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伊達政宗の天下取りの野望と慶長遣欧使節~~その1
学生時代に仙台藩主伊達政宗が、慶長18年(1613)に家臣支倉常長をローマ教皇とスペイン国王のもとに派遣... 学生時代に仙台藩主伊達政宗が、慶長18年(1613)に家臣支倉常長をローマ教皇とスペイン国王のもとに派遣したことを学んだ(慶長遣欧使節)。 改めて「もう一度読む 山川の日本史」を読みなおすと、慶長遣欧使節に関しては「メキシコとの直接貿易をめざしたが、目的は達することが出来なかった」とのコメントがあるだけだ。 しかし、なぜ江戸幕府を差し置いて仙台藩がスペインとの交渉を直接行うことになったのであろうか。また、江戸幕府がキリスト教を禁止していた時期にもかかわらずこの使節がローマ教皇に謁見したことに違和感を覚えていた。 幕府が最初のキリスト教の禁教令を布告したのは慶長17年3月(1612)で、この時に江戸・京都・駿府を始めとする直轄地に対して教会の破壊と布教の禁止を命じ、そしてその年の8月にはキリシタン禁止が明確に成文化されて、法令として全国の諸大名に公布され、領内の一般庶民にキリシタン禁制が義務
2017/11/09 リンク