テレビドラマに関するshiromitsuのブックマーク (97)

  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第95話「司馬氏、天下を統一す(しばし、てんかをとういつす)」

    251年、蜀(しょく)の諸葛亮(しょかつりょう)の陣没から遅れること17年。魏(ぎ)の司馬懿(しばい)も73年の生涯を閉じた。 263年、蜀の劉禅(りゅうぜん)が魏に降伏。その2年後、司馬懿の孫の司馬炎(しばえん)が魏から禅譲を受けて晋(しん)の帝位に即くと、280年には残る呉(ご)を降し、ついに三国統一が果たされた。 第95話の展開とポイント (01)洛陽(らくよう) 司馬懿が司馬昭(しばしょう)らとともに、荒れ果てた何進(かしん)の祠堂(しどう)に立ち寄る。 ★ここで司馬昭が、祠堂の中にあった何進の石碑の碑文を読み上げていた。中平(ちゅうへい)元(184)年に何進が河南尹(かなんいん)から大将軍(だいしょうぐん)に起用されたこと。 そして中平6(189)年8月庚午(こうご)の日、張譲(ちょうじょう)が嘉徳殿(かとくでん)に置いた伏兵によって何進が殺害されたことなど。正史『三国志』では何

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第95話「司馬氏、天下を統一す(しばし、てんかをとういつす)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第92話「木牛流馬(もくぎゅうりゅうば)」

    諸葛亮(しょかつりょう)は北伐のたび問題になる蜀軍(しょくぐん)の兵糧輸送について、かつて臥竜岡(がりょうこう)で暮らしていたころ考案した木牛流馬(もくぎゅうりゅうば)を実用化することで解決を図る。 この話を聞きつけた魏(ぎ)の司馬懿(しばい)は、司馬昭(しばしょう)と孫礼(そんれい)に命じて木牛流馬を奪い取らせ、同じ物を作って自軍の兵糧輸送に用いるが――。 第92話の展開とポイント (01)蜀漢(しょくかん) 成都(せいと) 諸葛亮がキ山(きざん。ネ+阝。祁山)の軍営へ向けて出発。劉禅(りゅうぜん)は百官とともに城門で軍列を見送る。 ★ここで劉禅が諸葛亮に、「相父(しょうほ)はこの10年のうちにごたびもキ山へ。もう体も無理が利かぬ。くれぐれも大事にせよ」と言っていた。 (02)魏延(ぎえん)の軍営 魏延のもとに、魏から投降した前軍の偏将軍(へんしょうぐん)の鄭文(ていぶん)が連れてこられ

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第92話「木牛流馬(もくぎゅうりゅうば)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第91話「諸葛亮、軍を返す(しょかつりょう、ぐんをかえす)」

    蜀軍(しょくぐん)の兵糧輸送にあたっていた苟安(こうあん)が、予定の期日から大幅に遅れて到着した。 諸葛亮(しょかつりょう)は怠慢を厳しくとがめたものの、死罪は免じて棒刑にとどめる。こうして苟安は帰途に就いたが、道中で魏軍(ぎぐん)に捕らえられてしまう。 第91話の展開とポイント (01)西暦231年 キ山(きざん。ネ+阝。祁山)の戦い 司馬懿(しばい)は、諸葛亮が布(し)いた陣を奇門八卦(きもんはっけ)の陣だと言い当てる。 すると諸葛亮は、もしこの陣を破ることができたら、自分は漢中(かんちゅう)へ引き揚げ、二度と出てこないと告げる。 司馬懿は戴陵(たいりょう)・張虎(ちょうこ)・楽綝(がくしん?)を呼び、諸葛亮が布いた陣の破り方を指示する。 ★ここで司馬懿は楽綝(がくりん。がくちん)を「ガクシン」と呼んでいたが、セリフの聴き取り違いかもしれないので断定はできず。楽綝は楽進(がくしん)の息

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第91話「諸葛亮、軍を返す(しょかつりょう、ぐんをかえす)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第90話「曹真、敵を軽んじる(そうしん、てきをかろんじる)」

