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ブックマーク / synodos.livedoor.biz (10)

  • SYNODOS JOURNAL : 「社会を変える」ということ 駒崎弘樹×湯浅誠

    2012/11/169:0 「社会を変える」ということ 駒崎弘樹×湯浅誠 湯浅誠氏         駒崎弘樹氏 社会起業家として病児保育の問題解決に取り組む、NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹氏。一方、社会活動家として貧困問題をはじめ、2012年7月に大阪で立ち上げた「AIBO(あいぼう)」等で市民活動の仕掛人として活躍する湯浅誠氏。それぞれの立場から見た「社会を変えるための方法」とは何か。 (司会:荻上チキ)■オルタナティブを提示する 荻上 最近若手世代を中心にして、民間の力で世の中を変えていこうという動きが広まってきています。それはもちろん、「民間の力だけで変える」という意味ではありません。自分たちでできることをまずはやり、必要に応じて自治体や国に要望する、そうしたアプローチの活動が重視されているということですね。 しかし、実際に国を動かそうとすると、具体的に様々な壁が現れたりす

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    shinimai 2012/11/21
  • SYNODOS JOURNAL : アップル vs. グーグル vs. フェイスブック ―― HTML5が切り開く未来 小林雅一

    2012/7/39:0 アップル vs. グーグル vs. フェイスブック ―― HTML5が切り開く未来 小林雅一 フェイスブック(Facebook)は6月7日、App Centerの開始を発表した。ユーザーはトップ画面に表示されるメニューからアクセスし、ユーザーの関心事や過去のアクティビティをもとにパーソナライズされたアプリが紹介されるようになる。また、6月12日にはグーグルGoogle)がChrome Web Storeにオフラインで使えるアプリ専用のコーナーを開設、ChromeがOSにまた一歩近づいたといわれている。 世界中に9億人のユーザーを持つ世界最大のSNS、フェイスブックが仕掛けるアプリの販売プラットフォームApp Center。あるいは、MacOSでもWindowsでもLinuxでも、Chromeが動いていれば共通のアプリケーションが実行できる、つまりはChromeのプ

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    shinimai 2012/07/06
  • SYNODOS JOURNAL : 生き延びるための「障害」――「できないこと」を許さない社会 荒井裕樹

    2012/2/2912:35 生き延びるための「障害」――「できないこと」を許さない社会 荒井裕樹 ■障害者運動の「新規参入組」? 先日、1970〜80年代の障害者運動を担った古老と、何気ない会話をしていたときのこと。障害者運動の「生き字引き」ともいわれる当の古老が、「精神」や「脳機能」の領域に障害を持つ人々を指して――話の流れでは、とくに「発達障害」(「自閉症」や「アスペルガー症候群」といった障害群)の人々のことが中心であった――「新規参入組」と称したことがあった。 たしかに「発達障害」という言葉が、一部の医療・福祉関係者だけでなく、市井の人々にも知られるようになったのは比較的最近のことである。わたしのそれほど広くはないアンテナにも、「発達障害」を持つ当事者や家族たちの活動が盛んな様子が仄聞される。今なお誤解と偏見の多いこの「障害」に関する啓発や、医療・福祉制度の整備を求める運動(この「

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    shinimai 2012/02/29
  • SYNODOS JOURNAL : 山形浩生は何を語ってきたか(後編) 山形浩生×荻上チキ

    2012/2/249:50 山形浩生は何を語ってきたか(後編) 山形浩生×荻上チキ ■大文字の固有名詞で語る時代は終わった 荻上 最近は、SFの分野などでも、量産されている作品群の中で良質なものを読みなおそう、発掘していこうという動きが続いています。どの分野でも、読むべきの再紹介みたいなまとめは、「○○がすごい」系のムックから2ちゃんのまとめに至るまで、あれこれ出ていますから。 芹沢一也はかつてのあり方を、「オレの父ちゃん強いんだぞ競争」と呼んでいました(笑)。誰の翻訳者であるのか、どんな大文字の哲学者を「召喚」できるのかという、イタコ芸のような、あるいはカードゲームのような文法がありました。「オレのターン、カント!」「こざかしい、デリダ!」みたいな。最近はそうした文法も見なくなってきた。非常にいいことだと思います。 山形 カントが偉かった時代は2世紀ぐらい続いたんでしょうけど、今、特に

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    shinimai 2012/02/24
  • SYNODOS JOURNAL : 山形浩生は何を語ってきたか(前編) 山形浩生×荻上チキ

    2012/2/239:52 山形浩生は何を語ってきたか(前編) 山形浩生×荻上チキ SF、科学、経済、文化、コンピューターなど幅広い分野で翻訳や評論活動を行う山形浩生さん(47)。大手調査会社の研究員として地域開発にも携わり、貧困国の開発支援をテーマにした翻訳『貧乏人の経済学』(エスター・デュフロ、アビジット・バナジー著)が近く上梓される予定だ。海外の先端学問を取り入れ、論客としても数々の論争を繰り広げてきた山形氏が、日の言論空間に残してきたものは何だったのか。荻上チキが鋭く迫った。(構成/宮崎直子・シノドス編集部) ■他人がやらないことを面白がる 荻上 今日は、「山形浩生は何を語ってきたか」というテーマでお話を伺いたいと思います。8年前、ライターの斎藤哲也さんが行った「山形浩生はいかにして作られたか」と題されたインタビューがありましたね。 “読者としての山形浩生”が、自身の読書遍歴を

