第5部に関するshiromitsuのブックマーク (16)

  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第71話「骨を削り毒を除く(ほねをけずりどくをのぞく)」

    219年、関羽(かんう)は樊城(はんじょう)郊外で曹操(そうそう)配下の龐徳(ほうとく)と一騎討ちを行った際、左腕に毒矢をらってしまう。 ほどなく矢傷が悪化したため、関羽は華佗(かだ)という名医の治療を受ける。 第71話の展開とポイント (01)西暦219年 樊城の戦い 龐徳が柩(ひつぎ)を用意したうえ、皆の前で翌日に関羽と決戦することを宣言。 (02)揚州(ようしゅう) 柴桑(さいそう) 孫権(そんけん)が、曹操からの荊州(けいしゅう)への出兵要請について皆の意見を聴く。 呂蒙(りょもう)は、今回は曹操と手を結んで荊州を取るべきだと進言する。 しかし陸遜(りくそん)は、勢いづく劉備軍(りゅうびぐん)に敵対するのは不利だと言い、関羽の娘と孫権の息子との縁組みを提案する。 (03)荊州 関羽の軍営 関羽のもとに、曹操軍が樊城へ向かっているとの知らせが届く。曹操軍は進路を7手に分けており、総

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第71話「骨を削り毒を除く(ほねをけずりどくをのぞく)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第70話「楊修の死(ようしゅうのし)」

    219年、夏侯淵(かこうえん)の戦死を受けて自ら漢中(かんちゅう)攻略に向かった曹操(そうそう)。 ある夜、陣中の合い言葉を聞いた楊修(ようしゅう)が、皆に帰還の準備を始めるよう勧めたことに激怒し、彼の処刑を命ずる。 第70話の展開とポイント (01)西暦219年 定軍山(ていぐんざん)の戦い 黄忠(こうちゅう)の攻撃を受けた夏侯淵が、配下の兵士を遣わし曹操に援軍を求める。 (02)曹操の軍営 曹操のもとに夏侯淵から援軍の要請が届く。 曹操は使いの兵士に休息を命じ、準備ができ次第、3万の軍勢を付けて徐晃(じょこう)と許褚(きょちょ)を救援に向かわせると告げ、夏侯淵にあと1日死守するよう伝えさせる。 曹操が司馬懿(しばい)に指摘され、定軍山への援軍を約束したことは気休めにすぎないと認める。 ★ここで曹操が司馬懿に、「第一の関を攻め落とされて以来、これで何度目の負け戦となろう」と尋ね、司馬懿が

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第70話「楊修の死(ようしゅうのし)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第67話「劉備、益州を領す(りゅうび、えきしゅうをりょうす)」

    楊松が張魯に、馬超は劉備と通じていると讒言(ざんげん)する。張魯は讒言を信じ、曹操(そうそう)が来襲したとの名目で馬超に帰還を命ずる。 (03)馬超の軍営 馬超のもとに張魯から帰還命令が届く。 ★ここで馬岱(ばたい)が馬超に、「あり得ない。曹操は荊州(けいしゅう)で孫権(そんけん)と交戦中。漢中を攻めるはずがありません……」と言っていた。この時点では関羽(かんう)が荊州を取り仕切っていたはず。荊州のどこで曹操と孫権が交戦していたという設定なのか? よくわからないセリフだった。 続いて馬超のもとに、またも張飛が現れたとの知らせが届く。馬超は馬岱に張魯への返書を書かせ、葭萌関を攻め落としてから帰ると伝えさせる。 (04)漢中 張魯のもとに馬超の返書が届く。馬超は返書の中で即時の帰還を拒否したうえ、武器や兵糧の補給を求めていた。 張魯は楊松を馬超のもとに遣わし、「戻らずともよいが、ひと月の間にこ

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第67話「劉備、益州を領す(りゅうび、えきしゅうをりょうす)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第65話「江を遮り阿斗を奪う(こうをさえぎりあとをうばう)」

