ホンダは、自動車レースの最高峰「F1」に2026年のシーズンから復帰することを明らかにしました。 ホンダは、おととしに撤退していましたが、新たにレーシングチームの「アストンマーティン」にエンジンなどを供給する契約を結ぶことで合意しました。 発表によりますと、ホンダは2026年のシーズンからF1に参戦し、エンジンとモーターを組み合わせたパワーユニットをアストンマーティンに供給する契約を結ぶことで合意したということです。 チーム名は「アストンマーティン・アラムコ・ホンダ」となります。 ホンダは、1964年に日本の自動車メーカーとして初めてF1に参戦し、1980年代後半から90年代前半にかけて「マクラーレン」などにエンジンを供給して黄金時代を築いた歴史があります。 2015年に参戦したあとは、本業での脱炭素に向けて経営資源を集中するとして2021年に撤退していました。 ホンダは、2040年に、世
F1のウィリアムズチームを率いた元チーム代表のフランク・ウィリアムズさんが26日に死去した。79歳。同チームが28日に発表した。 【写真】娘のクレア・ウィリアムズもチームも副代表を務めた 1977年にチームを旗揚げし、「車いすの闘将」としても知られた。2020年に経営不振などを理由にチームを売却し、チーム代表から退いた。 在任中は製造者部門のタイトルを9度獲得したほか、7人のワールドチャンピオンを輩出。同チームには日本人では過去に中嶋一貴が在籍し、ホンダとトヨタがエンジン供給をした。 ヨースト・カピート現チーム代表は「ウィリアムズレーシングは創業者のフランク・ウィリアムズさんの逝去に大きな悲しみに暮れている。このスポーツにとってはレジェンドであり、象徴的な存在だった」などと哀悼の意を表した。
マクラーレン・レーシングと戦略的パートナーであるガルフ・オイル・インターナショナルは、5月20日~23日に開催される2021年モナコグランプリに向けて、両社の歴史的なパートナーシップを祝う革新的な特別カラーリングをワンオフの象徴的なデザインで発表した。この刺激的なカラーリングは、F1で最も象徴的なグランプリのひとつであるモナコGPへの復帰を記念したもので、モータースポーツ界で最も認知度が高く、賞賛されているカラーリングのひとつだ。 マクラーレンは、ガルフ社とのパートナーシップにより大きな成功を収めたレースの歴史を持っており、2020年7月にチームがガルフ社を公式な戦略的パートナーとして復帰させることを発表したことで関係を復活させた。このレトロなカラーリングは、マクラーレンがガルフの時代を超越したデザインに敬意を表していることを示すと同時に、チーム創設者ブルース・マクラーレンの時代に始まった
Hondaは、このたび、2021年シーズンをもって、FIA※1フォーミュラ・ワン世界選手権(以下、F1)へのパワーユニットサプライヤーとしての参戦を終了することを決定しました。 Hondaは、世界最高峰の四輪レース、F1において、自らのエネルギーマネジメント技術をもって勝利することを目指し、2015年からチャレンジを開始しました。参戦当初は厳しい戦いが続いたものの、航空機エンジン技術の活用など All Hondaの総合力を発揮することで高い競争力を実現してきました。 また、Red Bull Racing(レッドブル・レーシング)、Scuderia AlphaTauri(スクーデリア・アルファタウリ 以下、アルファタウリ)との強いパートナーシップのもと、共に成長してきた結果、2019年シーズンは3勝、2020年シーズンも2勝※2を挙げるなど、大きな目標としてきた勝利を実現することができました
ホンダは、自動車レースの最高峰、「F1」への参戦を来年、2021年シーズン限りで終了し、撤退すると表明しました。 自動車業界が大きな転換期を迎える中、最も重要な課題となっている脱炭素やエネルギー分野の開発により力を入れていくとしています。 これは2日、ホンダの八郷隆弘社長がオンラインで記者会見をして表明しました。 ホンダは日本の自動車メーカーとして1964年に初めてF1に参戦し、1980年代後半から90年代前半にかけてはホンダのエンジンを載せたマシンで故・アイルトン・セナやアラン・プロストが優勝を重ね、黄金時代を築きました。 業績の悪化で1992年に撤退したあと、2000年に復帰しましたが、2008年にはリーマンショックによる世界的な景気悪化の影響を受けて撤退を余儀なくされ、会見で当時の福井威夫社長が「大変困難な決断だった」と涙ながらに述べました。 その後、2015年に復帰し、レッドブル・