    第90話の展開とポイント (01)諸葛亮(しょかつりょう)の軍営 諸葛亮が病に倒れ、魏延(ぎえん)と王平(おうへい)に全軍の指揮を任せる。さらに諸葛亮は、3日後の明け方に全軍を漢中(かんちゅう)へ撤退させると告げる。 ★このシーンの冒頭で、魏延に「丞相(じょうしょう)はご病気か?」と尋ねられた兵士が、「はい。張苞(ちょうほう)どのがお亡くなりになったことをたいそう悲しまれ、重ねて昨日(さくじつ)雨に濡れたせいで伏せられているのです」と答えていた。前の第89話(09)で張郃から受けた傷がもとで、張苞が亡くなったらしい。 魏延は諸葛亮が、陳倉を含む攻め取ったすべての城を放棄するよう命じたことに不満を述べる。 しかし諸葛亮は考えを変えず、王平に2万の兵を預け、大軍の撤退後、陳倉道の入り口に伏兵を置くよう命ずる。曹真の追撃を防ぎ、3日したら撤退せよと。 (02)曹真の軍営 曹爽(そうそう)が曹真に

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第90話「曹真、敵を軽んじる(そうしん、てきをかろんじる)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第89話「司馬仲達、計にあたる(しばちゅうたつ、けいにあたる)」

    曹真(そうしん)に代わり魏(ぎ)の大都督(だいととく)となった司馬懿(しばい)は、さっそく前線へ赴任して蜀軍(しょくぐん)と対峙(たいじ)する。 しかし、ここで諸葛亮(しょかつりょう)の計略にはまってしまい、宿将の張郃(ちょうこう)と2万の軍勢を失う。 第89話の展開とポイント (01)郭淮(かくわい)の軍営 司馬懿が曹真に代わる大都督として赴任。 司馬懿は郭淮に、ここに来るまでに9人の逃亡兵を捕らえたことを話し、曹真の代理を務めていた責任を問い、さらし首にすると言い渡す。諸将が助命を乞うたため、司馬懿は今後、逃亡兵ひとりにつき別のひとりを斬ると告げる。 兵卒が逃げれば伍長(ごちょう)を斬る。伍長が逃げれば什長(じゅうちょう)を斬る。什長が逃げれば校尉(こうい)を斬る。校尉が逃げれば将軍を斬る。そして将軍が逃げれば司馬懿自身の首を刎(は)ね、曹叡(そうえい)に謝罪するというもの。 こう告げ

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第89話「司馬仲達、計にあたる(しばちゅうたつ、けいにあたる)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第88話「曹真、兵権を譲る(そうしん、へいけんをゆずる)」

    魏(ぎ)の曹真(そうしん)は曹叡(そうえい)から雍涼(ようりょう)の大軍を託されたものの、蜀軍(しょくぐん)との戦いで目立った成果を上げられずにいた。 そのうち魏将の郝昭(かくしょう)の奮戦むなしく陳倉(ちんそう)が陥落すると、曹真は敗戦の責任を問われることを恐れて一計を案ずる。 第88話の展開とポイント (01)漢中(かんちゅう) 右将軍府(ゆうしょうぐんふ) 諸葛亮(しょかつりょう)が劉禅(りゅうぜん)への上奏文をしたためる。そこへ姜維(きょうい)がやってきて、趙雲(ちょううん)が亡くなったことを知らせる。 (02)成都宮(せいときゅう) 諸葛亮が劉禅に上奏文を奉呈し、再度の北伐の許しを得る。 ★諸葛亮と劉禅とのやり取りの中で、劉禅は今年17歳、諸葛亮は52歳とあった。正史『三国志』によると劉禅は207年生まれなので、この時点(228年)では22歳。諸葛亮は181年生まれなので48歳と

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第88話「曹真、兵権を譲る(そうしん、へいけんをゆずる)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第87話「泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる)」

