種のあり方においてのことなのですから。というのも、賢者が幸福であるとしても、そのためには、どんな方法によっても、どんな犠牲を払ってもよいというわけではないからです。叡智が幸福であるとしても、そのためには、どんな幸福でもかまわないということではありません。 −−アンドレ・コント=スポンヴィル(木田元・小須田健・C・カンタン訳)『幸福は絶望のうえに』紀伊國屋書店、2004年、16頁。 - 土曜と日曜の二日間、大阪にて通信教育部の地方スクーリングで「倫理学」を講じてきました。 3

    幸福こそが哲学の目標です - ujikenorio’s blog
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    sessendo 2012/01/23
    "幸福こそが哲学の目標です。もっと正確に言うなら、哲学の目標とは叡智であり、だからこそ幸福でもあるのです"(アンドレ・コント=スポンヴィル)
  • なにかを知るということは、身軽に飛ぶということではなく、重荷を負って背をかがめること - ujikenorio’s blog

    - 私が学校教育読書から得られる知識に重きをおかないのは、やはり同じ理由からです。人々は知識を得るということに、根的な錯覚をいただいている。人々はなにかを知っているということによって、より高く飛べるようになると思っているようです。いままで知らなかった世界が開けてくると思うのでしょう。が、それは反面の真理にすぎない。なるほど、峠の上に立った人は、谷間にうごめいている人より、周囲をよく見わたせるかもしれません。が、こういうことも考えてみなければならない。一つの峠に立ったということは、それまで視界をさえぎっていたその峠を除去したことであると同時に、また別のいくつかの峠を自分の目の前に発券するということであります。あることを知ったということは、それを知る前に感じていた未知の世界より、もっと大きな未知の世界を、眼前にひきすえたということであります。 さらに、それは、そのもっと大きな世界を知らなけ

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    sessendo 2012/01/20
    福田恆存「教養について」/なにかを知るということは、身軽に飛ぶということではなく、重荷を負って背をかがめること - Essais d’herméneutique
  • 覚え書:鴻上尚史「成人するあなたへ」、『愛媛新聞』2012年1月9日(月)付。 - ujikenorio’s blog

    - 鴻上尚史「成人するあなたへ」 物の孤独と出会おう 成人、おめでとう。でも大人とはなんでしょう。賢いあなたは、年を重ねることと、大人になることは何の関係もないと見抜いているんじゃないですか? あなたの周りには、二十歳をとうに過ぎているのに、少しも大人じゃない人が何人もいるはずです。 大人と子供の違いはなんでしょう。二十歳を過ぎると、実にやっかいな問題にぶつかります。解決不可能な、どちらの結論を選んでも、間違っているんじゃなかと思えるような、正しい解決策が見えない課題です。 でも、人生の問題とはそういうものです。大学入試まで、子供は「問題には必ず正解がある」と思い込まされていますが、もともと、人生の問題には、完全に正しい解答なんてありません。 そういう時、子供は、自分で考えることをやめて、親や誰かのアドバイスや言いつけに従います。そうすれば楽ですし、責任も生まれません。子供とは、いつも誰

    覚え書:鴻上尚史「成人するあなたへ」、『愛媛新聞』2012年1月9日(月)付。 - ujikenorio’s blog
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    sessendo 2012/01/11
    テキスト版/"成人式でお酒を飲んで暴れている若者が、毎年話題になりますが、彼らは、本当の意味で一度も孤独になったことがない人達だと思います。孤独には、「本物の孤独」と「偽物の孤独」があります。(鴻上尚
  • 覚え書:樹の沈黙を聴く 1983-2-25-Friday - ujikenorio’s blog

    - 樹の沈黙を聴く 1983-2-25-Friday 河のそばに樹があって、われわれは日が昇るとき、数週間も毎日それを眺めていた。地平線の上に、樹を越えてゆく日がゆっくり昇るにつれて、くだんの樹は突然、金色になる。あらゆる木の葉がいのちで生き生きとし、それを見守っていると、時間が経つにつれて、名称などどうでもよいその樹−−大事なのはその美しい樹なのだ−−その途方もない質は、地上いっぱいに河を覆って広がるように見える。日が少し高く昇ると、葉はひらひらと揺れ踊りはじめる。そして一時間ごとにその樹の質は変わってゆくように見える。日の昇る前は、くすんだ感じで、静かで遠く、威厳に満ちている。そして一日がはじまると、木の葉は光を浴びて踊りだし、偉大な美のあの特別な感じを持つのだ。日中までにその影は深まり、そこに坐って、太陽から護られ、決して淋しさを覚えることもなく、その樹を友としていることができる。

