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自由に関するshinfukuiのブックマーク (9)

  • 才能がなかった - レジデント初期研修用資料

    昔話。 研修医の頃 「研究」と「臨床」と、自分たちの頃は、医学部の卒業生がとるべき進路は 真っ二つに分かれていて、自分は臨床で名を上げたくて、そっちを選んだ。 忙しくて、厳しい研修をさせることで有名な病院に入って、バタバタと走り回って、何とか走り切れた。 走れたことで自信ついて、自信あったから、大学医局に入った。 新しい環境に慣れるのには相当に時間がかかったのだけれど、大学でも、 それなりに居場所ができて、そこは居心地がよかった。今から思うと勘違いだったんだけれど、 居心地よかったから、自分はきっと、そこそこすごいんだろうなと思ってた。 地方会に症例発表をする機会があって、田舎の大学は駅から遠いから、 駅までの道のりを、下級生の車で送ってもらった。 下級生は上級生を持ち上げることが義務づけられているから、道中の車内は、 もちろん自分の大自慢大会になって、下級生は「わぁすごいですねぇ先生」な

    shinfukui
    shinfukui 2009/02/26
    この人は、才能があると思う。「自分にしかできない何か」なんて、よほど才能か運がないと見つけられない。「ちょっと考え方とか視点を変えるだけでいいんだ」なんて言う人はそこんところ分かってないと思う。
  • いまどきの学部学生をクソだと思う一つの理由 - あらきけいすけの雑記帳

    でも、はじめから自分で物事考えられる人なんていないんですよ。 http://anond.hatelabo.jp/20090223034908↑このひとことに釣られました この増田氏はこのエントリを読む限り博士課程まで経験しておられるので、ポジショントーク的に学部学生を擁護する立場をとっておられる。そして増田氏と id:next49 氏の意見の間に「研究分野 discipline」の差による、意見の温度差のようなものも感じる。…のだが、増田氏がこのように学部学生を擁護する態度を採るときに、どうしても「プロセスの軽視」が擁護する側の考え方の態度に入ってきているように思えてならないのだ。 言い換えると、大学での「当の学問(というか当に教えたいこと)」の事を考えると、「答えを手に入れることはさして重要ではない、行き当たりばったりの中から、自力で秩序を見つけ出していくための知的能力を成長させるこ

    いまどきの学部学生をクソだと思う一つの理由 - あらきけいすけの雑記帳
    shinfukui
    shinfukui 2009/02/25
    学生の多くは「自分で考える方法を学べなかった」のではなく「自分で考えない方法を学んだ」ということですね(そしてその過程で考え方を忘れた)。/ そういや日本人ってクイズ番組大好きだよなー。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    中年以降の人生を考えるための5冊 今までずっと、ひたすらラクなことや楽しいことだけをやって生きていきたいと思っていたのだけど、40歳を過ぎた頃から、今までのやり方ではいろいろと行き詰まってくるようになってきました。何をやってもそんなに楽しくない。これからの人生はずっと下り坂が続いてい…

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    shinfukui
    shinfukui 2009/02/24
    これ、誰か言ってくれるの待ってた。でも敢えて補足するなら、「背骨なんてなくてもいい」ってこと。他人の判断基準で生きていったって別にいい。「どうしてそれが嫌なのか」すら考えて無いのに悩んでどうするよ。
  • 公務の執行を妨害する自由は たいせつだよ - やねごんの日記

    学生だったころ、しりあいから きいた はなし。 そのひとは 哲学科の 学生で、高校の倫理の教員免許をとるために、教育実習に いったのでした。たしか、カントかなにかを つかって、「自由とは なにか?」というようなテーマで、授業をやったんだそうです。 かのじょが いうには、実習さきの教師に「自由」についての授業をやりたいという計画を はなしたら、あらかじめ くぎをさされた、と。そのせいで、どうやって授業をくみたてたら よいものか、こまっちゃったよ、ということでした。 その実習さきの教師の いいぶんとは こうです。「とくに高校生たちのなかには、自由の いみを はきちがえるものが おおい。他人に めいわくを かけるのも自由だ、という あやまったかんがえを もっているものも すくなくない。だから、授業は きほんてきに あなたの やりたいように やっていいけれども、『自由には責任がともなうこと』また『