    街亭(がいてい)で蜀軍(しょくぐん)が大敗した後、諸葛亮(しょかつりょう)は苦心の末に漢中(かんちゅう)への帰還を果たす。 やがて街亭の敗戦を招いた馬謖(ばしょく)も戻ってくるが、諸葛亮は彼の才能を惜しみながらも、諸将の命乞いを聞き入れることなく処刑した。 第87話の展開とポイント (01)西城(せいじょう) 城門 司馬懿(しばい)は城楼の前で箏(そう。琴)を弾く諸葛亮を見て、城外の山中に伏兵がいると考える。 司馬昭(しばしょう)は突入を勧めるが司馬懿は許さず、撤退を命ずる。 司馬懿が退くと諸葛亮は姜維(きょうい)に、すぐに兵糧をまとめて西城を発つと告げる。 (02)司馬懿の軍営 司馬昭が司馬懿に、民を捕らえて問いただしたところ、西城には老兵が1千ほどいただけだったことがわかったと伝える。司馬懿は「かの神のごとき妙計。父は到底かなわぬ」と嘆く。 (03)漢中 丞相府(じょうしょうふ) 魏延

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第87話「泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第86話「空城の計(くうじょうのけい)」

    227年、馬謖(ばしょく)の失態により、街亭(がいてい)で魏軍(ぎぐん)に大破されてしまった蜀軍(しょくぐん)。 諸葛亮(しょかつりょう)はわずかな兵士とともに西城(せいじょう)に向かい、兵糧を運び出して全軍の撤退に備えようとしたが、ここへ司馬懿(しばい)ひきいる数万の魏軍が押し寄せてくる。 第86話の展開とポイント (01)宛城(えんじょう) 司馬懿の命を受け、コウジョウ将軍(?)のゴテイ(?)が歩兵3万5千、リグン将軍(?)のソウリツム(?)が兵馬2万を、それぞれひきいて駆けつける。 ★ここで出てきたふたりの将軍は、セリフを繰り返し聴いてもよくわからなかった。 続いて魏興太守(ぎこうたいしゅ)の申儀(しんぎ)も司馬懿を訪ね、新城(しんじょう)の孟達(もうたつ)が再び蜀に寝返ったことを知らせる。 そして、申儀の友人で孟達の腹心でもある李輔(りほ)から手に入れたという、孟達が諸葛亮に送った

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第86話「空城の計(くうじょうのけい)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第85話「罵って王朗を殺す(ののしっておうろうをころす)」

    キ山(きざん。ネ+阝。祁山)において堂々と対峙(たいじ)した魏蜀(ぎしょく)の両軍。 魏の王朗(おうろう)が陣頭に出て持論を述べると、蜀の諸葛亮(しょかつりょう)も痛烈な反論を展開。ほどなく王朗は血を吐いて落馬する。 第85話の展開とポイント (01)曹魏(そうぎ) 洛陽宮(らくようきゅう) 曹叡(そうえい)が皆に、諸葛亮が北伐を開始し、すでに先鋒の趙雲(ちょううん)が魏の領内へ侵入していることを告げ、対抗策を問う。 曹叡は王朗の進言を退け、名乗りを上げた夏侯楙(かこうぼう)を征西大都督(せいせいだいととく)に任じ、関西軍(かんせいぐん)20万を預けて蜀軍の撃退を命ずる。 (02)行軍中の諸葛亮 諸葛亮の道中に先回りする形で、孫権(そんけん)から100甕(かめ)の酒と100頭の駿馬(しゅんめ)が届けられる。 諸葛亮のもとに、先行している趙雲から進路の指示を求める使者が着く。 諸葛亮は趙雲に

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第85話「罵って王朗を殺す(ののしっておうろうをころす)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第84話「出師の表(すいしのひょう)」

    223年、蜀(しょく)では劉禅(りゅうぜん)が帝位を継ぎ、226年、魏(ぎ)でも曹叡(そうえい)が帝位を継いだ。 諸葛亮(しょかつりょう)は劉禅に「出師(すいし)の表」を奉呈して許しを得ると、宿願の北伐に着手する。 第84話の展開とポイント(01)西暦223年 建業(けんぎょう)馬謖(ばしょく)が孫権(そんけん)の前で弁舌を振るい、蜀と呉(ご)との連盟の維持に成功する。 ★馬謖が孫権とのやり取りの中で、酈其(れきいき)や斉(せい)の桓公(かんこう)と名医の扁鵲(へんじゃく)の故事を引き合いに出していた。 ★また馬謖が孫権に、「大王はやはり盟約に背き、曹丕(そうひ)に江東(こうとう)の81郡を差し出すおつもりですな……」と言っていた。江東には81郡もないだろう。81県という意味なのか? この表現はこれまでにも何度か出てきたが……。 孫権は馬謖に決断を促され、魏の使者を呼ぶよう命ずる。 ★こ