    劉備(りゅうび)が劉璋(りゅうしょう)の要請を受け入れ益州(えきしゅう)に留まっている間、荊州(けいしゅう)に残っていたの孫小妹(そんしょうめい)のもとに、母の呉国太(ごこくたい)が重病との知らせがもたらされる。 孫小妹は劉備の息子の阿斗(あと)を伴い、急いで帰国しようと馬車に乗る。だが、事態を察した諸葛亮(しょかつりょう)の指示により、張飛(ちょうひ)と趙雲(ちょううん)が阿斗の身を取り返して事なきを得た。 第65話の展開とポイント (01)涪城(ふうじょう)の近郊 劉備の軍営 法正(ほうせい)が劉備に張松(ちょうしょう)から届いた密書を見せ、劉璋が成都(せいと)を離れ、涪城で出迎えることを伝える。 ★ここで劉備が法正に、「(涪城は)成都からは360里。実に心のこもったもてなしだ」と言っていた。 法正と龐統(ほうとう)は劉備に、この機会を利用し、劉璋を盾として成都へ攻め入るよう勧める。

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第65話「江を遮り阿斗を奪う(こうをさえぎりあとをうばう)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第64話「張松、地図を献ず(ちょうしょう、ちずをけんず)」

    荊州(けいしゅう)の劉備(りゅうび)は、許都(きょと)から益州(えきしゅう)への帰途にあった張松(ちょうしょう)を引き留め、3日間にわたり手厚くもてなす。 張松は劉備の人柄に魅了され、もともと曹操(そうそう)に献ずるつもりで携えてきた蜀(しょく)12郡の地図を見せたうえ、入蜀するよう懇願した。 第64話の展開とポイント (01)荊州 襄陽(じょうよう) 劉備が張松を3日間にわたり手厚くもてなす。 酒宴の席で張松が劉備に蜀を取るよう勧める。しかし、劉備は同族の劉璋(りゅうしょう)から益州を奪うことはできないと拒む。 張松は劉備らを招き、持ってきた蜀12郡の地図を見せる。ところが劉備は見ようとせず、張松の入蜀の懇願を退けて立ち去る。 劉備と諸葛亮(しょかつりょう)が立ち去った後、龐統(ほうとう)は張松に良策があると持ちかける。 (02)益州 成都(せいと) 張松が劉璋のもとに戻り、曹操は益州を

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第64話「張松、地図を献ず(ちょうしょう、ちずをけんず)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第63話「張松、辱めを受ける(ちょうしょう、はずかしめをうける)」

    益州(えきしゅう)の劉璋(りゅうしょう)は、曹操(そうそう)が渭水(いすい)で馬超(ばちょう)の大軍を撃破したと聞くと張松(ちょうしょう)の進言に従い、許都(きょと)へ貢ぎ物を献ずる。 その使者を張松が務めたものの、曹操は意図的に礼を欠く応対に終始。張松は怒りを含んで許都から去った。 第63話の展開とポイント (01)曹操の軍営(氷の城)前 曹操が韓遂(かんすい)の助太刀と称し、馬超に向けて矢を放たせる。落馬した馬超は助け起こそうとした韓遂の左腕を斬り落とした後、別の馬に乗って逃走する。 (02)益州(西蜀〈せいしょく〉) 蜀郡 成都県(せいとけん) 法正(ほうせい)が劉璋に、曹操が渭水のほとりで馬超の20万の大軍を破り、西涼(せいりょう)を手に入れたことを報告する。 また、馬超は逃げ場を失い、5万の兵とともに漢寧太守(かんねいたいしゅ)の張魯(ちょうろ)のもとに身を寄せたとも伝える。 張

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第63話「張松、辱めを受ける(ちょうしょう、はずかしめをうける)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第62話「衣を脱ぎ馬超と戦う(ころもをぬぎばちょうとたたかう)」

    馬超が全軍に突撃を命ずると、ほどなく曹操は馬で逃走。途中で目立つ赤い羽織を捨て、長いひげを斬り落とし、口元を黒い布で覆い、何とか自陣までたどり着いた。 ★ここでは許褚が馬超の追撃をい止めていた。 (02)曹操の軍営 夏侯淵(かこうえん)が曹操に、西涼軍の騎馬兵の長槍(ちょうそう)に対抗するため、弓兵を使って攻めるよう進言する。 続いて曹洪(そうこう)が、西涼軍は騎馬兵ばかりであるため「コウレンソウ(?)」を使うよう進言する。 ★ここで出てきた「コウレンソウ」がよくわからなかった。兵器(特殊な槍〈やり〉)か? 続いて徐晃(じょこう)が、精鋭部隊を渭水の西に渡して馬超を挟撃するよう進言する。 曹操は徐晃の進言を容れ、彼に精鋭6千を預けて渭水の西側に渡らせ、2日後の正午に馬超を背後から攻撃するよう命ずる。 曹操のもとに、西涼軍の増援3万が長安(ちょうあん)から到着したとの報告が届く。 曹操は潼