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    shinimai 2012/02/23
  • SYNODOS JOURNAL : 震災後の日本社会と若者(1) 小熊英二×古市憲寿

    2012/1/169:46 震災後の日社会と若者(1) 小熊英二×古市憲寿 古市憲寿著『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)刊行記念イベント   ―― 小熊英二・古市憲寿対談 / 2011年11月18日東京堂書店(構成 / 宮崎直子・シノドス編集部) 「3.11で社会は変わった」という言説に根的な疑問を投げかけ、震災後の若者たちの反応は「想定内」だった、と喝破した若き社会学者・古市憲寿さん。人は自分がリアルタイムで経験した事件を過大評価しがちである、と指摘する小熊英二さん。この両者が古市さんの新刊『絶望の国の幸福な若者たち』で提示された「震災後」の論点に検討を加え、「当に震災後に日社会は変わったのか」改めて語ります。はたして今、研究者は何ができるのか——。(東京堂書店HPより) 絶望の国の幸福な若者たち 著者:古市 憲寿 販売元:講談社 (2011-09-06) 販売元:Amazo

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    shinimai 2012/01/16
    辛口で熱いな
  • SYNODOS JOURNAL : 都市部の自動車はもうちょっと不便でもいいのではないか 山口浩

    2011/11/1013:42 都市部の自動車はもうちょっと不便でもいいのではないか 山口浩 タイトルに反して、まずは自転車の話から。というか題は自転車の話でもある。自転車については、少し前に、「シノドスジャーナル」で取り上げたことがある。以下は、いわばその「つづき」にあたるものといってもよい。 「そろそろ自転車についてまじめに考えよう」 http://synodos.livedoor.biz/archives/1803298.html自転車規制強化の動き この記事(何度か言及するので、以下「前の記事」と呼ぶことにする)では、自転車の対歩行者事故のリスクについて取り上げ、歩行者の視点から、そろそろ何かきちんとした対策が必要ではないか、という趣旨の主張をしたわけだが、最近それと整合的な方向性の政策が相次いで打ち出されているようだ。最近報道されたのはこれ。 「自転車は車道」徹底へ 警察庁

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    shinimai 2011/11/10
  • SYNODOS JOURNAL : 日本の職場の「窮屈さ」について 筒井淳也

    2011/7/2011:30 日の職場の「窮屈さ」について 筒井淳也 東日大震災は日の社会・経済にとって大きなショック要因となっている。と同時に、電力不足という課題はより構造的な変化を社会の様々なところに要請している。多大な犠牲をともなう災害ではあったが、何かしら社会が良い方向に変わるきっかけになるのなら、それを活かさないことは誰にとっても意ではないだろう。 みなさんは、日の職場は世界でトップレベルに「窮屈」であるという事実をご存知だろうか? 窮屈というのは空間的な意味ではなく(それもありそうだが)、自分の自由裁量で働く余地が少ない、ということである。よくいわれる有給休暇の取得率の低さなどから日の職場の窮屈さを推し量ることができるが、もっと直接的にそれを示すデータあるので、紹介しよう。 データは代表的な国際比較可能なサーベイであるInternational Social Sur

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    shinimai 2011/07/21
  • SYNODOS JOURNAL : 放射線は「甘く見過ぎず」「怖がりすぎず」 八代嘉美

    2011/3/1723:28 放射線は「甘く見過ぎず」「怖がりすぎず」 八代嘉美 3月17日の午前中、twitterのタイムライン上で、今回の福島第一原子力発電所の事故に対して、『「放射線は危なくない」キャンペーン』がネットワークメディア上ではじまっているのではないか、という発言を目にした。発言者が「キャンペーン」と評した言説がどの程度の規模なのかは分からないが、「危なくない」と発言している人たちの論拠のひとつに、被曝対策として、「花粉対策」のアナロジーを用いるものがあるのではないかと考えた。 だが、実際に我々の健康に与える脅威は「花粉程度」のものではない。思えば、「この線量は東京ニューヨーク間の飛行機内で浴びる放射線の被曝量と同じ」たとか「X線撮影での線量と同じ」というような報道は見かけるようになったが、実際に生体内で何が起こっているのかをまとめているものは、新聞などでは見かけなかった。

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    shinimai 2011/03/18
  • SYNODOS JOURNAL : 「消極的義務」の倫理 ――「トロッコ問題」の哲学者フィリパ・フットとその影響 小山エミ

    2010/10/197:0 「消極的義務」の倫理 ――「トロッコ問題」の哲学者フィリパ・フットとその影響 小山エミ ◇「トローリー(トロッコ)問題」という思考実験◇ 今月三日、イギリス出身の倫理哲学者フィリパ・ルース・フットが九〇歳で亡くなった。あるとき「女性の哲学者はどうして少ないのか」というシンポジウムに参加してみたら、発表者が全員男性哲学者だった、というような冗談みたいな男性優位社会でもある哲学界において、二十世紀中盤におけるアリストテレス的な徳倫理の復権に大きく貢献した哲学者の一人であり、前世紀を代表する女性哲学者の一人として記憶されることになるだろう。 「あなたは路面電車の運転手で、時速六〇マイル(約九六キロメートル)で疾走している。前方を見ると、五人の作業員が工具を手に線路上に立っている。電車を止めようとするのだが、できない。ブレーキがきかないのだ。頭が真っ白になる。五人の作業

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    shinimai 2010/10/20
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