富嶽(ふがく)は、太平洋戦争中に日本軍が計画した、アメリカ本土爆撃を目的にした超大型戦略爆撃機である。名は富士山の別名にちなむ。 富嶽による米本土爆撃計画[編集] 1942年(昭和17年)、アメリカ軍による初の日本本土空襲(ドーリットル空襲)と、日本軍による初のアメリカ本土空襲が行われた。この年、中島飛行機の創始者である中島知久平が立案した『必勝防空計画』に書かれていた、アメリカ合衆国本土を空襲した後にそのままヨーロッパまで飛行し、同盟国であったナチス・ドイツまたはその占領地に着陸することが可能な大型長距離戦略爆撃機「Z飛行機」構想が、のちの富嶽である。同年8月15日、大本営陸軍部は「世界戦争完遂ノ為ノ決戦兵器ノ考案」を陸軍省に要望した[1]。その中に「超遠距離飛行機」「特殊気球(フ号装置)ノ能力増大」という項目があった[1]。 アメリカ本土爆撃を視野に入れ、日本を飛び立ち太平洋を横断して
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く