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第62話「衣を脱ぎ馬超と戦う(ころもをぬぎばちょうとたたかう)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第60話「馬騰、都に入る(ばとう、みやこにはいる)」

    涼州(りょうしゅう)の馬騰(ばとう)は詔(みことのり)を拝受し、孫権(そんけん)討伐のため5千の騎兵をひきいて出発した。 そして道中で許都(きょと)に立ち寄り、曹操(そうそう)の丞相府(じょうしょうふ)で開かれた酒宴に参加する。 第60話の展開とポイント (01)丞相府 曹操が司馬懿(しばい)に、曹丕(そうひ)ではなく曹植(そうしょく)の師傅(しふ)として仕えるよう命ずる。しかし司馬懿は従わず、曹操から出ていくよう言われる。 (02)許都の郊外 曹丕が司馬懿を城外まで追いかける。 (03)丞相府 曹操が荀彧(じゅんいく)に、司馬懿は遠くへは行かないとの見立てを話す。 ★ここで荀彧が、曹操がたとえに持ち出した終南山(しゅうなんざん)について説明していた。 曹操が修繕の済んだ庭を見て回り、門に「活」の字を書き残す。 ★ここで出てきた「カツ」の字は古い字体でよくわからなかった。 楊修(ようしゅう

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第60話「馬騰、都に入る(ばとう、みやこにはいる)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第59話「銅雀台に詩を戦わす(どうじゃくだいにしをたたかわす)」

    曹操(そうそう)は銅雀台(どうじゃくだい)で盛宴を催すが、荀彧(じゅんいく)と荀攸(じゅんゆう)は姿を見せなかった。 曹彰(そうしょう)が武官に交じって見事な騎射を披露する一方、曹丕(そうひ)と曹植(そうしょく)は文官とともに、「銅雀台」を題目に賦(ふ)の腕前を競い合う。 第59話の展開とポイント (01)耒陽県(らいようけん) 劉備(りゅうび)のもとに、息子の阿斗(あと)が意識を失ったとの知らせが届く。しかし劉備はリュウコウ(龐統〈ほうとう〉)への謝罪を優先し、襄陽(じょうよう)へ戻ろうとはしなかった。 それでもリュウコウは去ると言い、劉備は郊外まで見送ったうえ愛馬の的驢(てきろ)を贈る。リュウコウは劉備の態度に感じ入り、改めて仕える決意をした。 (02)襄陽 諸葛亮(しょかつりょう)が4郡の視察から戻り、龐統と再会。ここで劉備はリュウコウの当の姓名が龐統であり、鳳雛(ほうすう)その人

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第59話「銅雀台に詩を戦わす(どうじゃくだいにしをたたかわす)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第58話「諸葛亮、喪に服す(しょかつりょう、もにふくす)」

    第58話の展開とポイント (01)西暦210年 南徐(なんじょ) 魯粛邸(ろしゅくてい) 孫権(そんけん)が魯粛に呂蒙(りょもう)の書簡を手渡し、呂蒙も魯粛の大都督(だいととく)就任に納得していると告げる。魯粛は大都督を引き受ける決意を固めた。 ★ここで孫権が魯粛に、先に魯粛を怒って罷免したこと(第53話〈04〉)が、周瑜のメンツを保つためと、周瑜に後ろめたさを持たせるための芝居だったと明かしていた。このことで、周瑜が後任の大都督に魯粛を推薦するよう仕向けたのだとも言っており、周瑜が魯粛から受けた恩を利用したということになっていた。 ★相変わらず、南徐と柴桑との使い分けがわかりにくい。 (02)柴桑 諸葛亮が周瑜の弔問に駆けつける。 ★諸葛亮の到着前に周瑜の位牌が出てきたが、諡号(しごう)などはよくわからず。位牌上部の右側には「偏将軍(へんしょうぐん)」、左側には「周氏(しゅうし)」とある

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第58話「諸葛亮、喪に服す(しょかつりょう、もにふくす)」
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第73話「曹操薨去(そうそうこうきょ)」

