江戸末期に、長崎の出島で医師として活躍したシーボルト。彼は日本の文化や自然に魅了され、大量の資料をオランダへ送りました。なかでも1万2,000点におよぶ植物の標本や生きた植物は、多くの人々へ日本の植物に対する興味を広げる発端となりました。やがて「和の花」はヨーロッパの生活環境に浸透し、異国に根付いたのです。 同じ19世紀後半のパリでは、日本の浮世絵や工芸品を扱う店が人気を呼んでいました。ヨーロッパを包んだ日本美術の流行は、そこに描かれた植物への関心も高めました。ルネ・ラリックの作品には、日本や東洋の花々への鋭い観察眼がうかがえます。果たしてその草花の手本となったのは、書籍や店で目にする美術品だけではありませんでした。 実はシーボルトは研究だけでなく、日本の植物をヨーロッパの風土に馴化させたのち、当時としては画期的なカタログによる通信販売にまで発展させたのです。ラリックが作品のモ