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第84話「出師の表(すいしのひょう)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第81話「夷陵の戦い(いりょうのたたかい)」

    ここまで勝利を重ねてきた蜀軍(しょくぐん)だったが、陸遜(りくそん)ひきいる呉軍(ごぐん)の激しい抵抗に遭う。 さらに猇亭(おうてい)の蜀陣で疫病が発生し、馬良(ばりょう)は劉備(りゅうび)にいったん秭帰城(しきじょう)まで引くよう進言するが――。 第81話の展開とポイント (01)猇亭 劉備の軍営 馬謖(ばしょく)が劉備に諸葛亮(しょかつりょう)の書状を届ける。 諸葛亮は書状の中で、これまでの劉備の連勝に敬服の意を示しながらも、陸遜に対して油断しないよう注意を促す。 ★ここで劉備が馬謖に、春秋(しゅんじゅう)時代のチョウカツ(趙括?)のエピソードを持ち出していた。「兵法の研究にかけては陸遜よりも遥かに上であった。されど結局、机上の空論に終わった……」と言っていたが、これだけではよくわからない。 劉備は馬謖に、ここで数日休んだあと成都(せいと)へ戻り、諸葛亮に伝えるよう言う。「こたびの戦は

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第81話「夷陵の戦い(いりょうのたたかい)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第80話「陸遜、大都督となる(りくそん、だいととくとなる)」

    富池口(ふちこう)での敗報に接するや、呉(ご)の孫権(そんけん)は幽閉していた陸遜(りくそん)を呼び出し、大都督(だいととく)に任じて蜀軍(しょくぐん)の迎撃を命ずる。 蜀の劉備(りゅうび)は馬良(ばりょう)から陸遜の経歴を聞き、その力量を試すべく攻撃命令を下す。 第80話の展開とポイント (01)富池口 韓当(かんとう)と周泰(しゅうたい)が黄忠軍(こうちゅうぐん)の反撃に遭い、進退窮まる。 しかし程普(ていふ)が兵をひきいて駆けつけたため、皆で包囲の突破にかかる。だが程普は矢を受けて落馬し、そのまま亡くなってしまう。 ★周泰は既出だが、字幕で紹介されたのは初めてかも? また、ここで程普の字幕が「程晋」となっていた。これは誤りだろう。 関興(かんこう)が劉備に戦況を報告。富池口に入った呉軍は8万ほど。韓当と周泰は残った兵1万をひきいて逃げたが、ほかは壊滅したようだと。 また、傅士仁(ふし

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第80話「陸遜、大都督となる(りくそん、だいととくとなる)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第79話「黄忠、矢に当たる(こうちゅう、やにあたる)」

    秭帰(しき)の陥落に続き、夷陵(いりょう)が蜀軍(しょくぐん)に包囲されていると聞いた呉(ご)の孫権(そんけん)は、10万の軍勢を夷陵へ向かわせる。 この知らせがもたらされると、蜀将の黄忠(こうちゅう)は劉備(りゅうび)の許しを得て富池口(ふちこう)へ向かい、自ら呉軍をおびき寄せるための囮(おとり)になった。 第79話の展開とポイント (01)建業(けんぎょう) 諸葛瑾(しょかつきん)が孫権のもとに戻り、劉備が和睦を拒んだことを報告する。 孫権が次の策を尋ねると、諸葛瑾は曹丕(そうひ)への投降を進言。いったんは腹を立てた孫権だったが、しばらく考えさせてほしいと応ずる。 (02)魯粛墓(ろしゅくぼ) 孫権が張昭(ちょうしょう)に、諸葛瑾が曹丕への投降を進言したことを話す。 ★魯粛の墓の右にもうひとつ同じような墓があった。誰の墓だろうか? 張昭も諸葛瑾に賛同し、使者として趙咨(ちょうし)を薦め

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第79話「黄忠、矢に当たる(こうちゅう、やにあたる)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第78話「劉備、呉を伐つ(りゅうび、ごをうつ)」