    曹操(そうそう)のもとに、孫権(そんけん)から関羽(かんう)の首が届く。曹操は手厚く葬らせたものの、墓に酒を捧げたあと激しい頭痛に襲われる。 第73話の展開とポイント (01)揚州(ようしゅう) 建業(けんぎょう) 孫権が陸遜(りくそん)に、亡くなった呂蒙(りょもう)の後任の大都督(だいととく)として誰を充てるべきか意見を聴く。 陸遜は、しばらく大都督と副都督(ふくととく)を置かず、孫権自ら全軍の整備にあたり、戦となったときに大都督を任命するよう勧める。 孫権はこの意見を容れたうえ、郷里に戻って学問に専念したいという陸遜を許す。 (02)益州(えきしゅう) 成都(せいと) 劉備(りゅうび)の前に亡き関羽が現れ、別れを告げる。ほどなく諸葛亮(しょかつりょう)が劉備に荊州(けいしゅう)の陥落を伝える。 劉備はジョウヨウ(襄陽? 上庸?)から来た使者を呼び入れ、関羽・関平(かんぺい)・周倉(しゅ

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第73話「曹操薨去(そうそうこうきょ)」
    shiromitsu
    shiromitsu 2020/05/10
    『吉川版』や『演義』を読めば蜀寄りになるのは仕方がない。しかし『正史』が魏寄りであることを考慮しても、やはり最もスケールが大きいのは曹操ではないでしょうか?
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第72話「麦城に敗走す(ばくじょうにはいそうす)」

    関羽(かんう)は孫権(そんけん)の裏切りもあって曹操軍(そうそうぐん)に惨敗し、やむなく麦城(ばくじょう)へ入った。 しかし、この城も孫権配下の呂蒙(りょもう)に包囲され長くは留まれず、わずか数百の残兵をひきいて決死の突破を敢行する。 第72話の展開とポイント (01)徐晃(じょこう)の軍営 徐晃のもとに樊城(はんじょう)の曹仁(そうじん)の使者が着き、城内の惨状を伝えて援軍を求める。 徐晃は曹操の命が下らないため援軍を出せず、もどかしい思いをしていたが、そこへ曹操が大軍をひきいて到着する。 曹操は徐晃に戦機が来たと告げ、孫権が手を組みたいと言ってきたことも伝える。 曹操は徐晃にゴホンエイ(五営? 虎賁営?)と近衛軍、加えて曹彰(そうしょう)も託す。これで最高の精鋭からなる12万の軍勢が整った。 そのうえで曹操は徐晃に、関羽の討伐と荊州軍(けいしゅうぐん)の殲滅(せんめつ)を命ずる。 ★

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第72話「麦城に敗走す(ばくじょうにはいそうす)」
    shiromitsu
    shiromitsu 2020/05/10
    劉備の義弟であり軍の主柱でもあった関羽の死。荊州を託されたあとの振る舞いは、良くも悪くも関羽らしいものでした。超人的でありながら、完全無欠ではなかったところが関羽の魅力なのだと思います。
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第69話「曹丕、乱を平らぐ(そうひ、らんをたいらぐ)」

    曹操(そうそう)の専横を憂えていた少府(しょうふ)の耿紀(こうき)らは、同志を募って襲撃を計画する。 そして決行当日、手はず通りに五鳳楼(ごほうろう)の馬小屋から火の手が上がるが、曹操は曹丕(そうひ)や曹彰(そうしょう)らの活躍によって事なきを得た。 第69話の展開とポイント (01)許都(きょと) 白馬門(はくばもん) 荀彧(じゅんいく)に制止された曹植(そうしょく)が、丁儀(ていぎ)に命じて門を突破しようとしたところ、ちょうど曹操がやってくる。 曹操は曹植の頰を平手で打つが、曹植ではなく門番を処刑するよう命ずる。荀彧が皮肉を言うと、曹操は許褚(きょちょ)に命じて白馬門を取り壊させる。 曹操らが去ったあと荀彧はその場に倒れ、少府の耿紀に助け起こされる。 (02)丞相府(じょうしょうふ) 曹操が、程昱(ていいく)に果物が入っているという箱を持たせ、病に伏した荀彧を見舞うよう命ずる。 (03

