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ポルノと性に関するshino-katsuragiのブックマーク (3)

  • ポルノを語るのは誰か - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    「男と女にとって、ポルノは別のものとして存在している」 私はそう思っているが、言いよどむ。このときの「男/女」を分けた境界線はどこか。すべての「男たち」「女たち」の経験や思考をひとまとめにしていいのか。はっきりしていることの一つは、ポルノを語るとき、私は自分が女であるという意識から逃れたことがない、ということだ。 世の中に溢れるポルノのほとんどは、男性向けに作られている。女はバイブ一も安心して買うことができない*1。この圧倒的非対称の中、東京都条例で規制の標的になったのはBLと少女向けの性描写があるコミックである。子どもにポルノを見せていいのかどうか、という議論をするときに、まず問題になるのが「少女たちの性行動」であったこと。この状況の中で、私は「女としての私」の意識を立ち上げる。世の中で認められるポルノが、成人ヘテロ男の、すなわち(行政にとって)健全な性的欲望を満たす性描写だけだという

    ポルノを語るのは誰か - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2010/12/28
    「内部批判を「かしましい」と評するその男の男らしさにゾッとする。」/娘か娘の娘の世代には第三の方法を採ることが当たり前の普通の選択肢として用意されるべきだと思う。わたしの娘たちは支配させない。
  • 「内心」は不自由だし、ポルノを楽しむのは「悪」だ - ohnosakiko’s blog

    アンドロイドの人権と神さまとセカンド・レイプ - はてこはだいたい家にいる 「内心の自由」を巡ってのコメント欄の混乱が、ブコメにも波及している。 「内心の自由」とはもともと、憲法19条の「思想及び良心の自由」を下支えする概念だ。戦前の国家の思想統制に対して出てきたもので、他者の人権に抵触しない限りにおいて最大限保障されるべきことになっている。 従って「内心の自由は保障されている」と言わねばならない局面とは主として、思想及び良心の自由が国家あるいはそれに準じる権力装置によって侵害されそうになった時だろうと思う。 冒頭で引いた記事及び一連の記事の内容は、ポルノの人権侵害と「良心」を巡る議論の一つである。レイプものなど被害者が見たら傷つくであろう性的ファンタジーを、語るだけでなく、楽しんでいることへの疑義が示されている。 一連の議論を追いかけている人ならわかるはずだが、最後の一文はAntiSep

    「内心」は不自由だし、ポルノを楽しむのは「悪」だ - ohnosakiko’s blog
    shino-katsuragi
    shino-katsuragi 2010/04/24
    もし、そんなものがあるとしたら?だけど、自分のなかの善も悪も自分のものだ。わしはわしの道を行くよ。だって、それしかできないのだからね。
  • ポルノの影響に関する研究、ポルノを見たことがない男性が見つからず頓挫するも別の結果が得られる

    モントリオール大学の科学者たちが普段からポルノを見る男性とポルノを一度も見たことがない男性を比較研究するための調査を実施しましたが、ポルノを見たことがない20代の男性が1人も見つからず、研究は頓挫してしまったそうです。 しかし、男性は例外なくポルノを見るという実態が明らかになったほか、ポルノ視聴についてのさまざまなデータも採集できたようで、当初の目的とは違ってしまったもののなかなか興味深い調査結果となっています。 All men watch porn, scientists find https://www.telegraph.co.uk/women/sex/6709646/All-men-watch-porn-scientists-find.html 20代の男性で普段からポルノを見る人と、ポルノを一度も見たことがない人を比較する研究は、ポルノを見たことがない被験者を1人も見つけられなか

    ポルノの影響に関する研究、ポルノを見たことがない男性が見つからず頓挫するも別の結果が得られる
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