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【アジアの目】ロヒンギャ問題の経緯とは? 上智大総合グローバル学部教授・根本敬氏(1/3ページ)
ミャンマー西部ラカイン州の北部に住むイスラム系少数民族ロヒンギャをめぐる問題について、根本敬・上... ミャンマー西部ラカイン州の北部に住むイスラム系少数民族ロヒンギャをめぐる問題について、根本敬・上智大総合グローバル学部教授に寄稿をしてもらった。 遡るれるのは1950年 ロヒンギャは、1970年代末と90年代初めに隣国バングラデシュへ大量に難民として流出したことで、世界的に知られるようになった。 ミャンマー国民の多くは、政府と一緒になって、ロヒンギャをバングラデシュから不法に入ってきた「ベンガル人」と呼ぶ。皮膚の色が黒く、顔の彫りが深いこと、ビルマ語を上手にしゃべれないこと、そしてムスリム(イスラム教徒)であることが、「ベンガル人」であることの証拠とされる。 一方、バングラデシュ政府もロヒンギャを自国民とは認めていない。ロヒンギャは両国から排除され、無国籍状態に置かれている。 彼らはそもそも何者なのか。18世紀末にベンガルからラカイン北部を調査した英国人が、「ルーインギャ」なる人々がいたこ
2017/09/19 リンク