「穢多・非人」「めくら」「ビッコ」「浮浪者」「屠殺」――。これらはすべて、差別用語とされている言葉だ。こういった”不快な思いをする人がいる”とされる言葉は「放送禁止用語」という名のメディア側の自主規制により、まるで存在しないものかのように取り扱われている。年々厳しさを増すこうした自主規制によって、メディア上で本来語られるべき事柄が語られない、語ることができないというジレンマに陥ってはいないだろうか。過日、『私家版 差別語辞典』(新潮社)を出版した、被差別部落出身のジャーナリスト・上原善広氏に話を聞いた。 ――本書では、「差別用語とは、本来は差別的な意味合いを含んでいなかったにもかかわらず、人々が差別するつもりで使ったからそう呼ばれるようになったものが大半」だと指摘されていますが、現在、差別用語はメディアにどのように扱われているのでしょうか? 上原善広氏(以下、上原) だいたいはその言葉を使
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