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第69話「曹丕、乱を平らぐ(そうひ、らんをたいらぐ)」
    shiromitsu
    shiromitsu 2020/05/10
    曹操から空っぽの箱を贈られて真意を悟り、悲壮な死を遂げる荀イク。このふたりの決別には運命的なものを感じました。曹丕のほうも苦労の末の後継者指名でした。
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第68話「単刀会(たんとうかい)」

    劉備(りゅうび)が益州(えきしゅう)を領したことが伝わると、さっそく孫権(そんけん)は、かねてからの懸案である荊州(けいしゅう)返還問題の決着を迫る。 劉備から荊州の軍政を委ねられていた関羽(かんう)は、この件で孫権配下の魯粛(ろしゅく)との会談に臨むが、あえて周倉(しゅうそう)ひとりを随行させた。 第68話の展開とポイント (01)益州 成都(せいと) 諸葛瑾(しょかつきん)が諸葛亮(しょかつりょう)を訪ね、孫権が一族38人を投獄し、荊州の返還を求めに行くよう命じたことを話す。諸葛亮は劉備に頼んでみると請け合う。 劉備が諸葛瑾と会い、荊州返還の第一段階として、長沙(ちょうさ)・零陵(れいりょう)・桂陽(けいよう)の3郡の返還を決める。また、漢中(かんちゅう)を取った後、残りの郡もすべて返還するとも述べた。 (02)荊州 襄陽(じょうよう) 諸葛瑾が関羽を訪ね、3郡の返還を命ずる劉備の軍令

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第68話「単刀会(たんとうかい)」
    shiromitsu
    shiromitsu 2020/05/10
    魯粛の態度に荊州3郡の返還を認めた関羽。漢室への忠義を貫く荀イクが痛々しい。
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第66話「落鳳坡(らくほうは)」

    劉備(りゅうび)は龐統(ほうとう)の進言を容れ、劉璋(りゅうしょう)との間で戦端を開く決断を下し、雒城(らくじょう)の攻略に乗り出す。 しかし、劉備とふた手に分かれて進軍中、龐統は劉璋配下の張任(ちょうじん)ひきいる伏兵に遭遇し、無念の戦死を遂げる。 第66話の展開とポイント (01)益州(えきしゅう) 涪城(ふうじょう) 劉備が龐統に蜀(しょく)取りへの強い意欲を示す一方、出陣する正当な名分がないとも話す。龐統は劉備の思いに感じ入り、「名分ある出陣にしてみせる」と請け合う。 龐統が魏延(ぎえん)を呼び、成都(せいと)の張松(ちょうしょう)への返書を信頼できる者に届けさせるよう命ずる。 この際に龐統は一計を案じ、張松ではなく兄の張粛(ちょうしゅく)に返書を届けさせるように、とも付け加えた。 (02)成都 劉璋のもとに劉備の書簡が届き、兵糧10万石(ごく)を要求される。黄権(こうけん)は兵糧

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第66話「落鳳坡(らくほうは)」
    shiromitsu
    shiromitsu 2020/05/10
    龐統が劉備の蜀取りの名分作りのために散った、という設定が興味深かったです。
  • 『三国志 Three Kingdoms』の考察 第61話「曹丕に罪を問う(そうひにつみをとう)」

    黄奎(こうけい)が馬騰(ばとう)らとともに、許都(きょと)で反乱を企てていたことが露見。 黄奎は拷問にかけられ、計画に加担した者のひとりとして曹丕(そうひ)の名を挙げたため、曹操(そうそう)は曹丕を呼び、真偽を確かめようとする。 第61話の展開とポイント (01)許都 黄奎邸 黄奎が苗沢(びょうたく)に、今夜の三更(午前0時前後)に城外の3のたいまつを合図として南門を開けるよう命ずる。 苗沢は黄奎から、馬騰の軍勢を引き入れて曹操を滅ぼす、と聞かされ動揺。それでも、事が成就した暁には天子(てんし。献帝〈けんてい〉)から将軍に任ぜられ、侯にも封ぜられると言われ、城門を開く決意を固める。 ★前の第60話(13)では苗沢の字幕紹介がなかったが、ここではあった。

    『三国志 Three Kingdoms』の考察 第61話「曹丕に罪を問う(そうひにつみをとう)」
    shiromitsu
    shiromitsu 2020/05/10
    黄奎と親しくしていたことを最後まで認めなかった曹丕。曹操との息詰まるやり取りがよかったと思います。
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