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    sessendo 2012/01/05
    "木の葉を通り抜ける風の音でも、木の葉を揺るがす朝の微風でもなく、それ自体のひびき、樹の幹のひびき、樹の根の沈黙したひびきである。そのひびきを聴きとるには、途方もなく敏感でなくてはならない。"(クリシュ
  • 他の文化が滑稽に映る様子と同じように、もし自身の文化を異邦人の視点から捉えたらどうか? - ujikenorio’s blog

    - 次に多文化主義を語るうえでの、ヨーロッパの宗教的・イデオロギー的遺産に含まれる貴重な側面があります。私にとって守り抜く甲斐のあるヨーロッパ的価値とは何か? 近代哲学の初期段階においてはすでに……デカルト『方法序説』を読めば、彼が思想の追究を始めたきっかけが書いてあります。他の文化が滑稽に映る様子と同じように、もし自身の文化を異邦人の視点から捉えたらどうか? それで、どれほど滑稽かが認識できる。自らの文化がいかに偶然的かを実感するわけです。生まれついた文化が自然だと思わせる生来のルーツから、離脱することができるのです。間違っているかもしれませんが、私はこの体験こそがヨーロッパがもたらしたものだと考えています。そのような意味で、ヨーロッパは真に普遍性を導入した。ヨーロッパの遺産において肯定できる側面です。 −−スラヴォイ・ジジェク(岡崎玲子、インタビュー・訳)『人権と国家 −−世界の質を

    他の文化が滑稽に映る様子と同じように、もし自身の文化を異邦人の視点から捉えたらどうか? - ujikenorio’s blog
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    sessendo 2012/01/02
    "他の文化が滑稽に映る様子と同じように、もし自身の文化を異邦人の視点から捉えたらどうか? それで、どれほど滑稽かが認識できる。自らの文化がいかに偶然的かを実感するわけです。" (スラヴォイ・ジジェク)
  • [日記]人間はどんな荒唐無稽な話でも、聞いているうちに自然とこれがあたりまえと思うようにできている。 - ujikenorio’s blog

    - 人間はどんな荒唐無稽な話でも、聞いているうちに自然とこれがあたりまえと思うようにできている。そして、それがすでにしっかりと根を下ろしてしまう。だから、これを削ったり抹殺したりすると、とんでもない目にあう。 −−ゲーテ(竹山道雄訳)『若きウェルテルの悩み』岩波文庫、1978年、70頁。 - 新年あけましておめでとうございます。 時代が大きく揺れた昨年来、つくづく実感したのが、「人間精神の自由」をこれっぽちも大事に考えない、また経緯をするーして居直り強盗を決め込む連中。 いろんな人間を見てきた気がします。 しかし、「お前ら、アホか」 ……っていっても始まりません。 もう一度、一人一人の人間とのつながりから、わたしもアナタも人間であるという原点から、時代の空気を転換しゆくささやかな挑戦を、より丁寧に探究させていただければと思う次第です。 今年も、まあ、偉そうなものいいや、ゴルァとか、もしくは

    [日記]人間はどんな荒唐無稽な話でも、聞いているうちに自然とこれがあたりまえと思うようにできている。 - ujikenorio’s blog
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    sessendo 2012/01/01
    "人間はどんな荒唐無稽な話でも、聞いているうちに自然とこれがあたりまえと思うようにできている。そして、それがすでにしっかりと根を下ろしてしまう。だから、これを削ったり抹殺したりすると、とんでもない目に
  • 宗教の真正さを試すべき試金石はどこにあるのか。 - ujikenorio’s blog

    - レッシングの『賢者ナータン Nathan der Weise』の指環の物語は、宗教の究極的な最奥の真理がもはや外面的にではなく内面的にのみ立証されることを現している。歴史的事実による経験的な証明であれ、抽象的な論拠にもとづく論理的・形而上学的証明であれ、所詮すべての証明は不十分である。なぜならば結局において、来の宗教はそれが作用する限りにおいてのみ存在し、そしてその質は心情と行為においてのみ実現されるからである。 すべての宗教の真正さを試すべき試金石はこの一点に存する。 −−カッシーラー(中野好之訳)『啓蒙主義の哲学 上』ちくま学芸文庫、2003年、274−275頁。 - 外面的・歴史主義的に導かれる宗教における真理の弁証というものが、宗教間対立の前では、もはや何の役にも立たないことをその身で経験したレッシング(Gotthold Ephraim Lessing,1729−1781)

