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ブックマーク / www.meijigakuin.ac.jp/~inaba (11)

  • 2003年12月

  • 「なぜ人を殺してはいけないの? 」

    緊急アンケート:14歳の中学生に「なぜ人を殺してはいけないの? 」と聞かれたらあなたは何と答えますか 『文藝』37巻 2号 (1998年夏) 稲葉振一郎 「なぜ人を殺してはいけないの?」と君は聞くけれど、なぜそんなことを聞くんだい? そもそも君は「人を殺したい」って当に思っているんだろうか? ここでケースを3つに分けよう。(1)君が誰か特定の人を殺したい場合。(2)誰でもいいから、とにかく殺人ということをやってみたい場合。(3)別に自分では誰かを殺したいわけじゃないし、殺人をしてみたいわけでもなく、ただ、なぜ世の中のルールとして「人を殺してはいけない」となっているのかがわからない場合。 (2)の場合、誰にも、つまりは私にも、君に殺される危険があるということになる! となれば、私は君の邪魔をした方がいい、ということだし、実際邪魔をするだろうね。極端なことを言えば、君はほとんど全人類を敵に回

  • ナウシカあるいは旅するユートピア

    ナウシカあるいは旅するユートピア ――ロバート・ノージック、笠井潔、そして宮崎駿―― 稲葉振一郎 『季刊窓』22号(1994年12月) はじめに このほど完結したマンガ『風の谷のナウシカ』(徳間書店、以下マンガ『ナウシカ』と略記)を通読してみれば、この10余年を通しての宮崎駿という一人の表現者の凄まじい思想的苦闘をそこにみて取ることができる。 雑誌『アニメージュ』(徳間書店)でのマンガ『ナウシカ』連載開始が1982年であるから、完結までに要した時間は単純計算で12年間ということになる。しかもこのマンガ『ナウシカ』のアニメーション化であり、「宮崎駿」という名前を世間一般で通用するブランドとすることともなった劇場用アニメーション『風の谷のナウシカ』(徳間書店=博報堂、以下アニメ『ナウシカ』と略記)の興行が1984年であったから、来マンガ家ではなくアニメーター、単独の芸術家的職人ではなくチーム

    shinichiroinaba
    shinichiroinaba 2018/06/18
    セルクマ
  • shinsho_ronza

    「新書だけで学び直す一般教養(パンキョー)15冊+α 政治哲学・政治思想」 『論座』2002年7月号 稲葉振一郎 新書で「政治哲学・政治思想」を学ぼうというなら、まずは橋爪大三郎『政治の教室』(PHP新書)がよい。題名からして「政治学の教室」ではなく「政治の教室」だというあたりに、すでに覚悟の程がうかがえる。実際第三部「改革編」はきわめて実践的な提言、それも学者がよくやる政策提言などではなく、普通の市民が実際に政治に参加するためのハウツー、草の根民主主義の実践マニュアルなのだ。内容としては伝統的な政治学入門書と重なる第一部「原理編」と第二部「現実編」も、あくまでもその準備段階として書かれている。 しかしこのの民主主義観は極めてハードである。一言でいうと、泣き言を許さない。欠点だらけではあっても、言論の自由と多数決に立脚する議会制民主主義は最高の政治制度なのであり、そこからの逃げ場所、より

  • http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/books/bks0404.htm

  • 2001年4月

    4月13日 4月1日付(出勤は2日から)で明治学院大学社会学部社会学科助教授に転じました。が、依然として岡山大学経済学部のサーバからお届けしています。引っ越しはもう少しお待ち下さい。 予告では大庭健・村上春樹・香山リカの共著という触れ込みだったはずが結局大庭単著で村上、香山のコメントという体裁になってしまった『私という迷宮』(専修大学出版局)である。「自分探しはやばいぞあぶないぞ」という趣旨自体は大変に分かりやすいしほぼ賛成なのだが、相変わらず永井均へのちょっかいというか、永井独我論への批判というより文句、因縁、繰り言が目立つ。これって当に必要なのか? 今回も注意深くというかいいわけがましく、大庭は「永井独我論自体というよりそれが誤読されて「自分探し」のツールにされていることを問題にしたいのだ」という趣旨のことを書いている。これに対しておそらく永井はまたしても「それなら俺に文句を言う筋合

