その壇で フランシスコ教皇が教えを説く 傍らには水杯が置かれる 何世紀も前からそうであったかのように設置されてすぐ用に供される 本来あるべきものを形にした そのことがほんとうの栄誉であったのだ 25歳の青年が 日本を離れ 偶然という名の運命に導かれ バルセロナで石を彫り続けること38年間 しかしその年月は サグラダ・ファミリア百三十余年の歴史の わずか三分の一にも満たない しかもこの教会は まだ完成すらしていないのだ サグラダ・ファミリア 聖家族贖罪教会 アントニオ・ガウディが夢見たその「神の家」を ある者は「石の聖書」と名付け ある者は「ミサのための楽器」と言い当て そしてある者は「人間を創るための道具」であるとした ガウディは二度 喪われた 一度目は1926年 不慮の交通事故で その肉体が 二度目は1936年 内戦による破壊で 直接手掛けた教会の要部が 加えて 弟子たちに残していた数少
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