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    sessendo 2011/12/29
  • ナショナリストは、味方の残虐行為となると非難しないだけではなく、耳にも入らないという、すばらしい才能を持っている - ujikenorio’s blog

    - ナショナリストは、味方の残虐行為となると非難しないだけではなく、耳にも入らないという、すばらしい才能を持っている。 −−オーウェル(小野寺健訳)「ナショナリズムについて」、『オーウェル評論集』岩波文庫、1982年、322頁。 - このオーウェル(George Orwell,1903−1950)の慧眼は、何も「ナショナリスト」にだけ限定される話ではないですよね。 ここに「集団」「党派」「民族」「時代」を入れても当てはまってしまう(´Д`*) - 狂気は個人にあっては稀有なことである。しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である。 −−ニーチェ(木場深定訳)『善悪の彼岸』岩波文庫、1970年、123頁。 - オーウェル評論集 (1982年) (岩波文庫)posted with amazlet at 11.12.28小野寺 健 岩波書店 売り上げランキング: 253854 Amazon

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    sessendo 2011/12/28
    オーウェルとニーチェの箴言。金言というべきか。
  • 「観る」とはすでに一定しているものを映すことではない。無限に新しいものを見いだして行くことである。だから観ることは直ちに創造に連なる。 - ujikenorio’s blog

    - 「観る」とはすでに一定しているものを映すことではない。無限に新しいものを見いだして行くことである。だから観ることは直ちに創造に連なる。しかしそのためにはまず純粋に観る立場に立ち得なくてはならない。 −−和辻哲郎『風土』岩波文庫、1979年、106頁。 - ひとまず月曜日で年度ではなく年内の講義が終了。 後期は70名近くの皆さんが履修してくださり、ありがとうございました。 日は引き続き人間主義の問題を取り扱い、そのあと最終講義へつなぐための導入を最後にやったのですが、自分の手応えとして、 「少し、難しい話をしてしまったかなぁ」 ……と思っていたのですが、リアクション・ペーパーを読み返してみると、完全な杞憂ではなかったようで、それなりに理解してくださったことが分かり少し安堵。 哲学はどこまでも「自分で考える」ことが基になります。 しかしそれと同時に他者とその考え方をすり合わせる、そして

    「観る」とはすでに一定しているものを映すことではない。無限に新しいものを見いだして行くことである。だから観ることは直ちに創造に連なる。 - ujikenorio’s blog
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    sessendo 2011/12/22
  • 覚え書:「2011 東京フィルメックス (5)『無人地帯』藤原敏史監督インタビュー(齋藤敦子)、河北新報社 2011/11/29」 - ujikenorio’s blog

    - 覚え書:「2011 東京フィルメックス (5)『無人地帯』藤原敏史監督インタビュー(齋藤敦子)、河北新報社 2011/11/29」 ―『無人地帯』は、単なる震災やフクシマの問題を越えた、人間とは何か、世界のあり方とは何かというところまで見通した映画でした。まず、最初に福島に行こうと思い立ったのは、どのあたりでしたか? 藤原:2009年くらいから大阪で撮っていた映画があって、2年、3年やっているのに、どうにもうまくいかない。どうしようかと悩んでいるときに震災が起きたんです。2009年というのは夏に民主党への政権交代があり、その後、新しい日になるかと思ったら、むしろ政権が変わったことも含めてそのことを恐れるような風潮になっていった。そのことに強い違和感を感じていたんです。それが、震災が起こって、それってこういうことだったのかと見えてきたことがあった。とはいえ、お金もないし、それだけで福島

    覚え書:「2011 東京フィルメックス (5)『無人地帯』藤原敏史監督インタビュー(齋藤敦子)、河北新報社 2011/11/29」 - ujikenorio’s blog
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    sessendo 2011/11/30
  • 覚え書:「境界を生きる:性分化疾患・決断のとき 〜当事者、読者の声〜 男、女である前に人間」、『毎日新聞』2011年11月3日(木)付。 - ujikenorio’s blog

