1615年8月22日、遣欧使節一行はスペインのマドリードを出発してローマに向かった。 この直前の8月1日付でスペイン国王フェリペ3世(画像)は、ローマ駐在大使フランシスコ・デ・カストロ伯爵に対し、支倉常長以下使節一行がローマ滞在中に援助をするように命じた書簡を送っている。 「…日本における奥州の王の大使が当地に参り、今その地(ローマ)へ渡航しようとしております。その重大な目的については、彼が諸君らに直接告げるでしょう。当地で協議した用件(交渉事)は、われらの主のために非常に有益であった。朕の名において彼(支倉)を助け、彼が諸君に求めることはすべて朕が非常によく奉仕したように、貴下も同様に彼らのために最も都合の良い方法で援助するように命じます。…」(「伊達政宗の密使」p.164所収) この書簡の中で国王は支倉常長を「誠実で尊敬できる人物であり、人柄も賞賛を受けるに値し」と絶賛しているのだ。