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2017年9月19日のブックマーク (3件)

  • ミャンマー:行き場失う少数派 周辺国に40万人避難 | 毎日新聞

    ミャンマー西部ラカイン州で8月25日に始まった少数派イスラム教徒ロヒンギャの武装組織と治安部隊との戦闘で、国連によると、隣国バングラデシュに避難したロヒンギャは14日までに約40万人にのぼる。ロヒンギャ難民が国際問題化した1990年代の23万人を上回る規模だ。何が問題になっているのか。過去の経緯とこの3週間の動きを振り返った。 ミャンマー政府によると、地元の武装組織「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)が8月25日未明、ラカイン州北端部に位置するマウンドーの警察施設を襲撃し、治安部隊が反撃したことから戦闘が拡大した。政府の発表(6日現在)では、59村の約7000軒が焼けたほか治安部隊15人、市民30人を含む432人が死亡。死者は1000人超との情報もある。

    ミャンマー:行き場失う少数派 周辺国に40万人避難 | 毎日新聞
    shaphere939
    shaphere939 2017/09/19
    “ 「我々はミャンマー人でもインド人でもバングラ人でもない。どうすればいいのか」。インドに住むロヒンギャの学生、アザドさん(23)は嘆いた”
  • ロヒンギャ問題はなぜ解決が難しいのか/根本敬 - SYNODOS

    国際社会は現在、日も含め、ヨーロッパに流入するシリア難民の問題に関心を向けている。しかし、難民はシリアだけの問題ではない。年(2015年)5月には東南アジアの海域で生じたロヒンギャ難民のボート・ピープルに注目が集まった。この問題は忘れ去られつつあるが、全く解決されていない。なぜ、解決が難しいのだろうか。 (1)難民としてのロヒンギャ ロヒンギャとは、ビルマ(ミャンマー連邦共和国)のラカイン州北西部に住むイスラム系少数民族のことである。ラカイン州はビルマ西岸部に位置し、その北西部はナーフ河をはさんで隣国バングラデシュと国境を接している。 ロヒンギャは1970年代末と90年代初めの2回にわたり、バングラデシュへ20万人規模の難民となって大量に流出し、そのことで国際的に知られるようになった。バングラデシュ最南部のテクナフからコックスバザール周辺には、現在もロヒンギャの難民キャンプが複数残って

    ロヒンギャ問題はなぜ解決が難しいのか/根本敬 - SYNODOS
    shaphere939
    shaphere939 2017/09/19
    “背景にはバングラデシュやインドのほか、タイやマレーシア、インドネシアを根城とする国際人身売買ビジネスの暗躍があった。これら悪質な難民ビジネスは、未来の希望が見えないロヒンギャからなけなしの金を集…”
  • 【アジアの目】ロヒンギャ問題の経緯とは? 上智大総合グローバル学部教授・根本敬氏(1/3ページ)

    ミャンマー西部ラカイン州の北部に住むイスラム系少数民族ロヒンギャをめぐる問題について、根敬・上智大総合グローバル学部教授に寄稿をしてもらった。 遡るれるのは1950年 ロヒンギャは、1970年代末と90年代初めに隣国バングラデシュへ大量に難民として流出したことで、世界的に知られるようになった。 ミャンマー国民の多くは、政府と一緒になって、ロヒンギャをバングラデシュから不法に入ってきた「ベンガル人」と呼ぶ。皮膚の色が黒く、顔の彫りが深いこと、ビルマ語を上手にしゃべれないこと、そしてムスリム(イスラム教徒)であることが、「ベンガル人」であることの証拠とされる。 一方、バングラデシュ政府もロヒンギャを自国民とは認めていない。ロヒンギャは両国から排除され、無国籍状態に置かれている。 彼らはそもそも何者なのか。18世紀末にベンガルからラカイン北部を調査した英国人が、「ルーインギャ」なる人々がいたこ

    【アジアの目】ロヒンギャ問題の経緯とは? 上智大総合グローバル学部教授・根本敬氏(1/3ページ)
    shaphere939
    shaphere939 2017/09/19
    “1826年に英国がこの地域を植民地化して以降、事情は一変する。ベンガル側から大量のムスリムが仕事を求めてラカイン側に入り、数世代にわたって定住するに至る。この間にラカイン人仏教徒との共存関係が崩…”