    - 境界を生きる:性分化疾患・決断のとき 〜当事者、読者の声〜 男、女である前に人間 ◇理解得て結婚、自由に生きる 告白「死ぬまでしない」 染色体やホルモンの異常が原因で男女の区別が難しい病を取り上げた連載「境界を生きる〜性分化疾患・決断のとき」(10月17〜19日)に多くの反響をいただきました。当事者の立場から寄せられた体験や、読者の声を紹介します。【丹野恒一】 「性分化疾患は簡単に割り切れるものではないが、男や女である前に人間なのだという命の原点を見つめ直すことが大切ではないか」。神奈川県藤沢市の尼僧、高井叡空(えくう)さん(72)は、連載にこんな感想を持ったという。 生まれつき膣がなかった高井さん。「女性としての性発達に何らかの問題があったのは確か。性分化疾患という言葉は最近になって知ったが、そういったものの一つだと思って生きてきた」 人生の転機は高校を卒業した直後に訪れた。縁談が持

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    sessendo 2011/11/04
  • 教養科目というのを時間つぶしの余分な知識としか考えないダメな学生や元学生、それを容認してしまう大学教員が増えており、私はかなり疲れている - ujikenorio’s blog

    - 哲学者・阿部次郎が主人公三太郎に仮託して自らの思索の軌跡を綴った『三太郎の日記』(一九一四、一五、一八)では、三太郎の視点を介して、ギリシア神話、聖書、ダンテ、カント、ヘーゲル、ゲーテ、ニーチェ、トルストイ等、膨大な量の西洋の古典的な書物の世界を渉猟しながら、「人生いかに生くべきか」という根源的な問いに対する答えを探求していくという、いかにも“教養主義的”な叙述スタイルが採用されている。 そして、この問いに対するヒントを与えてくれるものとして、西欧的な個人主義の神髄とも言うべき「哲学」、あるいは、漱石や鷗外の作品のように、哲学的なテーマを中心に据えた文学作品・評論に対する関心が高まることになった。「哲学」的な問いを中心に、[教養=人格形成Bildung]観が形成されていくという考え方は、一九世紀ドイツ教養主義と共通している。大正デモクラシーの時代は、西洋的な「哲学」が、高等学校・大学

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    sessendo 2011/10/08
  • 高い志にもかかわらず、自分でも嫌っている殺戮と惨禍をひき起こす連中…… - ujikenorio’s blog

    - フランス革命史において、まさにリヨンの叛乱は、最も血なまぐさい殺伐の数頁の一つであるが、しかもこれをひもとく者はまれである。しかも当時まだ小市民的な農業国であってフランスにおいて、第一の工業都市であり絹製造業の場であったリヨン市は、社会的階級の対立が先鋭化していた点で、どのような都市にもまさり、パリさえもぬていた。まだブルジョワ的色彩をおびていた一七九二年の革命の最中に、この都市の労働者は、すでに明瞭な形で、王党的な資家的な考えを抱いている企業か階級と劃然と区別せられるプロレタリア群を形成したのだが、これも全国においてはじめてのことだった。このように葛藤の熾烈な土地柄だったからこそ、革命でも反動でも、それが殺伐無頼、過激きわまる形をとってあらわれてきたことは、べつにふしぎではないのである。 ジャコバン党ひいきの連中、それに労働者や失業者群は、世界的変革に際してとつぜん社会の表面に浮

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    sessendo 2011/10/03
    ツヴァイク
  • 新しい主義の宣伝者を、かりに火つけ役だとすれば、相手に精神的な燃料があってこそ、火がつけられるのだ。 - ujikenorio’s blog

    - むかし景気のよかったものは、復古を主張し、いま景気のよいものは、現状維持を主張し、まだ景気のよくないものは、確信を主張する。 相場はこんなところだ、相場は! かれらのいう復古は、かれらの記憶にある若干年前にもどることで、虞・夏・商・周の古代ではない。 −−魯迅「小雑感」、竹内好編訳『魯迅評論集』岩波文庫、1981年、100−101頁。 - どうやら引き裂かれた現場を降りることなく佇み、状況を怜悧に観察した人間の箴言ほど寸鉄心を打つものはなく、そして人間に対する慈愛において追随を許さないものはないのだと思うことがよくあります。 魯迅(Lu Xun,1881−1936)の言葉のひとつひとつがそれであり、右から左へ大きく揺れ動いた訳者の竹内好(1910−1977)が魯迅に仮託していったものがそれなかも知れません。 宿痾のようにこびりついた儒教イデオロギーを撃つと同時に、革新ラッパの虚偽を撃ち

    新しい主義の宣伝者を、かりに火つけ役だとすれば、相手に精神的な燃料があってこそ、火がつけられるのだ。 - ujikenorio’s blog
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    sessendo 2011/09/16