  • 99年4月

    4月26日 モナシュ大Unionにある古屋を中心にちょこちょこ古書を買いあさる。と言っても別に稀覯をあさっているわけではない。基的なものを安く手に入れようというだけだ。それに思わぬ拾いものがないでもないし。 で、最近SFも少し古で買ったりしている。先月紹介したWilhelmの奴みたいに、既に翻訳で読んだものの原書ペーパーバックを買っている。私は語学が苦手で、小説を読むための語彙はかなり弱いから、その辺を鍛える意味もかねているのだ。 そんな中で、新刊書店でJoe Haldeman, The Forever War, Milleniumなるタイトルを見つけて手に取った。もちろん翻訳ジョー・ホールドマン『終わりなき戦い』(風見潤訳、ハヤカワ文庫)で20年ほど前に読んでいる。SF Masterworksなる古典SF傑作シリーズの1冊ということで、ラインナップを見るとなかなか渋めのツボを押さ

    shinichiroinaba
    shinichiroinaba 2013/01/29
    Joe Haldeman の The Forever War のkindle版を買ったのですがハヤカワはこれの決定版邦訳を出す気はないのですね。
  • http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/temp/disastermacro.pdf

    shinichiroinaba
    shinichiroinaba 2012/06/25
    理系の皆さんに言っておくと、経済学でのオイラー=ラグランジュ方程式というのは解析力学のあのオイラー=ラグランジュ方程式と同じものです。http://t.co/RnEreQLg
  • 中西洋『〈自由・平等〉と《友愛》』 

    中西 洋著 『〈自由・平等〉と《友愛》-市民社会;その超克の試みと挫折-』 ミネルヴァ書房、一九九四年五月 四一八頁、五〇〇〇円 中西洋氏のほぼ十年振りの単独著作である書は、氏のこれまでの著書と比べると広い読者層を念頭に置いたものになっているが、残念ながら読書界の反応は芳しくない(例外として、『週刊読書人』九四年十二月二十三日の座談会「リベラリズムをめぐって 一九九四年の思想界をふりかえる」における川隆史氏の発言を参照のこと)。ふりかえって、社会政策・労働問題研究という「業界」レベルでの反応も、菅見の限りでは鈍い。 書が敬遠される理由は確実にある。経済学者・労働問題研究者としての中西氏を知らない一般読書人にとっては、現代の社会哲学の主流からややずれた問題意識や用語法にのっとる書はひどくとっつきにくいものであろう。いや、もっと単純に考えてみれば、そもそも中西氏の名前は例えば小池和男氏

    shinichiroinaba
    shinichiroinaba 2012/03/11
    @mxnishi よみなさい>『雇用関係の生成』cf.http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/osawa.html
  • 2004年2月

    2月25日 『「おたく」の精神史』とりあえず読了。なんつーかあちこちが強烈に痛い。「新人類は努力を欠いていた。」その通りだと思う。そして努力を欠いていた新 人類に勝利したのはオタクだけではなく、アカデミズムにおいては「素朴」にクソ真面目に主流の学問を継承していた連中もまた勝利者であると言えよう。 (ただ、大塚にそれ自体のサブカル化ないしオタク(おたく?)化を疑われている社会学の場合は違うかもしれない。仄聞する限りでは、バブル期の東大社会学 大学院には妙な雰囲気があった。たとえば、「家族・地域・労働はできないこのやること」といった韜晦交じりのフレーズを聞いたことがある。あるいはある教 員が若い院生の発表を聞いて「社会学の王道!」と茶化したという逸話もある。そういう雰囲気の瀰漫したその果てが、いまや茶化す対象としての「王道」さえ 喪失した今の日社会学だとしたら、笑えない。) だがそこまで見る

    shinichiroinaba
    shinichiroinaba 2011/11/03
    @kingbiscuitSIU 初めまして。バブル期には『俄』を時々友人から借りて拝読しておりました。先生に対しては
  • 稲葉振一郎(1993) - 書評:大沢真理『企業中心社会を越えて』

    フェミニスト社会科学の到来 書評:大沢真理『企業中心社会を越えて』(時事通信社) 『季刊窓』18号(1993年冬) 稲葉振一郎 まず第一に、書は日で初めての、格的なフェミニスト社会科学の著作である。ではこれまでのフェミニストによる達成は何であったのか、と読者は問われるであろう。もちろん専門的なレベルでいくつかの貴重な業績は蓄積されてきたが、フェミニスト論客の多くは理論的、ないしは批評的論争の領野に過剰に勢力を注ぎ、実証的研究を怠ってきた、といわざるをえない。そうした状況の中で、これほど地道な実証性と、明解な論争性とを合わせ持った仕事が、一般読者に利用可能な形で市場に供されたことの意義はどれほど強調しても足りない。 しかし書は、単にこれまで日フェミニズム論壇に欠けていた実証科学をそこに付け加えた、というだけのものではない。書の達成は、これまでの日フェミニスト社会理論に対する

    shinichiroinaba
    shinichiroinaba 2008/12/15
    いま手に入るかな。古書店にあるか。/二元論批判についてはこの程度のことは既に江原由美子先生が指摘しておられたことにあとで気付いた。
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