    劉備(りゅうび)は張飛(ちょうひ)の急死を受け、改めて呉(ご)の孫権(そんけん)を討伐する決意を語り、群臣の反対を押し切って自ら東征に赴く。 秭帰(しき)を攻略し勢いに乗る蜀軍(しょくぐん)は、恐るべき速さで荊州(けいしゅう)へ迫り、呉都の建業(けんぎょう)に動揺が広がる。 第78話の展開とポイント (01)蜀漢(しょくかん) 成都(せいと) 張飛の弔問の場で、劉備が秦宓(しんふく)に呉討伐の檄文(げきぶん)の起草を命ずる。しかし秦宓は、先に魏(ぎ)を討伐すべきだと諫言する。 怒った劉備は秦宓の処刑を命ずるが、諸葛亮(しょかつりょう)や趙雲(ちょううん)らが助命を乞うたため、ひとまず投獄にとどめた。そして皆に、自ら呉討伐の檄文をしたためると告げる。 ★秦宓は字幕による紹介がなかった。 (02)丞相府(じょうしょうふ) 魏延(ぎえん)が諸葛亮に、劉備が李厳(りげん)を尚書(しょうしょ)に、黄

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第78話「劉備、呉を伐つ(りゅうび、ごをうつ)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第76話「曹丕、漢を簒奪する(そうひ、かんをさんだつする)」

    第76話の展開とポイント (01)許宮(きょきゅう) 内宮(ないくう) 司馬懿(しばい)が献帝に、受禅台(じゅぜんだい)が完成したあと吉日を選んで文武百官を集め、曹丕に天子(てんし)の玉璽(ぎょくじ)を渡して禅譲するよう伝える。司馬懿は献帝の御前で詔(みことのり)の起草に取りかかる。 (02)許都 受禅台 献帝が詔を読み上げ、曹丕への禅譲を宣言する。 ★確信は持てないが、このシーンでは先の第59話(04)で出てきた銅雀台(どうじゃくだい)を使って(使い回して)いるように見えた。 (03)西暦220年 曹丕 曹魏を建国 曹丕が国号を「大魏(たいぎ)」と号し、「黄初(こうしょ)」と建元。洛陽(らくよう)を都と定め、亡き曹操(そうそう)に太祖(たいそ)武皇帝(ぶこうてい)の諡号(しごう)を追贈する。 また曹丕は、帝位を譲った劉協(献帝)を山陽公に封ずる。 (04)許都 船着き場 司馬懿が曹丕の命

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第76話「曹丕、漢を簒奪する(そうひ、かんをさんだつする)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第75話「退位を迫る(たいいをせまる)」

    曹丕(そうひ)は司馬懿(しばい)の進言を容れ、華歆(かきん)に上奏させる形で献帝(けんてい)に禅譲を迫る。 屈辱に震える献帝とは裏腹に、曹丕と配下は禅譲の実現に向けた地固めを進めていく。 第75話の展開とポイント (01)魏王府(ぎおうふ) 曹丕が司馬懿の進言を容れ、帝位に即くための準備を進めるよう告げる。 (02)司馬懿邸 司馬懿が司馬昭(しばしょう)に、曹丕に帝位に即くよう勧めたことを話す。司馬昭は、曹丕の建国後は丞相(じょうしょう)にさえなれるかもしれないと言うが、司馬懿は浅はかだとたしなめる。 ★ここで司馬懿が司馬昭に、「わが一族は100年も続く名門なのだ……」と言っていた。 (03)許宮(きょきゅう) 朝議の場で華歆が献帝に上奏し、曹丕への禅譲を求める。献帝は先祖にお伺いを立てると言い残し、宗廟(そうびょう)へ向かう。 (04)許都(きょと) 宗廟 献帝が先祖に謝罪しているところ

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  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第71話「骨を削り毒を除く(ほねをけずりどくをのぞく)」