    公務の執行を妨害する自由は たいせつだよ - やねごんの日記
    shinfukui
    shinfukui 2008/07/07
    「行動の自由」など存在しない。それがあると思うからこういう変な話になる。真の自由とは、「思考の自由(精神の自由)」だ。この自由が無い人間のなんと多いことか。
  • Blogger

    Google のウェブログ公開ツールを使って、テキスト、写真、動画を共有できます。

    shinfukui
    shinfukui 2008/06/28
    面白すぎる考察。ボランティアというものに対するスタンスを含めて全同意。
  • どうしたら、自分で考える習慣が身につくだろうか。 - 最速配信研究会(@yamaz)

    結城さんのところから どうしたら、自分で考える習慣が身につくだろうか。…はい、ここがチャンス。まず最初に、「どうしたら自分で考える習慣がつくだろうか」の答えを自分で考えるところからはじめればよいのではないだろうか。 今の世の中,答えはググれば簡単に調べられるし,情報が刺激的かつ多すぎるので,他人の考えに流されることなく,自分で考える習慣を身につけるのはなかなか難しいなぁと思う. 私はそこそこ自分で考える習慣がある気がするんだけど,それは何でだろうと考えたところ,それはきっと父から教えてもらったヘボ将棋が影響してるんだろうという結論に至った. 私の父は全く普通の人で,特に取り立てて何かがある人ではなかった.そんな父は私が小学校に入る前後くらいに将棋を教えてくれた.ただ父自身も将棋を覚えながらの指導だったため,最初はただ単に2人してヘボ将棋をしてるだけだった. そんな中,父はどこからか「棒銀」

    どうしたら、自分で考える習慣が身につくだろうか。 - 最速配信研究会(@yamaz)
  • 目からうろこが何枚も落ちたオープンソースの“人間的本質” - シリコンバレーからの手紙

    もうかれこれ十年近くにわたり、オープンソースというネット上の摩訶不思議な現象について、欄で取り上げてきた。オープンソースは人間の質を考えるきわめて重要な素材だと思うから、連載の大きなテーマとして考え続けてきた。その思考に小さなブレークスルーがあったので、ご報告しておく。 オープンソースとは、ソフトウェアのソースコード(人が記述したプログラムそのもの)をネット上に無償公開し、世界中の不特定多数の開発者が自由に参加できる環境を用意し、そのソフトウェアをさらに開発していく方式のことだ。リーナス・トーバルズが創始したリナックスが有名なように、ほとんどのオープンソース・プロジェクトは欧米から生まれている。 しかし日人でたった一人だけ、世界中の人々が使うソフトウェアをオープンソース方式で開発したリーダーがいる。島根県松江市在住のまつもとゆきひろ(名・松行弘、一九六五年生まれ)である。彼が

    shinfukui
    shinfukui 2008/03/14
    「プログラミングは好きだが何のプログラムを書けばいいかわからないという人が世界中に溢れている」。やはりそうなのか? 自分には理解できない世界なのだが…。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

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    shinfukui 2008/01/15
    「つまり連中は悪いことをすら自分で考える想像力もないということです。」これは考えたことなかった。なるほど。
  • 自分の感覚を信じ抜く「言い訳」できない生き方:日経ビジネスオンライン

    イチローさんは自分の感性を徹底的に信じてきた人だ。振り子打法のころから、いわゆる世間のバッティングセオリーとは違うから、いろんな人に「直せ」と言われてきたけれど、自分の「こう打つのが気持ちよいのだ」という感覚をゆずらなかった。 スイートスポットの狭い細いバットにしても、それを手にした時の「絶対にこれで打てる」という感覚を疑わなかった。悪球に手をだすとよく言われる彼独特の広いストライクゾーンにしても、それが自分の感覚なのだと決めている。 世間でのセオリーが何であれ、自分の感覚を信じて貫くという生き方、これはすごいと思った。ぴんと張り詰めた感覚があって、その規準でイエスかノーかを決める。イチローはそれを全部試している。例えばバッティングに入る時の所作にしても、ああいうふうにすると一番集中できるということが、自分の感覚で分かっているからやっている。 「感覚」「クオリア」というのはもともとは厳密な

    自分の感覚を信じ抜く「言い訳」できない生き方:日経ビジネスオンライン
    shinfukui
    shinfukui 2007/12/27
    世間のセオリーに従っている方が、よほど言い訳できない気もしないでもない。「だって、僕が決めたことじゃないので」って言うのかな。自分の感性なら、「ああ、あれ間違ってた」って気軽に言い訳できる。
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