唐木順三氏は、「無常」という著書の中で、<日本列島の住民のこの生に対する感慨の原型は「あはれ」と「はかなし」があり、それが中世以降の無常観として傾斜し定着していった>といっておられる。 「あはれ」と「はかなし」は、似ているようで、ちょっと違う。 それらのことばに対する一般的なイメージをおおざっぱにいえば、「あはれ」の感慨のほうが普遍的客観的で、「はかなし」というと何か個人的主観的な感慨のようなニュアンスがある。 いずれにせよ、その語源を考えるとき、研究者はみな、古事記や万葉集や源氏物語などの文献を引き合いに出して、その範疇でかたをつけてしまおうとする。 しかしたぶん、「あはれ」も「はかなし」も、それらの文献があらわれるよりもずっと前からあったのだ。もしかしたら縄文時代から使われていたかもしれないし、弥生時代には当然あっただろう。したがって、それらの文献にあらわれたときは、すでに語源のかたち