グループ・ルノー(Groupe Renault)はF1イタリアGP決勝日の6日、現在のルノーF1チーム(自陣ワークスチーム)を来季2021年は「アルピーヌF1チーム」へと改称する旨を発表した。ブランド再編に関する動きの一環と見られる。 F1のチーム名、厳密にはコンストラクター名というものの推移や記録統計は難解で、複数解釈が存在したりもするが、ルノーのワークスチームはF1の歴史において何度か姿を現しており、2016年から参戦中の現ルノーF1チーム(今季エントリーリストにおける正式チーム名は「ルノー DP WORLD F1チーム」)は第3次ワークスといえる。チーム本拠は英エンストンで、2002~11年の第2次ワークスの流れを汲む陣営だ(かつてのベネトンがさらなる前身)。 その現ルノーが、来季は「アルピーヌ」のブランドを名乗っての参戦に切りかわる見通しとなった。 最近のF1はチーム名(コンストラ
3回にわたってF1王者に輝いたニキ・ラウダが亡くなった。70歳だった。 ラウダは昨年半ばから健康問題に悩まされ、8月には肺移植の手術を受け、2カ月間にわたって入院を余儀なくされていた。また、今年の初めにはインフルエンザに感染し、再び短期間の入院生活を送っていた。 最近では、腎臓透析を受けているとオーストリアの新聞でも報道されていたラウダ。しかし5月20日(月)に、家族に見守られながら、息を引き取ったという。 「私たちの愛するニキは、月曜日に家族に見守られながら、静かに亡くなった」 ラウダの家族は、オーストリアのメディアにそう声明を発表した。 「アスリートとして、そして実業家として、彼の達成した業績は忘れ難い。彼の疲れを知らない行動への熱意、そして彼の率直さと彼の勇気は、記憶の中に残っていく」 「我々全員の模範として、そして目標だった。プライベートでは、彼は愛と思いやりにあふれた夫であり、父
自動車レースの最高峰、F1が来週開幕するのを前に、東京都内の町なかをF1マシンが走行するイベントが開かれ、大勢のファンでにぎわいました。 イベントを前にファンとの交流会が開かれ、チームの代表を務めるクリスチャン・ホーナーさんが「すばらしいエンジンを搭載することができた。勝利に向けベストを尽くしたい」と意気込みを語りました。 この後、神宮外苑のいちょう並木で、東京都内の公道では初となるF1マシンによるデモ走行が行われました。 ハンドルを握ったのは、レースチームのマックス・フェルスタッペン選手らで、およそ1万人のファンが見守る中、F1マシンがエンジンのごう音をとどろかせながら、往復720メートルのコースを疾走しました。 コースの途中では、同じ位置で車体を回転させる「ドーナツターン」という技を披露する場面もあり、ファンたちから大きな歓声が上がっていました。 小学5年生の女の子は、「迫力がすごくて
元F1ドライバーのマックス・チルトンは、F1の上位チームと下位チームとのパフォーマンス差がスポーツを台無しにしていると語る。 マックス・チルトンは、2014年と2015年にマノー・マルシャでF1に参戦した後、アメリカに戦いの場を移し、インディカーでキャリアを継続している。 マックス・チルトンは、インディカーの方が競争力のある接戦が繰り広げられているとし、それがF1の魅力に欠けている部分だと語る。 「F1の問題はトップのマシンと再会のマシンとの間に4秒のギャプがあることだ。実際、それではスポーツとは言えない」とマックス・チルトンはコメント。 「スポーツはほぼ同様、もしくは可能な限り近いプレーフィールドであるべきだ」 「モータースポーツは必ずしもそうではないし、それは不可能だとは思うけど、来年のインディカーはこれまでよりもワンメイクに近いものになるだろう」 「全員が同じエアロキットになるし、エ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く