id:acidtank(ギター、ヴォーカル)、id:Delete_All(キーボード)と共に結成したバンド、ニップル騎士団の楽曲発表第2弾。今回は、昨今のロハス・ブームを意識し「俺らなりの琉球民謡」を作りました(即興で)。もはや「1人上々台風」と化した黒人ブロガーの熱唱を堪能ください。 関連エントリ 2008-11-09 http://d.hatena.ne.jp/acidtank/20081109/p1
ドナルド・デイヴィドソン『主観的、間主観的、客観的』を読了。 デイヴィドソンを知らない人にとって、「主観的、間主観的、客観的」なんてタイトルを聞くと、いかにも固くてつまんなそうな本に思えるでしょうが、これがなかなかスリリングでラディカルな本です。 この本はデイヴィドソンの第3論文集で、第2論文集の『真理と解釈』の問題意識をさらに発展させたものになっています。中心となるテーマはは「自分の心に関する知識」、「他人の心に関する知識」、「共有された世界に関する知識」の3つの知識の内容とその相互関係です。 古来、哲学者は「自分の心に関する知識」を確実なものと考えそこから2つの知識を導きだすか,逆に「共有された世界に関する知識」こそを正しいものとしてそこから2つの知識を導きだすかで議論を重ねてきましたが、デイヴィドソンによればどちらか優位と言うというものではなく、これらは密接に絡み合っているものです。
少し前に出た東浩紀と大塚英志との対談本である『リアルのゆくえ』(講談社現代新書、2008年8月)を読み、東の発言内容の酷さに驚いた。私は東の文章を大して読んでいなかったのだが、昔からこんななのだろうか。 枚挙に暇がないのだが、私が最も呆れた箇所を挙げておこう。 「東 ぼくが言っているのは、むしろ了解可能性の拡大を大切にしたいということです。たとえば、日本のサヨクが2000年代になぜ急速に影響力を失っていったかというと、リベラルな人たちはリベラルではないということが大衆レベルで分かってしまったからです。リベラルは、みんながリベラルになることを望んでいる。たとえば、みんなが在日に対して優しくしようとリベラルは言う。でも世の中には、在日を差別する人がいっぱいいる。その現実はどうするのか。/ネット右翼の問題も同じです。彼らが言っているのは、左翼は出版メディアを握っている、みなが自分たちのようにリベ
なぜ人文系のひとにとっての「ゲーム」は「≒エロゲー」なのか…というのは、ようするにオタ側からみた ACT や STG や格ゲーやそのほか全部ひっくるめて、人文系のひとたちの語りのうえで「ゲーム」という単語が出るたびそれらは無視されエロゲーばかりが取り沙汰される、というふうに見えがちの状況に対する反発なのだが、まあそういう反感から出発してなにかまともらしいことをやろうという意気を燃やすひとが今後出るのか出ないのかは置いといて、とりあえずおれの場合には、あんま建設的ななにかには繋がらないだろうことは、オタ界隈で東浩紀氏の名前が挙がるようになって何年も経つのに話題としての前進が特にみられていないことからも明らかだ。という処理はもうだいぶ前に済んでるんだけど、そのへんのことを先日の文化系トークラジオ Life の「失敗」回を聞いてて思い出したのでメモ。 文化系トークラジオ Life の「失敗」回自
■ Bluetoothで音楽を聴く 最近、ポチポチとBluetooth対応ハードウェアが増えてますな。特にオーディオ系。iPodに接続できるBluetoothアダプタとか、Bluetooth接続のイヤホンやヘッドホン。 実際、使ってみるとヒジョーに便利なBluetooth対応機器だったりする。結局は無線であることの良さ──イヤホン関連なら音楽プレイヤーとイヤホンをつないでいたコードが不要になるし、スピーカー関連なら音源・スピーカー間のケーブルを省ける。 また、Bluetoothの場合、機器間はデジタルで無線接続されるので、音楽を飛ばすという観点ではアナログ式のトランスミッタ/レシーバより高音質であるケースが多い。例えばFMトランスミッタを使って音源→スピーカー(というかFMラジオ)へと音楽を飛ばすと、常時ノイズが聞こえちゃったり、コミュニティFM局を含むFM局の放送が混信しちゃったりとビミ
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