パースに言わせるなら、人間の感情はすべて外界の対象にかかわりを持つことで成立する。逆から言うと、外部の事物に関係しない感情などはない。 たとえば私が腹を立てたとする。(私が怒ったのは、単に私の虫の居所が悪かったからか。けっしてそうではない。それはたとえば、私が新聞紙上で悪辣な轢き逃げ事件を読んだせいかもしれない。)この<怒り>の感情が、単なる私的かつ内的領域で完結する、何か「主観的状態」などではないのは明らかではなかろうか。 この<怒り>を命題のかたちに敷衍してみよう。もちろん、感情は明晰な言語表現にはなりにくいのが持ち前である。しかしあえて感情の言語化が可能だという想定に立ってみよう。そうすると、たとえば、「犯人は悪辣で非道だとおもえる」といった命題が(ひとつ)得られるだろう(他にも命題の候補者には数多くのものがあるに違いない。)命題の観察から、感情が、外部の事物に関する述語を表現するも
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く