    219年、関羽(かんう)は樊城(はんじょう)郊外で曹操(そうそう)配下の龐徳(ほうとく)と一騎討ちを行った際、左腕に毒矢をらってしまう。 ほどなく矢傷が悪化したため、関羽は華佗(かだ)という名医の治療を受ける。 第71話の展開とポイント (01)西暦219年 樊城の戦い 龐徳が柩(ひつぎ)を用意したうえ、皆の前で翌日に関羽と決戦することを宣言。 (02)揚州(ようしゅう) 柴桑(さいそう) 孫権(そんけん)が、曹操からの荊州(けいしゅう)への出兵要請について皆の意見を聴く。 呂蒙(りょもう)は、今回は曹操と手を結んで荊州を取るべきだと進言する。 しかし陸遜(りくそん)は、勢いづく劉備軍(りゅうびぐん)に敵対するのは不利だと言い、関羽の娘と孫権の息子との縁組みを提案する。 (03)荊州 関羽の軍営 関羽のもとに、曹操軍が樊城へ向かっているとの知らせが届く。曹操軍は進路を7手に分けており、総

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  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第70話「楊修の死(ようしゅうのし)」

    219年、夏侯淵(かこうえん)の戦死を受けて自ら漢中(かんちゅう)攻略に向かった曹操(そうそう)。 ある夜、陣中の合い言葉を聞いた楊修(ようしゅう)が、皆に帰還の準備を始めるよう勧めたことに激怒し、彼の処刑を命ずる。 第70話の展開とポイント (01)西暦219年 定軍山(ていぐんざん)の戦い 黄忠(こうちゅう)の攻撃を受けた夏侯淵が、配下の兵士を遣わし曹操に援軍を求める。 (02)曹操の軍営 曹操のもとに夏侯淵から援軍の要請が届く。 曹操は使いの兵士に休息を命じ、準備ができ次第、3万の軍勢を付けて徐晃(じょこう)と許褚(きょちょ)を救援に向かわせると告げ、夏侯淵にあと1日死守するよう伝えさせる。 曹操が司馬懿(しばい)に指摘され、定軍山への援軍を約束したことは気休めにすぎないと認める。 ★ここで曹操が司馬懿に、「第一の関を攻め落とされて以来、これで何度目の負け戦となろう」と尋ね、司馬懿が

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  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第67話「劉備、益州を領す(りゅうび、えきしゅうをりょうす)」

    楊松が張魯に、馬超は劉備と通じていると讒言(ざんげん)する。張魯は讒言を信じ、曹操(そうそう)が来襲したとの名目で馬超に帰還を命ずる。 (03)馬超の軍営 馬超のもとに張魯から帰還命令が届く。 ★ここで馬岱(ばたい)が馬超に、「あり得ない。曹操は荊州(けいしゅう)で孫権(そんけん)と交戦中。漢中を攻めるはずがありません……」と言っていた。この時点では関羽(かんう)が荊州を取り仕切っていたはず。荊州のどこで曹操と孫権が交戦していたという設定なのか? よくわからないセリフだった。 続いて馬超のもとに、またも張飛が現れたとの知らせが届く。馬超は馬岱に張魯への返書を書かせ、葭萌関を攻め落としてから帰ると伝えさせる。 (04)漢中 張魯のもとに馬超の返書が届く。馬超は返書の中で即時の帰還を拒否したうえ、武器や兵糧の補給を求めていた。 張魯は楊松を馬超のもとに遣わし、「戻らずともよいが、ひと月の間にこ

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  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第65話「江を遮り阿斗を奪う(こうをさえぎりあとをうばう)」

    劉備(りゅうび)が劉璋(りゅうしょう)の要請を受け入れ益州(えきしゅう)に留まっている間、荊州(けいしゅう)に残っていたの孫小妹(そんしょうめい)のもとに、母の呉国太(ごこくたい)が重病との知らせがもたらされる。 孫小妹は劉備の息子の阿斗(あと)を伴い、急いで帰国しようと馬車に乗る。だが、事態を察した諸葛亮(しょかつりょう)の指示により、張飛(ちょうひ)と趙雲(ちょううん)が阿斗の身を取り返して事なきを得た。 第65話の展開とポイント (01)涪城(ふうじょう)の近郊 劉備の軍営 法正(ほうせい)が劉備に張松(ちょうしょう)から届いた密書を見せ、劉璋が成都(せいと)を離れ、涪城で出迎えることを伝える。 ★ここで劉備が法正に、「(涪城は)成都からは360里。実に心のこもったもてなしだ」と言っていた。 法正と龐統(ほうとう)は劉備に、この機会を利用し、劉璋を盾として成都へ攻め入るよう勧める。

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第65話「江を遮り阿斗を奪う(こうをさえぎりあとをうばう)」